夢うつつ
あれ、家のベッドだ。いつの間に。
ああいや、早退したんだっけ。途中で病院にも行った気がする。熱がすごく高い、とかで。人間に迷惑をかけてしまったなぁと、ぼやぁっとそんなことを考える。でもやっぱりまだ眠いし、頭も働かない。ので、まぶたを閉じる。寒い。開く。
目の前に赤い髪の女がいた。
メイ……じゃない、この目つきの悪さはあたしだ。ということはこっちの、アッシュグレーの髪のほうがメイか。うん。そういう目つきをしている。でもなんで悲しそうなんだろう。今にも泣き出しそうだ。あんまり見ていたい表情ではない。なので目を閉じる。頭が熱い。開く。
自分の部屋の天井が見えた。メイはいない。赤い髪のあたしも。今は昼だろうか夜だろうか。視界がぼやけていてよく分からない。もやを払うためにまばたきをする。一度、二度。
そうするとまた、目の前にあたしとメイが現れた。どこかの森の中? いやここはあたしの部屋だったはず。もう一度まばたきしてみたら全部消えた。全部消えろとは言ってないので、さらにもう一度まばたき。全部復活した。辺り一面なぎ倒された木々と、あたしと、泣きそうなメイ。
「マリ、なんで……」
「しょうがないじゃない。あたしだってこうなるとは思ってなかったのよ」
「ふざけんなっ……!」
なにかやり取りをしている。赤い髪のあたしはへらへら笑っていて、ちょっと気に食わなかった。
「不死であるはずの魔女が、古い魔女たちが、どうして今どこにもいないのか。まさか身をもって知ることになるだなんてね」
「わたしのためとか言って勝手なことして、っ、その結果がこれ!?」
「まあまあ。故意じゃないんだから、許してちょうだい」
「ふざけっ、っ、許すわけないでしょっ……!!」
メイがひどく怒っている。悲しんでいる。やっぱり、あまり見たい表情じゃない。また目を閉じる。頭がかくんと揺れた気がして、目を開ける。あたしの部屋だ。今度は天井じゃなくて窓が見えた。カーテンはしまってて、たぶん夜。寒い。体を丸めて、また目を閉じる。
「誰か一人くらい文献にでも残しておいてくれればいいのに。魔女ってどうしてこう、どうでもいいことばかり本にするのかしらね?」
また目の前に現れた赤い髪のあたしは、なんていうかこう、薄くなっていた。あたしの視界がぼやけているから……ではなくて、赤い髪のあたしの体が、光のような塵のようなものに、少しずつ解けていっている。メイがそれを捕まえようと手を伸ばして、でも掴めない。指をすり抜けていく。ぼんやりしているくせに、それがやけによく見えた。
「ねぇメイ。あなたに限ってそんなことをするとも思えないけれども──」
体が消えていっているからか、声も途切れて聞き取れなかった。メイの表情がますます歪んでしまったから、たぶんひどいことを言ったのだと思う。
「わたしはこんなの、っ、頼んでないっ……!」
「そうだったかしら?」
「やだ、っねぇ……ま、って、ねぇマリっ……!」
「まあ、そういうわけだから。じゃあね、メイ」
「ぁ、あぁ……やだぁ……!!」
赤い髪のあたしが消えていく。
メイの瞳は決壊寸前。でもそこまでしか見られなかった。ということはたぶん、あたしはメイの泣き顔を見る前に死んだんだなと思った。
◆ ◆ ◆
……早退した次の日、つまり今日も熱は下がりきらなかった。なのでまあ当然、学校は休んだ。
とはいえ昨日よりはだいぶ良くなっていて、怠いけど意識はしっかりしている。病院でもらった薬のおかげだろう。自室のベッドでごろごろしているうちにもう昼も過ぎていた。
そう、たしか昨日、早退だなんだと話が進んでいるあいだにも熱がどんどんあがっていき、これわりとヤバいのではと迎えに来た母に病院まで連れて行かれたのだったか。けれども流行りのあれやらこれやらの感染症というわけではなかったらしく、ただ単に熱が強めに出た風邪という診断。解熱効果高めの薬をもらって、昨日は帰宅後ずっと寝ていた。親や担任にも手間をかけさせてしまい、今日のバイトも当然休むことになり、なんとも不甲斐ない。
原因も察しはつくというか。おおかた、陸上競技大会の折にメイと水遊びに戯れてしまったせいだろう。完全に自分の油断で他人の世話になってしまった。生粋の人嫌いとしては忸怩たる思い……
……なのだがしかし。正直いまのあたしはそれ以上に気にかかることが一つ、二つ……三つほどあった。
一つは昨日の、保健室でのメイとのやり取りの中に。
“復讐”という言葉をあたしのほうから持ち出した、その瞬間のメイの表情。にんまりと笑っていた。そうとても、とても嬉しそうに。薄ぼんやりとした意識の中でも、あの笑みはしっかりと記憶に焼き付いている。
……いや、まあー、その、それ以外にもあたしだいぶ変なことを言っていたような気もするというか、なんか顔が良いとか声が良いとかべらべら白状してしまったというか。ていうかなぜ当然のようにベッドにあいつを入れてしまったのか。ありえないでしょ普通に考えて。どれだけ頭が茹だっていたのだ昨日のあたしは。
あーだめだ、思い出して軽く死にたくなった……いや今のなし。軽々と“死にたくなった”なんて言うべきではない気がしている。一般論ではなく、あたしとメイとの間において。つまりそれは二つめ、自室で寝ているときに見た、夢のようななにかの影響で。
「…………」
眉間を軽く揉みながら思い返す。腕はまだ少し重いが、昨日のような寒気も意識の混濁もない。赤い髪のあたしやアッシュグレーのメイが見えることも。
「…………」
ただの夢だ。あるいは幻覚だ。高熱のときに見るやつ。大方、メイの電波妄想が頭の片隅に残っていたせいで、変なものを見てしまったのだろう。それだけ。
「…………」
それだけなはずなのに。「ほんとにそう思ってる?」と、いつだかのメイの言葉が、あたしの理性的な部分を蕩かせていく。
……茹だった脳の見せた幻にしては、メイの表情はあまりにも真に迫ったそれだった。あたしは、あいつの悲しげな顔なんて見たことがない。あんな悲痛な叫びを聞いたことがない。いくらあたしの脳が先天性の厨二病を患っているからといって、見たことも聞いたことも、見たくもないものを、ああも克明に作り出すことができるのだろうか。
「…………」
ああいや、違う。こんな考えすらも、あの光景をどうにか理屈付けようとしているだけだ。もっと直感的な、根源的な、まるでなにかの真理にでも触れてしまったかのようなおかしな感覚が、あたしの心を揺さぶっている。つまりアレこそが、前世のあたしとメイの姿そのものなのだと。
「…………」
本当に熱で頭がおかしくなった可能性がある。
正真正銘あいつと同類の、怪電波を受信するイカれ女になってしまった可能性が。
「…………はぁ」
そして、そしてそう、これが三つめ、こんなにもあたしの頭を悩ませるメイ本人について。
あいつ、なんか今日は妙にそっけないのだ。
……いや、自惚れているわけではない。断じて。
ただいつものメイからしてみれば、あたしが病欠なんてしようものなら見舞いに来たっておかしくはないはずだろう。客観的に見て。来るだろうあのべしょつき具合からして。どうせあたしの家の場所も分かっているんだろうし。だって昨日は学校で、あんなにあたしのことを心配していたじゃないか。
だからあたしは今日も、〈お見舞い行くねマリ〉とか送られてくるだろうメッセージに〈来ないでいい〉と返す気マンマンだった。
〈おはようマリ〉
〈今日も熱あるから休む〉
〈わかった。お大事に〉
何度スマホを見ても、今朝のトーク履歴はこれだけ。見舞いはおろか最低限のやりとりしかしていない。なにかがおかしい。決して心配されてないっぽくてショックとかではなく。メイという女が取る行動として不自然極まりないという話。いやほんとに。
昨日の笑みと、夢の中の悲痛な顔と、そっけないトーク履歴がぐるぐる回る。そもそもこうやっていらんことを考え込んでしまうのも、熱のせいかもしれない。けれども、ああくそ、どっちへ思考を伸ばそうとしても、そこには必ずメイがいる。転校してきてからずっと、声と視線とを浴び続けてきたせいだ。あの女はあたしの頭の中に、あまりにも入り込みすぎている。っていうかまた熱あがってきた気がする。
なんだかむしゃくしゃして、なぜか鼻の奥がツンとしてきて、もう一度スマホのトーク画面を開く。
〈おはようマリ〉
〈今日も熱あるから休む〉
〈わかった。お大事に〉
内容はなにも変わらない。
顔を合わせなければおはようすら言わないんだなあたしは、と、そんなことを思った。




