転校生
全20話、1日1話ずつ更新予定です。よろしくお願いします。
そう、生まれついての厨二病患者とはあたしのことである。
なにをもって“生まれついて”とするのか。赤ん坊のころ、母親の母乳を飲みながら「人間の世話になるのいやだな……」なんて考えていたことを鮮明に憶えている。生まれ落ちたその時から理由もなく、うっすらと、けれども確実に人間への忌避感があった。これを先天性中学二年生症候群と言わずしてなんと言うのか。
胸のうちに常にそんなものを抱えているわけだから、当然、他人──家族も含めた自分以外の全ての人間という意味で──への態度が友好的なはずもなく。高い背丈に両親とは似ても似つかない目つきの悪さも相まって、あたし──夜凪 まりの人生は高校二年の今日に至るまで友人、いや知り合いと呼べる相手の一人もいなかった。
美形だったら孤高、そうでなければ孤独。少なくともあたしの通う学校にはそういう暗黙の認識があるようで、そしてあたしは、おそらく前者として扱われている。敬遠されている、というやつだ。それでかまわない、むしろ好都合。生まれついての厨二病を舐めないでもらいたい。
……などと思いながら、今日も窓際最後尾の席で外を眺めていたのだけれども。
思春期に入ってから発症するような一般厨二病患者共とは一線を画するあたしですら、現れたその女のぶっ飛び具合には勝てなかった。
「──よーし皆。もう知ってるやつもいるかもしれんが、今日からこのクラスに新しい仲間が増える」
夏休みも終わって少し経った朝のホームルーム。季節外れの転校生。そういう肩書きで、そいつはやって来た。
興味はなかった。このクラスに転校生がくるということ自体、今しがた教師が口にして初めて知ったくらいだ。おそらく噂は流れていたのだろう、教室は期待のざわめきに満ちていて、耳に入ってくるその騒音がざわざわざらざらと煩わしい。
だからあたしは、眉間にシワを寄せながら目を閉じた。頬杖をついて、外界の情報を遮断して、意識を自分の内側へと落としていく。つまり寝ようとする。そうやってこの、転校生云々とかいううるさいイベントをやりすごそうとした。
「あー静かに静かに…………よし、じゃあ入って」
喧騒と教師の声と前の引き戸が開く音、それらが徐々に遠のいていく。こつこつという誰かの足音も微かなもの。
「はい、じゃあ自己紹介よろしく」
教師の声、黒板にチョークで書きつける音。それらももうほとんど聞こえない。
意識がすんなりと微睡んでいく。そう、そのまま、そのまま──
「どうもー、櫛引 めい……メイです」
──その声を聞いた瞬間の驚きたるや。
人生初のことだった、人の声がなんの抵抗もなく耳に入り込んできたのは。美声も濁声も等しく薄ら煩わしいと認識するあたしの脳が、その女の声だけはするりと受け入れた。はっと目が醒めた。混乱する脳内に一瞬、世界中の音がこの声だけで構成されていれば良いのになどと妙な考えが過ぎった。
まぶたが勝手に開かれる。顔も視線も、転校生のほうへと向いてしまう。あたしという存在が、どうしようもなく誘引されている。信じ難く、認め難く、そして抗い難い感覚に引っ張られて、あたしはその女の顔を見た。
「──」
その女──メイも、あたしを見ていた。間違いなくあたしだけを。ほかの何者も視界の端にすら入れずに、ただあたしだけを見つめていた。黒いボブカットの整った顔立ち。表情は気怠げ。髪の内側には赤いインナーカラーが入れられている。そういった情報が一気に入ってきて、けれどもそれよりもなによりも、メイの視線。眠たげにも見える眼差しには、ビームかと見紛うほどの熱量が乗っていた。溢れていた。
メイが再び口を開く。あたしと彼女の距離は、この教室の中ではもっとも離れているけれども、その声は誰よりも先にあたしの耳に届くのだという確信があった。
「隣の地方から引っ越してきました。父の仕事の都合と、あと個人的な探し物があって、今まであっちこっち引っ越しを繰り返してたんですがー……うん、たった今、探し物は見つかったね」
“うん”からあとの一文の毛色が、その前と明らかに違う。気怠げな声音であることは変わらず、けれどももったりと、あるいはしっとりと、耳にまとわりついてくるような感触。そう、感触だ。声に触れていると錯覚してしまうほどの、質量のようなもの。あるいは湿度のようなもの。今にあたしの鼓膜に水滴がつくんじゃないかと、本気でそう思ってしまうほどの湿り気。それに気圧されているうちに彼女は、メイは当然のようにあたしへと歩み寄ってきた。
「ちょ、ちょっと櫛引、なに勝手に」
教師がメイを制止しようとしている。メイはまったく意にも介さず、まっすぐあたしのほうへ。足取りはゆっくりとしているはずなのに、まるでほんの一瞬のできごとのように、気付けばあたしのすぐ目の前にいた。机の横に立って、座るあたしと高さを合わせるようにして少し前かがみに。顔が近い。目が逸らせない。
「……マリ。ひさしぶり」
“逢いたかった” と言われた。いや言われてないけど、言われたのと相違ない声が至近距離から耳に触れた。“まり”ではなく“マリ”と、そう呼ばれた瞬間に、体の奥深いどこかでなにかが胎動した。
「……あ、あたしは、あんたなんか知らないけど」
かろうじて返せたのは、そんな言葉だけ。
事実、あたしはメイのことなんて知らない。知らないからこそ、声と視線だけでここまであたしをおかしくする彼女に恐ろしさすら感じていた。当然のように彼女を“めい”ではなく“メイ”と呼ぶ自分自身の心にも。
「やっぱ憶えてないかー。まあ、昔のことだしねぇ」
「昔……? どっかで、会ったことでもあるっての……?」
思い出そうにも手繰ろうにも、そもそもあたしには誰かと仲良くなった記憶というものがない。なぜならあたしは生まれついての人嫌い、先天性の厨二病患者。そのはずだったのに、どうしてこのメイという女は、こうもあたしを揺さぶってくるのか。
「そう、うんとうーんと昔。や、もしかしたら結構最近かも」
意味が分からない。
なにがおかしいのか、メイが小さく笑った。口角が僅かに上向くくらいの微笑。眠たげな目尻がさらにとろりと下がっている。彼女の顔から目が離せない。彼女もまた、さっきからただの一度も、あたしから目を逸らすことがない。
メイの、果ての見えない黒い瞳がこちらを覗き込んでいる。その奥底からこんこんと際限なく湧き出ているのは、疑いようもなく、あたしへの思慕の情だった。静かな熱視線を受け取ったあたしの脳が、そうだと理解らされていた。
熱と湿度で脳が茹だる寸前。
もう、今になにか奇行にでも走ってしまいそうな、落ち着かない感覚。
そんなあたしを正気に戻したのもまた、メイの言葉だった。
「わたしとマリはむかーし……前世からの恋人同士なんだよねぇ」
「…………………………は??」
なんだこの電波女?
あまりにぶっ飛んだ台詞に、急激に冷静になる。
そのせいで周囲の雑音たちを、再び脳が認識できるようになってしまう。
「え、あの子いまなんてった?」
「前世?」
「前世? とか恋人? とか」
「どゆこと?」
「さぁ…………?」
「ぇ、ちょっと、アレ系、ヤバい系の人?」
ざわざわざらざらと、クラスメイトたちの声があたしの耳を苛む。うるさい。鬱陶しい。だけどもこの瞬間ばっかりは、言っていることには同意してしまう自分がいた。
いや、なんだ前世の恋人って。頭がおかしいのか?
「そういうわけだから、改めて今日からよろしくね。マリ?」
「っ」
……くそ。
ヤバいヤツと認識してもなお、メイの声があたしの脳によく染み込んでくるのは変わらなかった。熱が、視線を介して伝播してくるのも。
「…………あーーーー……まあ、その、なんだ。櫛引の席は、ひとまず窓際の最後尾だから。皆、うん、皆仲良くやってくれな? うん、頼むな?」
教師の声が遠くから聞こえてくる。
窓際の最後尾。つまり、あたしの真後ろだ。




