表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

契約満了

 木々が途切れ、開けた場所に出ると、すぐに庁舎が目に入ってきた。

 高層建築物と呼ぶには程遠いが、取り囲む他の構造物と比べれば、頭抜けて背が高い。

 

「ああ、あれです、目的地。ここまで来てしまえば、もうすぐですね」

 

 色々とハプニングが絶えなかったこの旅も、もうすぐ終わりを迎える。

 やったー、と声を上げる程ではないものの、無事の完遂を喜んで然るべき場面に違いなかった。

 だのに、隣からは陰鬱そうなため息が聞こえてくる。

 

「はあ、結局名誉挽回の機会はなかったな……」

 

 ハリスンさんは、未だに何か落ち込んでいるらしい。

 そこにあるのは多分、当人以外には理解できない、繊細な心情なのだろう。私からすれば、「挽回も何も、最初から最後まですごかったけどな……」としか思えない。剣の腕の話だけじゃない。総合的に見て、「百点の護衛だった」と思う。でも、ハリスンさんの中にはもっと別の百点が存在していて、だから満足できない、ということなのだろう。

 

 ふいに、ハリスンさんの顔が、ぐるりとこちらを向いた。

 

「エマ……」

 

 目が合うと、その麗顔がにわかに曇った。

 

「はい?」

「いや……随分眠そうだな……。俺に話しかけているのかと思ったけど、寝言か何かだったか?」

「え? あれ? 私、何か口に出てました?」

「いや……」

 

 ハリスンさんは、後頭部をカリカリと掻いた。

 

「あの……私何か、変なこと言ってました?」

 

 ひょっとして、何かやらかしたのだろうか、私は。

 多分、そんなに失礼なことは考えていなかったはずだと思うのに、その難しい顔を見ていると、一抹の不安がよぎる。

 

「……いや、いいんだ。疲れているんだろう、俺がおぶろう」

「オブロウ?」

 

 唐突に出てきた文字列の意味が咀嚼できなくて、思わず口に出していた。おぶろう、オブロウ、OF ROW……。

 そうしているうちに、ハリスンさんがずいと私の前に躍り出た。かと思いきや、しゃがみこんで、その広い背中でもって私の進路をふさいでいる。

 それを見てようやく、言葉が意味を成し始めた。おぶろう、おぶう、おんぶしよう――。

 

「え!? もしかして、おんぶ、ってことですか?」

「そうだ」

 

 ハリスンさんは、造作もないような、淡泊な調子で答えた。

 一方で、私は少し狼狽えている。

 

「いや、そこまでしてもらう程疲れているわけではなくてですね――」

 

 私は、怪我人でもなければ、子供でもないのだ。

 けれどもハリスンさんは、

 

「わかってる。あんたを侮っているわけじゃないんだ。俺が、もう少し、仕事をしたいんだ」

 

 そう言って、じっとその場から動かなかった。

 広い背中が、静かに私を待っている。

 

「そうですか……そういことなら……じゃあ、失礼して……」

 

 そこまで言われたら、仕方あるまい。

 ――というのは建前で、本当のところ、今の私にはこの魅力的な背中に抗える程の気力が残っていなかった。

 引き寄せられるように肩に手を掛け、身を寄せると、すぐに体がふわりと浮き上がった。荷を抱え、成人女性を背負っているとは思えない程、安定した動きだった。

 

「重くないですか……?」

「全く問題ない」

 

 本当に、問題ないのだろう。

 ハリスンさんは軽い足並みで、さくさくと歩を進めていく。私は、リズミカルで心地の良い揺れに包まれ始める。

 

「……私の方は、少々問題がありまして」

「なんだ?」

「実を言いますと、今、ものすごい眠たいです」

「ああ……昨日眠れなかったんだろう」

 

 おっと……気付かれていたのか。

 私の寝返りがうるさかった、とかそんな理由じゃなければ良いのだけど、と思う。

 丸一日眠りこけた日の晩は、目が冴えて、とんでもなく寝苦しかったのだ。

 

「……そう言うことなので、眠らないように、お喋りをしませんか」

「別に、寝ててもいいぞ」

「いやですよ。寝ている間に契約満了、さよならだなんて」

「さすがにその時は起こすが……。でも、そうか、わかった」

 

 切り揃えられた頭がこくりと頷くのが見えて、思わず口元が緩む。

 

「じゃあ、ハリスンさん。何か、私に質問とかないですか?」

 

 わくわくしながら尋ねてみると、ハリスンさんは、「え? 俺からか? うーん……」と言って、唸り始めた。頭を揺らしては「うーむ」と唸り声を上げている。

 ……そんなに難しいことを求めたつもりはないのだけど。

 ハリスンさんには、雑談の習慣がないのかもしれない。

 つむじを見ながらしばらく待っていると、ようやく、「じゃあ、聞くが……」と切り出す声が聞こえた。

 

「……さっき言ってた、百点の護衛って、俺のことだよな……?」

 

 ちょっと、想像とは違う質問だった。色々な意味で。

 

「あれ? 口に出てました?」

 

 何だ、私、無意識のうちにそんなことを口走っていたのか。でも、全然、やらかしてなんていないじゃない。

 ほっと胸を撫でおろす私の目の前で、ハリスンさんはといえば、いやに神妙な口調で「ああ」と言って頷いていた。それを見ていたら何だか可笑しくなってきて、つい、けらけらと笑ってしまった。

 

「おぶられて気分が良くなって、百二十点になりました」

 

 そう付け足すと、また、神妙な「そうか」が返って来た。

 そこに更に、「はい」と返して、またくすくすと笑ってしまう。

 それが収まって、はー良く笑った、と一息つくと、妙に静かになってしまった。

 

「……え? もしかして、今ので質問終わりですか……?」

「いや、その……じゃあ、もう一つ聞くけど……」

 

 今度は存外に早く返事が返って来た。

 

「はい、どうぞ」と言って、続きを促す。

 

「……俺は、男としては、何点だ?」

 

 先の質問の、更に斜め上をいく問い掛けに、思わず「はい?」と上擦った声を上げてしまった。

 

「あんたは多分、金とか顔に惹かれるような女じゃないんだろう? あんたにとって、俺は、男として何点なんだ?」

 

 今度は私が、「うーんうーん」と、唸る番だった。

 真剣に点数をつけて答えるとするならば、とてつもない難問だ。採点基準がまるでわからない。しかも当人は、金や顔を加点基準に入れてほしくないようなのだ。

 できれば、良い点数を言い渡したい。呪いを退けたハリスンさんは、明日から第二の人生を歩み始めるのだ。その門出に花を添えられるような言葉を手向けて、人嫌い克服の第一歩となれば良い。

 でもそれがどうにも、難しい。百点、と答えるのは、多分正解じゃない。正解なんて、わからない。もとより難題だというのに、こんな半覚醒状態の頭で正しい答えを導き出せるわけがない。

 ……無理だ。無理だと伝えよう。

 

「あのですね、がっかりさせてしまうかもしれませんけど、」

 

 ゆっくりと切り出すと、下から、すう、と息を吸う音が聞こえた。

 何となく緊張して、慎重に言葉を選ぶことに注力する。

 

「私は多分、ハリスンさんの期待がしているような立派な人間ではなくてですね、そういう面ではその辺の女性とさほど変わらないかもしれないです。つまり何が言いたいかと言いますと、その顔を見た後に、顔抜きの採点をしろと言われても、ものすごく難しいです。全部ひっくるめて高得点としか言い様がないです。そんな感じです」

 

 そこまで言い終えて、ハリスンさんの反応を窺う。

 窺うと言っても、つむじを見つめるくらいしかできない。

 そうして待っていると、

 

「良く、わからなかったんだが……今のは、俺の顔を褒めているのか?」

 

 と、言葉が返って来た。

 良かった、声音は、いつも通りだ。

 

「まあ、そうですね。そうなりますね」

「じゃあ……俺のこの顔は、エマの好みということか?」

「え、それはもちろん」

 

 一体誰がこの顔を嫌うと言うのだ。

 誰が見たって、綺麗な顔だ。何なら当人だって、自覚がある。

 だからこそ、こんな質問をしれっと口にできるのだろうけど……これほどの男前となれば、真顔で言えちゃうものなのかな? それとも、何か別の表情を浮かべているのかな? 「うーん、ちょっと、その顔が見たくなってきた……」彼は今、その整った顔に、どんな感情を浮かべているのだろう。

 

「え、そ、そんなにか……?」

 

 突然下から、表情豊かな声が聞こえてきた。

 

「ん? あれ?」

 

 ひょっとして。

 

「……私また何か、口に出てました?」

 

 ハリスンさんは、やっぱりその質問には返事をせず、

 

「……からかってるのか……?」

 

 と逆に問うてきた。何だか悲しげだ。

 

「や、全くそんなつもりは……」

 

 本当に、そんなつもりは全くないのだ。ただ、ただただ、眠い。

 

「……ごほん。多少寝ぼけていますが、大まじめです」

「……じゃあ、俺の顔は、好きってことか……? 好きか嫌いかで言うと……」

「もちろん、好きです」

「そ、そうか……そうなのか……。てっきり全く興味がないのかと……」

「ええ、ええ、残念ながら全く興味がないと言える程、俗離れはしていないんですが、でも、安心してください。私は、どちらかと言えば中身の方が好きなので」

「そ、そうか……」

「なので、顔で評価は変わっても、態度を変えるつもりはないので、どうぞ、安心してください」

「そ、そうか…………」

「そうです、そうです」

「そ、そうだよな……。やっぱ、顔だけじゃ、な……」

「です、です」

「……」

 

 欠伸をかみ殺して、ごしごしと目を擦る。

 会話が途切れてしまったものだから、余計眠い。

 ……というか、ハリスンさんが静か過ぎて、また、不安になる。

 

「あのー、ハリスンさん? 私また、何か変なこと言っちゃいました?」

 

 おずおずと尋ねると、今度は、ふっと笑い声のようなものが聞こえた。

 

「……いいや。何か喋らなきゃ、と思うのに、あんたが他の女とあんまりにも違うから、何を言えばいいのか、わからなくなるな」

「え……そんなに違います?」

「ああ、全然違う」

 

 文脈的に、良い意味で、と考えて良いのかな……?

 尋ねたかったけれども、もうそんな時間はなさそうだった。

 ゴールはもう目と鼻の先で、しかも、私を出迎える人影さえもがそこに見えていた。

本編全10話+おまけ予定です。

もうしばらくお付き合いくださいませ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ