おじさん
町中で、宿を取っていた。
「トーマス」の名前で予約し、昨日まではトーマス青年が一人で宿泊していた部屋だ。
今晩は、その宿の主人に「トーマスで予約しています」と伝えて、私、こと少年と、その護衛の男の二人で泊まることにした。
少しおかしな状況ではあるが、主人は、「……はいよ」と言うだけだった。宿泊費は既に前金で払っているし、こちらの事情にはさほど興味がないのだろう。
もちろん、護衛の男は、
「トーマスってのは誰だ」
と、問うてきた。それを、
「兄の名前です」
と言って誤魔化す。
「……ま、もう雇われちまったんだし、雇用主の事情にいちいち首突っ込まないけどな」
男は諦めたように言った。
「で、お前の名前は何て言うんだ」
「トーマスです」
いつもの癖で、反射的に返してから、しまった間違えた、と気付く。
訝し気に歪んだ男の口から何か言葉が飛び出す前に、「あ、僕の名前ですか?」と無邪気さを装って付け足す。
「僕は、その、ダリャルバンです」
「ダリャ……?」
やばい、また間違えたかも。
瞬間的に思いついたのが、その名前だったのだ。
「お前、偽名名乗るにしても、そんな変な名前じゃなくて、もっと普通な名前があるだろう」
「な……! 両親に謝って下さい!」
私は、激昂してみせた。
三割くらいは本心から出た言葉だったので、かなりの迫真さを帯びていた。
男は、何となくたじろいだような表情を作った後、「悪かったよ」と言った。
悪かったよがきんちょ、と言った。
偽名だと信じているのかいないのかわからないが、名前を呼ぶ気はなさそうだった。
「俺は、ハリスンだ」
「わかりました。ハリソンさん」
「ハリスンだ」
「ハリソ……」
「ハリスン」
ハリソンじゃないのか……?
ハリスンというのは、私の故郷では耳馴染みも舌馴染みもない名前で、私には発音が難しかった。慣れない子供の短い舌だと、尚更だった。
「わかりました。僕もあなたのお名前覚えました、おじさん」
「……」
護衛、もといおじさんは、何か言いたげな顔をした。
けれども、多分、こちらの事情を少なからず察したのだろう。結局、何も言わなかった。
あるいは言えなかったのか。
だって、あちらはあちらで、私のことを「がきんちょ」と呼んでいるのだから。