幕引き
「エマさああん」
彼方から、私を呼ぶ声が聞こえた。
よく通る大きな声で、でも何故かちょっと間が抜けて聞こえる。その人の人となりを表したかのような、声だった。
私にはそんな大きな声は出せないので、軽く手を振ることで返事をする。
「あんたの……同僚か何かか?」
ハリスンさんが怪訝な声で尋ねてきた。
彼は――厳密に言えば、同僚とは少し違う。彼とは、配属も立場も違うのだ。でも、同じ部門の後輩なのだから、当たらずとも遠からず、といったところだろうか。
だから、
「ええまあ、大体そんな感じです」
と答えてみる。
「エマさあああん、大丈夫ですかー!?」
また、大きな声がした。
どことなく心配の色が混じる雷声だ。
たかが一日帰還が遅れたくらいで何を大袈裟な、と思いかけて、はたと気が付く。私は今、背負われているのだ。子供か、あるいは怪我人のように。
「ああ……えっと、私、そろそろ降りますね」
惜しい気持ちが、ないわけではない。けれども、どんなに先延ばしにしたところで、数百メートル先でお別れなのだ。
後輩の前であまり子供じみた姿を晒すのも気恥ずかしいし、今のうちに降りておくのが良いだろう。
「ありがとうございました、助かりました」
と言って、久方振りの地面に足をつける。
ハリスンさんと、並んで歩き始める。
「なあ、エマ」
「はい?」
「エマは普段、ここで仕事をしているのか?」
「そうですねえ……少なくとも事業を完遂するまでは、ここで仕事をする予定ですね」
「じゃあ……俺に、挽回のチャンスを与えてくれるか?」
「挽回?」
「ああいや、傭兵として雇えと言ってるわけじゃないんだ。だけど、また、会って欲しいんだ。俺はきっと、この曲がった根性を立て直してくるから、その時にまた、会って欲しい」
え、と思って隣を見上げると、ハリスンさんが熱のこもった目で私を見ていた。
「……駄目か?」
「い、いいえ、こちらとしては願ったり叶ったりですけど……」
「そ、そうか、ありがとう」
花が綻ぶような笑顔に、なんだかドギマギしてしまう。
イケメンの笑顔、しかもそれを独占しているようなこの状況――いかに私と言えども、そう易々とやり過ごせるものではなくて、ぷいと目を逸らしてしまう。
そこに、ドタドタと駆け寄って来る長身の男の姿が目に入った。
先程までは大人しく――彼にしては大人しく、大声で叫ぶに留まっていたはずだけれども、辛抱堪らなくなったのか、持ち場を離れてこちらへと向かい始めたらしい。業務時間内だというのに勝手に庁舎を離れたりして、困った人だ。とはいえ、出迎えられた身では怒る気にもなれない。
彼は私たちのすぐ傍まで駆けて来て、でも相変わらずの大声で「エマさん、怪我、したんですか!?」と尋ねてきた。息が切れている。
「全然。私がそんなにやわじゃないの、あなたも知ってるでしょ」
そう答えると、彼は、痩躯を曲げて「はー、良かった」と息を吐き出した。次いで、「で、こちらは……?」と、ハリスンさんの方に視線を向けた。
「こちらは、私の臨時護衛の、ハリスンさん」
「ハリスンさん……?」
「で、こちらは、私の後輩のダリャルバン」
「ダリャルバン!?」
面白い反応だ。思わずくすりと笑ってしまう。
それで、釣られたように、ダリャルバンもアハアハと笑い始めた。
「驚きの名前ですよね、アハハ。ダリアちゃんが生まれるはずだったんですけど、何の間違いかこんなでかい男が生まれてしまいまして。慌てて名付け直されたもんで、こんな不思議な名前になってしまいました、アハハ」
ダリャルバンは慣れた調子で説明し始めた。ハリスンさんの驚きは別のところにあったに違いないが、そんなことはダリャルバンが知る由もない。
ハリスンさんは目を丸くして、ダリャルバンを観察していた。本当に実在したのか、と顔に書いてあるようだった。
「では、ハリスンさん。本当にありがとうございました。私はダリャルバンと帰りますので、また、いつか」
「ああ、こちらこそありがとう。また――」
私たちは、握手を交わし、しばしのお別れをする。ほんの少し、しんみりとした雰囲気になるかもしれない。けれども――
「ちょっと待って下さい! エマさんは、一人で帰ってください。僕は、ハリスン様をお送りしますので!」
思わぬ待ったが入って、「は?」と声を上げてしまう。
ついさっきまで私のことを心配していたというのに、今度は一体何だというのだ。
「お送りしますって、ダリャ、仕事は……。というか、ハリスン『様』って……」
「だって、セナの英雄、ハリスン様でしょう!? 僕、同郷なんですよ!」
ダリャルバンは眼をキラキラと輝かせている。そこには、ほんの一点の曇りも認められない。
本当にそうなの? という気持ちを込めて、ハリスンさんの方に視線を向けると、ハリスンさんは薄っすらと頬を染めて、顎をぽりぽりと掻いていた。
なるほど、地位……。
「大丈夫です、大丈夫です! 僕が万事上手くやりますからね! エマさんはお疲れでしょうから、先に帰って休んでいて下さい!」
何がどう大丈夫なのか。相変わらず空気の読めない男め。
……だけど、まあ、いいか。
しんみりとするのは、あんまり好きじゃない。笑顔で別れよう。
笑顔で背を向け、帰還する。
「寂しくなるな……」
ぽつりと零し、苦笑した。
今生の別れでもあるまいし、再会の約束すら交わしたというのに、心というのはまったく、ままならないものだ。
■ ■ ■
「ダリャルバン。お前は彼女の、何なんだ?」
がしりとした体躯の男が尋ねる。
「僕ですか、僕はしがない後輩ですよ!」
痩身の方が、おどけたように答えた。
「彼女は偽名としてお前の名前を名乗っていた。本当に、ただの後輩なのか?」
「ええ!? わざわざこんな偽名じみた名前を……? エマさん、そういう抜けたところ、ありますよねえ。…………でも、そういうところが、かわいい――……ですよね?」
ギロリと目がつり上がるのを見て、「うそです、うそです! カマかけました!」と両手を上げて痩躯をのけ反らせた。
「僕はですね、本当に、あなたのことをすごく尊敬していますし、すごく応援しているんです!」
「どうだか……」
「本当ですって! そうだ、僕、良い物を持っているんです」
懐から、くしゃくしゃの紙のようなものを取り出して、掲げて見せる。
「ほら! 公務員の募集要項! 今年は剣士も募集していますよ!」
「……ほう」
「正直なところ、ものすごく狭い門ですし、エマさんの隣に立つにもものすごい高い壁があると思うんですが、ハリスン様ならきっと大丈夫です!」
「高い壁……」
「あーあー、変な意味じゃないです。ただ、その、エマさんはあの通り抜けているので……多分ハリスンさんの気持ちに全く気付いていないかと……」
「……だろうな」
「……言わないんですか?」
「言うさ。……でも、こんな風に外堀を固めるような女々しい男が、口にして良いことじゃない。相応しい男になってから出直すつもりだ」
「なるほど、そういうことでしたか! ……あの、わかっていると思いますけど、なるべく急いで下さいね?」
男は、眦を決して、「ああ、すぐに戻る」と返した。
「とまあ、そんな会話をしてきました」
言うやいなや、二体の小ゴーレムは、さらりと姿を消した。
ダリャルバンお得意の泥人形劇は、幕を閉じたらしい。
「どうですか、僕の仕事は」
どうですか、って……よくもまあ、そんな笑顔で尋ねられるものだ。
「そうね……業務時間内に悠長に先輩の悪口を言うなんて、やるじゃない」
と答えると、「ええ!? 悪口!? 言ってません! 言ってませんって!」と言って、手をばたばと振り始めた。
「まあ……いいけど。あなたの再現魔法の出来の良さは、良く分かったわ。また腕を上げたみたいね」
褒めに転じてみせれば、ダリャルバンはすぐさまニコニコな笑顔を取り戻した。本当に、底抜けに朗らかで幸せそうな男だ。
「そうでしょう、そうでしょう、ふっふっふ……――じゃなくてですね!」
「はいはい、わかったわかった、素晴らしい勧誘活動、ご苦労様」
「おお……!?」
「でもね、ダリャルバン。あの人はしがない公務員なんかじゃなくて、そうねー、大帝国とかに渡って華々しい復活を遂げるんじゃないかなあ」
「えええ……いや、そういうことにはならないと思いますけど……」
「わかってないなあ。ハリスンさんはね、あなたが思っている、何倍もすごいのよ」
「すごい……? すごく格好良い、とか……?」
「そう、すごく格好良くって、すっごくできる男なの。あーあ、私にも再現魔法があれば、いつでも見返せるし、あなたにももっと上手く伝えられるはずなのになあ」
「おお……!」
あーあ、なんだか会いたくなってきちゃったな。
今頃彼が、モテてモテて困ってなければいいんだけど。
本編完結となります!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!




