ヤバいヒロインしかいないラブコメ。
どうしてこんなことになったんですかね……。
俺、文芸部の部長である天津聡太は目の前の修羅場を眺めながら、思案していた。
目下の悩みは、文芸部の部室の中で言い争っている二人だ。
「私のそーちゃんに近づかないで!! そーちゃんのいちばんは私なんだから!」
瞳孔をガン開きにしてハイライトが消えた目で、目の前の女子に怒鳴る俺の幼馴染。
見た目はいかにも黒髪黒目の大和撫子で、この時代にこんな清楚な美人がいるなんて驚くほどの美少女だ。
ただし、俺が別の女子を話していると、やかんの湯が沸騰したようにキレ散らかす。
それに相対するのは、ウルフカットにがっつりグリーンのインナーカラーを入れている、イケメン系美少女。
「いや、別に君のじゃないでしょ。聡太もそういう束縛嫌がってると思うよ。ね?」
「……」
ウルフカットの美少女は「ね?」という言葉とともに、首を傾げて浮かべてこっちを見てくる。
一件俺のことを考えてくれているような発言だが、俺は知っている。
こいつこそ一番独占欲が強くて、束縛してくる女だということを。
獲物を狙う肉食獣のような瞳が、それを物語っている。
「「そーちゃん(聡太)はどう思う?」」
「いやぁ……どうかな」
巻き込まれないために穏便な返答をして、視線を横に向ける。
するとニコー! と元気な笑顔を浮かべている美少女と目が合った。
「ははっ、いつもやってるねー」
「ああ、そうだな」
コイツは俺の妹だ。
俺と同じく黒髪黒目。
しかし顔はやたら整っており、身内びいきを取り除いても十分美少女と言える容姿だ。
他の人間の前では猫を被っているが、俺の前ではその仮面は被らない。
「兄貴は私のだもんね?」
「いや、別にお前のじゃないけどな」
「えー、つまなーい」
肩を掴んで揺さぶってくるので、頭をぽんぽんと撫でてやった。
すると「へへー」と嬉しそうな表情になる。
肩をトントンと叩かれて、横を向く。
そこにいたのは、
「はぁはぁ……。ねぇ、天津くん……もう一度、私のおしりを叩いてくれないかしら……」
頬を紅潮させた金髪碧眼の美少女。
コイツは一応学校一番の美人と言われているのだが……今はどこからどう見ても不審者だった。
「……あそこに混ざったら、やってもらえるんじゃない?」
俺は騒ぎの中心を指差す。
「そうかな、そうかも……」
学校一の美人はニヤけた笑みを浮かべながらその輪に入っていった。
面倒くさそうに二人に尻をスパァンッ! と叩かれる。
「あぁんっ!!」
すると嬌声を上げてビクビクと痙攣し始めた。
「……」
そんな光景を見た俺は……すべてを諦めた。
カバンからライトノベルと、ノイズキャンセリングつきのイヤホンを取り出す。
こんなときのために買っておいた一品だ。少々値は張るが、俺の現実逃避には欠かせない代物と言えるだろう。
イヤホンを嵌めて雑音をシャットアウトした俺は、先日買った『幼馴染が今日も修羅場です』という題名のライトノベルに視線を落とす。
ちょうど今、修羅場が始まったところだった。
ヒロイン同士の主人公を奪い合うやり取りが小気味よく、見ていてニヤけてくる。
「現実の修羅場が、こんなに楽しそうならなぁ……」
俺は目の前の地獄絵図を見て、そう呟くのだった。
***
清楚で大和撫子な幼馴染、三条あやめと俺が出会ったのは、小学校の頃だった。
あやめの家は歴史のある名家らしく、そこのお嬢様だった。
当然、小学校では浮いていた。
毎日放課後になれば友達と遊ぶこともなく、校門の前まで迎えに来る車に乗って習い事へと行くのだ。
子供というのは普通と違う人間はどことなく避けるもので……あやめにまともな友達はいなかった。
それが変わったのは小学校四年生のころ。
放課後、クラス委員の仕事を一人でしているあやめを、たまたま俺が見かけたのだ。
どうやら元々クラス委員だったやつがサボったらしく、二人でする作業をあやめは一人でしていた。
(男子はくじで決めたからやる気はないんだろうけどな……)
あやめは無表情でもくもくとプリントをホッチキスで止めていた。
しかし、プリントの山は大量にある。
「はぁ……」
俺は頭をかくと……あやめの前の席に座った。
机にもう一つ置いてあったホッチキスを手に取り、プリントを閉じていく。
「三条さん、手伝うよ」
「……あなたに手伝ってもらう義理はありません」
ツンと澄ました声であやめは俺を睨んできた。
「クラスメートじゃん。それに、大変そうだったし」
「こんなの、私一人でなんとかなります」
「あんまり何とかなってなさそうだったけど?」
「……」
俺がそう言うとあやめは黙った。
大量にあるせいで仕事がまだ半分も終わってないのは、目に見えていた。
それはあやめも分かっていたのか、俺の言葉には何も返さず仕事を再開した。
それからしばらく俺達は無言で仕事を片付けた。
そうして、最後のプリントにホッチキスを閉じる。
「これで終わりだな」
「……そうですね」
「じゃあ、俺はこれで」
「あっ、あのっ……」
俺が椅子から立ち上がると、あやめが俺を呼び止めてきた。
「どうしたの?」
「あ、ありがとうございます……」
頬を染めながらお礼をいうあやめに、俺は笑って答えた。
「どういたしまして」
きっかけは、そんな些細なことだった。
俺達はそれからよく話すようになった。
休み時間や放課後のちょっとした時間など、あやめから話しかけてくることも多くなった。
子供というのは一度話せば仲良くなるのは一瞬で、俺達もすぐに仲良くなった。
その過程であやめの俺の呼び方は「天津さん」から「そーちゃん」へと変わり、俺からあやめへの呼び方は「三条さん」から「あやめ」へと変わった。
高校に入ってからも幼馴染の関係は続いているのだが。
……最近はどうにもその友愛が重い気がする。
昼休み。
俺とあやめは一緒に昼食を取っていた。
「そーちゃん。はい、あーん」
あやめが笑顔で玉子焼きを差し出してくる。
「あやめ……さすがに教室の中でそれは恥ずかしいんだが……」
「別に誰も気にしないよ?」
「俺が気にするから。それに皆気にしてるから」
さっきから教室中の視線が痛い。
しかしあやめはニコニコと笑うだけで、玉子焼きを引っ込めはしない。
俺は観念して玉子焼きを食べた。
「ふふっ、美味しい?」
「ああ、うまい」
「よかったぁ……そーちゃんのために早起きして作ったんだよ?」
あやめは毎日早起きして、俺のために弁当を作ってくれている。
頼めば家の料理人が作ってくれるだろうに……どうしてわざわざ俺のために手作りなんかするのか。
「そっか。でも別に毎日早起きする必要は……」
「だめだよ!」
俺がそう言うと強めに否定された。
あやめは俺へ「めっ」と人差し指を立てる。
「幼なじみは毎日お弁当を作るものなんだよ。それで、一緒にお昼ご飯を食べるの」
「そ、そっか……」
あやめには自分だけの強い幼なじみ像がある。
そのため、俺がその幼なじみ像から外れたときは、こうして軽く注意をしてくるのだ。
この年にもなってそういうことをされるのは流石に恥ずかしいのだが、いくら言ってもやめてくれる気配はない。
まぁ、別に迷惑ではないから構わないのだが。
「あ、そうだ」と俺はあることを思い出した。
「そう言えば、この後文芸部の奴らと……」
「──なんで私以外の女の話をするの?」
頭を掴まれ、グリンッ! とあやめの方を向かされる。
「ヒエッ……」
ハイライトが消えたあやめの目が俺を見つめてくる。
正直に言って、まじで怖い。
うっかり忘れていたが、なぜかあやめは他の女子の話題を出されるのがとびっきり嫌なのだ。
「ねぇ、なんで他の女の話したの? 私はそーちゃんしか見てないのに。ね、これって浮気だよね?」
「ご、ごめん……」
「いいよ!」
俺が謝るとあやめは花の咲き誇るような笑みを浮かべた。
「私もごめんね、怒っちゃって」
なんとか危機を脱出できたことに、俺は安堵の息を吐いた。
またあやめの怒りが再燃しないように、俺は素早く話題を変える。
「そういえば聞きたいんだけど」
「はい! そーちゃんの質問にはなんでも答えるよ! 身長でも、好きなおかずでも……その、恥ずかしいけど、胸のサイズ、とか……でも……」
あやめが頬を染めると、上目遣いで見上げてくる。
聞き耳を立てていた教室中の男子たちが一気に静まり返った。
俺は至って冷静に流しながら、以前から抱いていた疑問を投げかける。
「いや、聞かないから。それよりあやめって、中学でもずっと成績一番だったし、もっと良い高校入れただろ。どうして入らなかったんだ?」
「そんなの簡単だよ。そーちゃんがいるところが私の通う高校だから、そこを受けただけ」
「そんなくだらない理由でここ受けたのか?」
「くだらなくないよ」
「おわっ!?」
いきなり目からハイライトが消えたあやめが、至近距離で俺のことを見つめていた。
「同じ高校を受けたのはずっといっしょにいるための計画の一部なの。いくらそーちゃんでもくだらないって言わせないよ」
「ご、ごめん……」
「分かってくれればいいんだよ」
あやめはまたニッコリと大和撫子の笑顔に戻って、すとんと席に座る。
「私、ちゃんと将来の計画を立ててるの」
「へ、へぇ……」
「聞きたい?」
「いや、別に……」
「聞きたいよね。あのね、高校はこのままそーちゃんと三年間一緒のクラスで過ごして、卒業後も同じ大学に通って、それで同じ会社で同僚として働くの。それから……うふふふふふふふ」
自分の世界に入ったあやめを尻目に、俺はため息を吐く。
「流石に、いくらなんでもそこまで一緒にいる必要はないんじゃないか?」
「そんなことないよ。だって私たち、幼馴染だもん。幼馴染は一生一緒にいるものなんだよ?」
俺の知ってる幼馴染と、あやめの中の幼馴染では大きな乖離があるらしい。
最近、幼馴染の愛が重い気がする……。
***
俺が鷹見麗央と出会ったのは、高校に入ってからだった。
「ねーねー、あの子かっこよくない?」
「ほんとだ、イケメン過ぎる……!」
入学早々、クラスの女子達が騒いでいるのを聞いた俺は、視線を向けた。
するとそこにいたのはウルフカットにグリーンのインナーカラーを入れたイケメンだった。
顔は整っており、佇まいも洗練されていて、女子たちがイケメンだと言うのも納得できる容姿だ。
ただし、そいつは女子だった。
麗央はすぐに有名になった。
その優れた容姿は去ることながら、紳士的な振る舞いは女子たちの心を鷲掴みにした。
女子バスケットボールにも所属しており、一年生だというのに入部してすぐにエースとなったそうだ。
あまりにイケメンであることから、麗央は次第に『王子』と呼ばれ、崇拝されるようになっていた。
それからしばらくは何となく別の世界の住人のような気がして、業務連絡を何回かする程度の仲でしかなかった。
それが変わったのは、珍しく雨の日で電車登校をしている日のことだった。
俺が何となくボーっとしていると、少し離れたところに鷹見麗央がいることに気が付いた。
(あいつも電車通学だったのか……ん?)
そこで俺は眉根を寄せた。
鷹見の様子がおかしい。
怯えるような瞳で、電車の吊り革を持っている。
その後ろには中年のサラリーマンが、ピッタリとくっついている。
「──っ!」
俺はすぐさま鷹見の元へと向かった。
そして中年のサラリーマンの手を掴む。
「なっ、なんだ!」
「次の駅で降りてもらおうか」
麗央は痴漢をされていたのだ。
サラリーマンの腕を掴む俺を見て、麗央は目を見開いていた。
それからは事情聴取やら何やらで、俺と麗央は高校に遅刻してしまった。
「ふー……ようやく解放されたな」
俺が伸びをしていると、麗央がお礼を言ってきた。
「その……ありがとう」
「別に、大したことはしてないって。それじゃ、早く行こうぜ」
俺が歩き出した時、麗央が背後から声をかけてきた。
「……失望しただろ?」
「はい?」
「普段は王子様みたいに振る舞ってるのに、いざ痴漢と遭遇したら、声も出ないんだ。こんなのが王子様を気取たって……」
麗央は自嘲しながら俯く。
そんな麗央に、俺は肩をすくめてこう言った。
「別に、良いんじゃない?」
「……え?」
「誰だって怖いだろ、痴漢なんか。逆に、俺は完璧だと思ってた王子様にも怖いものはあるんだなって、親近感湧いたぞ」
「……はぇ」
気の抜けた声が聞こえてきた。
「ん? どうしたんだ、そんなに赤くなって……」
「い、いや何でもないから……!」
急に顔が真っ赤になった麗央の顔を覗くと、目を泳がせて顔を逸らされてしまった。
それから、麗央とは徐々に交流を持つようになった。
「聡太、これ似合うかな?」
ウルフカットをまとめてポニーテールにした麗央が聞いてくる。
「ああ、似合ってるよ」
「そっか……ふふ」
俺が褒めると麗央はニヤけた笑みを浮かべる。
元々男子みたいな雰囲気のある麗央は案外付き合いやすく、俺達はすぐに親友になった。
本人に男子みたいということを言うとなぜか麗央は不機嫌になるんだけど。
呼び方もお互い「聡太」と「麗央」になったころ……一つ変わったことが起こった。
「ねぇ、聡太。昼休みバスケしに行こうよ」
「ごめん麗央。今日はあやめと生徒会の手伝いに行かないといけないんだ」
「……」
「どうした麗央」
「あのさ」
顔を上げた麗央の表情には、今まで見たことのないものが渦巻いているように見えた。
「私とあやめ、どっちが大切?」
「え? いや、そんなこと言われても……」
「私は!」
麗央は大きな声を出した後、拳を握りしめ俯く。
「私は……聡太が一番大切だけど?」
え、どうしたの急に。
なにこの雰囲気。
俺、あやめの手伝いで生徒会室に行くだけなんですけど。
なんだかよくわからないけど、謝っておこう。
あやめのときもあまり理解してなくても謝ったら何とかなったし。
「え、えーと……ごめん」
「……」
すると麗央は以外そうな表情になり……どこか仄暗い笑みを浮かべた。
「…………謝ったってことは、そういうことだよね?」
「あー……うん。たぶんそう」
女子が起こってるときは取り敢えず平謝り。
これが一番丸く収まる方法だ。
妹もそう言っていたし、あやめで実証済みだ。
「そっか。じゃあ──聡太は、私のものだね」
「え?」
「だってそう言ったもんね。私が一番なんだよね?」
「い、いやそこまでは……」
俺が慌てて否定すると、麗央の瞳から……光が消えた。
「へぇ……嘘ついたんだ?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「嘘でしょ。だってさっき私のことが一番だって言ったじゃん」
「え、そんなこと言ったっけ……?」
「言ったの!」
何なんだ一体。
俺は取り敢えず麗央を落ち着かせることにした。
「わ、分かったごめん。俺の一番の親友は麗央であることに変わりはないから」
「……そっか!」
さっきまでとは打って変わってニコッ! と爽やかな笑顔を浮かべる麗央。
「引き留めてごめん。生徒会の仕事、頑張って」
「あ、ああ……ありがとう」
態度の変わりように困惑しつつも、俺は生徒会室へと向かうことにした。
その背中に、ボソッと何かが聞こえてきた。
「…………でも、それは“幼馴染も含めて”じゃないんでしょ」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、なんでも」
麗央が首を横に振る。
何だ、俺の聞き間違いか。
俺は歩き出す。
だからこそ、俺は気がつかなかった。
「私が一番って……分からせないとね?」
肉食獣のように俺を見つめるその背中に。
その日から、麗央はやけに俺に独占欲を発揮するようになった。
最初は控えめだったが、次第に独占欲を隠さないようになってきた。
そしてついに、事件が起こった。
二人きりで体育倉庫で片付けをしてると、突然麗央に押し倒されのだ。
「れ、麗央……っ!?」
「ねぇ、私、思ったんだ……聡太が私のことを一番だって思うようにはどうすればいいのか、って」
なんとか逃れようと手を動かす。
マウントポジションを取られて手首を押さえつけられているため、容易には抜け出せそうにない。
そう言えばコイツ、柔道の心得があるとか言ってた気がするな……!
やけに色っぽい表情を浮かべている麗央は、まるで猛獣のように舌なめずりしながら俺へとこう言った。
「聡太が忘れられないような思い出を作ったら……私が一番でしょ?」
「何いってんだお前!?」
俺は思わずツッコんだ。
親友として一番であるためにここまでするか普通!?
麗央が俺に顔を近づけてくる。
「もう無駄だよ。聡太はこのまま私に……」
「そーちゃん、大丈夫!?」
その時、体育倉庫の扉が勢いよく開かれた。
救世主は俺の幼馴染のあやめ。
あやめのこの状況を見て目を見開く。
「あやめ!」
「そーちゃ……なにこれ!? 鷹見さんがどうして……」
「……あーあ、邪魔が入っちゃったか」
麗央はつまらなさそうに呟くと、立ち上がって俺の上からどいた。
ようやく拘束が解けた俺は、手首をさすりながら麗央の方を見る。
すると麗央は振り返り、俺へと仄暗い笑みを向けた。
「忘れないでね。私はまだ狙ってるから」
そう言い残した麗央は歩いていく。
その後、あやめからしつこく質問されたのは言うまでもない。
翌日、麗央は俺とあやめが所属する文芸部へと入部してきた。
バスケ部と掛け持ちできるようになったらしい。
麗央は入ってくるやいなや、俺の肩を叩いて「これからよろしくね」と耳元で囁いた。
先日のような、猛獣のような瞳で。
あやめと麗央が互いに敵対心を燃やすようになったのはその出来事からだった。
***
俺が桜田アリスと出会ったのは、生徒会の仕事を手伝うようになってからだった。
俺の幼なじみのあやめが生徒会に所属しており、その仕事の手伝いとして、よく生徒会室に顔を出していたのだ。
そこにいたのが、桜田アリスだ。
アリスを一言で表すなら、完璧超人だろう。
まず、おとぎ話から出てきたかのような可愛らしい容姿。そして目を引く金髪碧眼は、どこか俗世とは隔離された神秘的な美しさがある。
そして、勉強も運動もできる。
成績はあやめを抑えて学年一位を堂々とキープし続けており、色々な部活の大会で助っ人に出ては、華々しい活躍を残し続けている。
それに加えて、誰に対しても分け隔てなく接する性格の良さ。
まさしく完璧超人という言葉がこれ程似合う存在は他にはいないだろう。
これらを見込まれて、アリスは一年生ながら生徒会の副会長を務めており、次の生徒会長当選は確実だと言われている。
だがしかし。
桜田アリスには、一つ、欠点があった。
それは、俺があやめの生徒会の仕事を終えたときのことだった。
仕事を終えて下校する際に、俺は生徒会室に忘れ物をしたことに気が付いた。
「あ、忘れ物した。取ってくるから、先に下駄箱の方へ行っといてくれ」
「分かった。校門のところで待ってるね」
俺はあやめにそう告げて生徒会室へと戻る。
ガラガラ、と扉を開けると、アリスがまだ残って仕事をしていた。
どうやらイヤホンをつけて仕事をしているようだ。
アリスは扉側に背中を向けているので、どうやら俺が入ったことは分かっていない様子だった。
イヤホンを聞きながら作業なんて、意外と普通の人っぽいところもあるんだな、と思いながら忘れ物を探す。
「お、あったあった」
机の上に筆箱が置いてあった。
そこへと向かおうとした時。
『お前は本当にグズだな。このウジ虫が』
「…………ん?」
俺は顔を上げた。
アリスは涼しい顔で仕事をこなしている。
……聞き間違いか。
顔を上げ、もう一度筆箱を取ろうとしたその時。
『お前のようなグズが、この俺の褒美が欲しいと? やるわけなかろう。どうしてもと言うなら……今からお仕置きをしてやる』
絶対に聞き間違いじゃない。
これは恐らく、女性向けのドM専用ASMR作品だ。
当然、俺はこんなのは聞かない。
この部屋にいるのは俺とアリスだけ。
つまりこれを聞いている主は……。
アリスの方を見ると、スマホと繋がっているイヤホンが……半分刺さっていなかった。
「…………」
まさかとは思うが…………この音声はアリスが聞いているもので、イヤホンがちゃんと刺さっておらず、音が漏れ出ていることにも気がついていないのだろうか。
……いや、まさかな。
あの完璧超人桜田アリスが、こんなものを聞いている訳が無い。
そうだ。なにか俺の勘違いのはず……。
いや……多分絶対聞いてるわ。
だって、背中を震わせながらめちゃくちゃニヤけてるし。
「はぁ……はぁ……」
完璧超人が不審者のような息遣いをしている。
嘘だろ……あの桜田アリスが、言葉責めASMR作品を聞いているだと……!?
俺の驚愕をよそに、ASMR作品の方がだんだんと盛り上がってくる。
『さあ、俺にその背中を──』
「あのー……」
「ひゃいっ!?」
危ないところに入りかけたところで俺はアリスの肩をポンポン、と叩いた。。
するとアリスはビクン! と身体を撥ねさせる。
「ななな、なんでしゅか……!?」
相当焦っているのか、目を泳がせるアリス。
俺はかなり気まずさを覚えながらも、アリスのスマホを指さした。
「あの……イヤホン、抜けてるよ」
「へ?」
アリスは自分のイヤホンに視線を落とす。
そして半分ほど抜けているイヤホンを視認した後……。
「なっっっ……!!??」
顔を真っ赤に染め上げた。
「うそうそうそ! なんで、なんで抜けて……まさか!」
「ちょっ、おわっ……!?」
アリスは振り返ると、俺の制服の襟首を両手で掴んだ。
「聞こえた!?」
「え、えーと……」
「ねぇ、聞いたの!? 聞いてないわよね!?」
「なにもきいてないよ」
目を逸らして答える。
ちょっと棒読みだったかもしれない。
するとアリスはカァァァァ……と顔を赤く染め、両手を顔で覆った。
「あの、桜田さん……?」
「………………もう、お嫁にいけない」
消え入るようにそう呟くアリス。
「だ、大丈夫だって! 俺も……」
慌てて俺は何かアリスを励ます言葉がないか考える。
そうだ、これなら……!
「俺も結構Sなところあるし、Mなくらい普通だって! 人って大抵SかMかで、どちらかと言えばMの方が多いらしいし!」
グッ! とサムズアップをしてそう言った。
俺は別にSではないし、そんな話も聞いたことがない。
「…………ホント?」
潤んだ目で見上げてくるアリスに、何度も頷く俺。
「そうそう。だから別にちょっとMなくらい、落ち込むことないって」
「……そう、かな」
「今日のことは誰にも言わないって約束するし、安心して」
「うん。ありがとう……天津くん」
アリスは微笑んで、目元の涙を指で拭う。
ようやくアリスは立ち直ったようだ。
これで一安心。さっさと帰ろう。
「じゃあ、集中してるとこ邪魔してごめん。俺はこれで帰るから……」
この場から去ろうとした時……アリスから声をかけられた。
「あ、あの……天津くん!」
「な、なに?」
「その……天津くんはえ、S……なのよね?」
「……そうだけど」
さっき自分でSだと行ってしまった手前、否定することも出来ない。
するとアリスはカバンから一枚の紙を取り出し、俺へと差し出してきた。
「それならこれ……読んでくれないかしら!」
「これは……」
¥
差し出された紙を受け取る。
そしてその内容を読んで……俺は固まった。
「その……私の自作の言葉責めの原稿なんだけど……」
「………………」
モジモジと恥じらうアリスが俺へと差し出してきたのは、言葉責めの原稿だった。
それも自作だ。
原稿にはびっしりとアリスの理想の責め苦が書き連ねてある。
相当な熱量を込めて書かれたのだろう、というのが文面からひしひしと伝わってくる。
少しくらいと言った言葉を訂正しなければならない。
桜田アリス。
こいつは──ドMだ。
「ずっと誰にかに読んでほしかったんだけど、イメージがあるから言い出せなくて……でも、天津くんはSなのよね!?」
アリスがぎゅっと手を握って聞いてくる。
「そ、そうだけど……」
「お願いできないかしら!!!」
「でも……」
「お願い! 本当にちょっとだけで良いから!!!!!」
「…………分かった」
自分でSだと言ってしまった手前、否定することもできない。
そしてアリスの目力と勢いに押された俺は、つい引き受けてしまった。
俺は今更ながら適当なことを言ってアリスを励ましたことを後悔した。
「あー……お前って本当に無能だな。どうしてそんなに役立たずなんだ?」
「はうっ……!」
「……お前は自分がどれだけ無駄な存在か理解していないのか? どうしてそんな生き恥を晒しているのか理解できないな」
「くっ……!」
「その惨めな姿、本当に笑えるな。俺を笑わせるために存在しているのか?」
「はぁん……っ!!」
死んだ目で原稿を読み上げる俺。
俺が原稿を読み上げる度、身体を抱いて身をくねらせるアリス。
今の生徒会室は、異様な雰囲気に包まれていた。
「い、一旦ストップ……!」
アリスの合図で俺は原稿を読むのを切り上げた。
パイプ椅子の上でしばらく痙攣した後、アリスは満足そうにため息を吐いた。
「やっぱり人に直接言ってもらうのは一味違うわ……!」
アリスはよだれを手で拭う。
……できれば、完璧超人のこんな姿、見たくなかった。
「……お気に召してもらえたならなによりです」
恍惚とした表情で、至福の笑みを浮かべているアリス。
「生で言ってもらうのって、最高ぉ……」
その時、俺のスマホがブルリと震えた。
画面を見て、俺は苦い表情になった。
「げっ」
『そーちゃん、どうしたの? お腹痛くてトイレ行ってるの?』
あやめからメッセージがきていた。
そう言えば、校門の前で待たせている最中だった。早く行かないと。
「じゃあ、俺はそろそろここで……」
生徒会室から出ていこうとすると、アリスがガシッ! と俺の方を掴んだ。
「待って! もう一回! もう一回だけお願い!」
「嫌だよ! もう十分付き合っただろ! こっちは人を待たせてるんだ!」
「はぁっ……はぁっ……! お願い! あとちょっと、ちょっとだけで良いの!」
息を荒げ、危ない笑みを浮かべながら迫ってくるアリス。
学校一の美人とまで言われているアリスが、今はただの不審者だ。
くっ……! なんだコイツ、変態のくせに力が強くて振りほどけない!
「駄目なものはだめだ! 黙ってろこの……メス豚ぁ!」
「あぁんっ!!」
先程の原稿を思い出しながら罵倒すると、アリスは倒れ込んだ。
俺はその隙を見て生徒会室から逃げ出し、お腹が痛かったふりをしてあやめと合流したのだった。
それからしばらくしたある日。
文芸部の部室には俺しかいなかった。
あやめは家のことで用事があるらしく、麗央はバスケ部の大会に向けての練習をしていた。
その時、ガラリと扉が開かれた。
「お前は……」
「先日ぶりね」
扉の前に立っていたのはアリスだった。
アリスは部屋の中に入ってくる。
「何か用事か」
先日のこともあって、俺は少し警戒しながら問いかける。
「そんなに警戒しないで。これを渡しにきただけだから」
俺の隣りにあるパイプ椅子に腰掛けたアリスは、一枚の紙を俺へと渡してきた。
一瞬また言葉責めの原稿か、と身構えたがどうやら違うようだ。
渡されたのは入部届の用紙だった。
「私、文芸部に入ることにしたわ。ここなら表立って言葉責めの原稿を書けるし……それに、二人きりのときは責めてもらえるしね?」
クスリ、と笑ってアリスは首を傾げる。
いつもは完璧超人だが、その時のアリスは驚くほど妖艶な笑みを浮かべていた。
それから徐々にタガが外れていき、文芸部全員に性癖が知られるようになるのは、しばらくしてからのことである。
***
今日も大変だった……。
修羅場な文芸部の部室から返ってきた俺は、大きく息を吐きながら制服のネクタイをほどいた。
「お兄ちゃん、おつかれー」
すると妹の天津音々が俺の部屋に入ってきた。
よく双子かと聞かれるが、俺は四月生まれで、音々は三月生まれのれっきとした兄妹だ。
かなり容姿は整っており、学年の中でも有名だ。
入学してからすでに何人もの男子生徒に告白されているらしい。
音々はばふっ、と俺の首に腕を回して、背中から抱きついてくる。
「おい、抱きつくな」
「なんでー。愛しい妹のハグじゃん。嬉しいでしょ?」
「制服が脱ぎにくいんだよ」
「ちぇー」
すると音々は俺のベッドに腰掛け、スマホを弄り始めた。
「……なんでここにいるんだよ。着替えるんだが」
「べっつにー。兄妹なんだし、今更気にすることないでしょ?」
いや気にするんだが。
しかしこの状態になった音々は、俺が何を言おうが部屋から出ていかない。
俺は諦めてそのまま着替えることにした。
パシャ。
その時、耳にシャッター音が聞こえてきた気がして、俺は後ろを向く。
だが、音々は涼しい顔でスマホをいじっているだけだ。
「……なぁ、今写真撮ったか?」
「え、なに撮って欲しいの? いやぁ、まさか兄上がそんなナルシストだったとは」
「いらんいらん。聞いただけだ」
音々が喜々としてスマホのカメラをこちらへと向けてくる。
俺がぶっきらぼうに否定すると、音々はクスクスと笑った。
「あっ、そうだ。今日お風呂一緒に入る?」
「なんでだよ」
「いや、気分」
「何だよ気分って。入るわけねーだろ」
俺がそう言うと音々は不機嫌そうに頬を膨らませた。
「えー、可愛い妹と入りたくないのー?」
「妹と一緒に風呂に入りたい兄貴なんてこの世にいないわ」
「…………ちっ、失敗か」
「なにか言ったか?」
「なんでもー」
一瞬、音々が小さな声で何かをつぶやいたような気がしたのだが、どうやら気のせいだったらしい。
ぶっきらぼうな態度を取っているが、別に俺は音々のことが嫌いな訳では無い。
これが俺達兄妹のやり取りなのだ。
部室の中が修羅場な分、こういう気さくなやり取りが唯一の癒やしと言っても良い。
着替えも終わり、部屋から出ていこうとすると、音々がベッドから飛び起きた。
「ねーねー、お兄ちゃん。冷蔵庫のプリン食べても良い?」
「だめに決まってんだろ。あれは俺のだ」
そんな他愛もないことを話しながら、俺達は部屋から出ていった。
俺が寝静まった頃。
部屋の扉が静かに開かれた。
来客者は……パジャマ姿の音々。
音々は音を立てず部屋の中に入ると、そのままベッドまで歩いていくる。
俺のベッドの側までやって来ると、ふふ、と笑みを浮かべた。
「ふふ……無防備に寝ちゃって……」
音々はベッドの側に膝立ちになる。
そして寝ている俺の頭を撫でると。
──ちゅっ。
顔を近づけ、キスをした。
「ふふ……」
顔を上げた後の音々は頬を上気させ、内から溢れる感情を抑えるように笑っていた。
俺と血の繋がった実の兄妹……天津音々。
「大好きだよ、お兄ちゃん……」
彼女は──実の兄に恋愛感情を抱いていた。
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