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妬心

「私は···私は皇子を信じます。私を承知させる為に皇子が見せかけの愛を示しているとは思いません。皇子はああ見えてとても不器用なんです···だから私は皇子の心を信じます」

 ティアナは声を震わせながらも、はっきりと言った。いつもなら直ぐ泣き出してしまうがレギナルトを疑うよりも彼への愛が勝り涙は出なかったのだ。それでもこれから待ち受けるかもしれない試練が恐ろしくて身体は自然と震えた。

 アマーリアは彼女のその様子を見ると意地悪く光っていた瞳を大きく見開いた。少し脅せば呆気な

く自分の言う通りにすると思ったのに首を縦に振らないからだ。アマーリアは感心したと言うのか?思い通りにならなかったのが悔しいと思うのか?自分でも分からなかった。気丈な者でもあの強烈な記憶は耐えられないものだろう。女にとってそれはつらい出来事ばかりだ。


(見た感じ気弱そうなのに意外と根性がある訳ね···なるほど···)


 女神官は無意識に微笑んでいた。それは今までの愉快そうな···とか嫌味な笑みでは無かった。どこか悲しげでいて羨ましそうな表情だった。しかしその微笑は一瞬でもとの自信たっぷりな横柄な態度に戻っていた。

「貴女の気持ちは分かったわ。未来は決まっていない···そうでしょう?でもこのままだと貴女は確実にこの世に生まれた義務さえ果たせず死ぬかもね」

 アマーリアは揺るがないティアナの心に再度、冷たい言葉を投げつけた。今一度、死という恐怖と何も残せないという虚しさを叩き付けたのだ。


(さあどう?幸せな花嫁さん?)

 ティアナは、ぎゅっと瞳を閉じた。そしてゆっくりと開いた時には瑠璃色の瞳に迷いは無かった。

(え?そんな馬鹿な···)

 アマーリアはまさかと思った。彼女の瞳に死への恐怖は無くとても穏やかだったのだ。

「―――アマーリアさん。私、死ぬのは怖くないと思います···もしも私が前世のように死を選ぶとしたら···そこまで絶望するとしたら···皇子の愛を見失った時だと思います。これでも一度は死にかけたことがあるのです。でもその死にかけた時に聞いた皇子の嘆く悲痛な声を私は忘れません。皇子は私を追って死を選ぼうとした···そこまで愛して下さる皇子がもし私を捨てるとしたら私が悪いのです。だから前世では私の愛が足りなかったのかもしれません。皇子を振向かせられなかった原因が自分にあったのだと思います···ならもっともっと好きになったらいい。もっともっと愛したらいい···そう思いませんか?」


 アマーリアは咄嗟に言葉が出なかった。ここまで純粋な心の持ち主と今まで会った事がなかった···相手は悪くなく自分が全て悪いのだと言うティアナが信じられなかった。それが悔しいのか嬉しいのか分からない気持ちが胸の中に渦巻いていた。だからその腹いせのようにティアナへ不安を煽り続けた。

「私が提案するのは全くその逆。それでも道を選ぶのは貴女なのだから好きにしたらいいわ。そしてもし前世と同じ兆候が出たのなら···もう一度私の言葉を思い出したらいい―――皇子の愛は義務ゆえの見せかけだということをね」

 ティアナは今にも泣き出しそうだった。アマーリアは彼女の泣き顔を見たら少しは胸がすっとしたかもしれない。でもティアナは泣かなかった。

「色々な助言ありがとうございました。話してみて迷いが消えたようです。本当にありがとうございます」

 ティアナはそう言うと深々と頭を下げた。アマーリアは礼を言われるとは思わず驚いてしまった。だから礼を言って去って行くティアナを無言で見送ったのだった。



 ティアナはその帰り道の大神殿の中で熱心に何かを描いている若者が目に入った。何故か気になって足を止めるとその若者に近づいて行った。そして手元を覗くとそれは見事な神殿内部の写生が見えた。

「素敵!」

「え?」

 熱心に写生していた男は突然降って来たティアナの声に驚いて顔を上げた。夢中になっていて彼女が近くに寄って来たのも分からなかったようだった。そして目が合った瞬間、ティアナが微笑んだものだからその若者は真っ赤になってしまった。ティアナは異性に及ぼす自分の魅力を知らな過ぎる。男なら一度は夢に描く理想を形にしたような女性だというのに罪なものだった。

「お上手ですね?」

「あ···あの···」

「画家さんですか?」

「い、いえ。ぼ、僕は建築技師でして···」

「え?建築技師?あっ!もしかして皇城の図面描いた人?」

 ティアナはこの絵をどこかで見た事あると思っていたが、彼の職業を聞いて先日皇帝に見せて貰った城の完成予想図を思い出したのだ。のんびりとした風体の青年はどちらかと言うと芸術家のような感じだった。

「え?あっ···は、はい。そうです。でも···それをご存知の貴女は?」

 ティアナが答えるより先にハーロルトの部下が彼女の前に立ち答えた。

「冥の花嫁ティアナ様だ。下々の者が直接声をかけられるご身分の御方では無い!」

 若者はティアナの身分を聞くなり床に這いつくばって低頭した。

「も、申し訳ございません!」

 ティアナはこんな風にされるのは今でも慣れないがこれが一般的な反応だった。

「あの···どうぞ楽にされて下さい。そんなに畏まられると私の方が困ってしまいます」

「そ、そういうわけには参りません!」

 真面目そうな若者は更に頭を下げてしまった。


 ティアナは困ってしまったが彼の床に放り投げて散乱してしまった写生帳が目に入りそれらを拾い始めた。

「本当に素敵ですね?これはもしかしてオラールのお城かしら?」

 ティアナは話しかけてみたが答えは無かった。だから少し残念そうに小さく溜息をついたがそれをハーロルトの部下は見逃さなかった。彼らは本当にハーロルトそっくりだ。

「おい!お前!冥の花嫁様がお尋ねになられているのだ!答えぬかっ!」

 声をかけるなと威嚇したかと思えば、答えないと怒鳴る理不尽な態度だ。気弱そうな若者は更に怯えたようだった。

「怒らないであげて下さい。ごめんなさい。私が話しかけたばかりに嫌な思いをさせてしまって···本当にごめんなさい」

「こ、こちらこそ···も···申し訳ございません。高貴なお方には未だに慣れなくて···」

「私は別に高貴な育ちはしていません。花屋の娘だったのですからね。だからそんなに拝伏されると反対に落ち着かなくて···」

「花屋?花屋だったのですか?僕の実家は花屋をしていました」

「花屋さん?同じですね。じゃあお手伝いはしていましたか?」

「ええ、もちろん。でも暇さえあれば花の写生ばかりしていたから父から怒鳴られてばかりでしたけれど」

 ティアナは成程と思った。

「ああ、だからあのお城の絵が優しかったのですね?何だか花のようでしたものね」

 若者の瞳が輝いた。

「分かりましたか?うわぁ~嬉しいな。そうなんです!あれは花をイメージしたものなんです!美しく凛とした百合のような感じで!僕の自信作なんです!」

「百合?やっぱり!私、最初にあの完成予想図を見た時そう思ったのよ!そう聞くと出来上がるのが楽しみだわ!」

 ティアナは手を叩いて弾むように言った。しかし瞳を輝かせていた若者が瞬く間に萎んでしまった。

「あの···何か?」

「···実はまだ許可が下りないのです···」


 ティアナは昨日のベッケラートが言っていたことを思い出した。皇帝が任せたいと言っていた技師はこの若者なのだろう。

「あなたは皇帝陛下がオラールより連れて来られた方ですよね?」

「そうです。ルーベルと言います。生まれも育ちも帝国ですけどちょうどオラールへ建築の勉強をしに行っていまして、その時の師匠の工房に陛下が来られて声をかけられたもので···夢かと思いました。でも皇子が反対されているとか···」

 皇帝はオラールへ訪問中、自分の理想とする城を探して高名な技師達を訪れていたようだった。帝国には無い新しいものを望んでいても完全にオラール風にしてしまうつもりも無く、希望通りのものが中々見つからなかったようだった。しかし彼の作品を見てこれだと思ったらしい。だが難攻不落のレギナルトにそれを阻まれているのだ。

 ティアナは拾い集めた写生の中から皇城の予想図を見つけた。それは前に見たものよりもっと細部にわたって描き込まれたものだった。

「とても素敵···これは皇宮?」

「は、はい。そうです。皇城の中心である宮ですから一番美しく壮麗にと思いましてですね。それに―――」

 聞き上手のティアナに促された若者は次第に緊張も溶け、瞳を輝かせながら熱心に語り出した。親達の生業が花屋だったという共通点と、若者の飾り気のない素朴さはティアナの心を捉え、まるで昔からの友人のようだった。だからティアナにとって、ほっとする出会いだったかもしれない。皇子がその場に現れるまで―――


 大神殿の一角でとうとう座り込んで話し込み出した二人だったが、その近くをレギナルトと大神官が通りかかった。早朝会議が終わり、今度は月例の大神殿での会議出席の為に二人が足早に向っている途中だった。その皇子の耳に楽しげに笑う男女の声が入ってきた。


(ティアナ?)


 レギナルトはまさか?と思った。ティアナは具合が悪く臥せっている筈だった。聞き違いだろうと思いつつ声のする方角に視線を流した。そこで見たものは見知らぬ男と親しげに会話しているティアナの姿だった。

「おや?ルーベルですな。いつの間にティアナと知り合ったのやら?」

 急に立ち止まったレギナルトの影から顔を出したゲーゼが言った。

「ルーベル?」

 レギナルトには記憶に無い名前だった。

「ほれ、陛下が例の件で推されている若者ですぞ」

 ゲーゼが直ぐに答えた。ルーベルは以前から向学の為に大神殿の写生を希望し通っていた。その時、彼の非凡な才能を見出したゲーゼは何度か言葉を交わしたことがあるのだ。最近見かけないと思っていたらオラールに行っていたらしい。そして再会した時は皇城の技官にと皇帝が連れて来たのだ。

「思ったよりも若いな」

「才能ある···いえ、あの者は天才でしょう。皇子が反対される理由が私には分かりかねます。若いのですから実績が無いのは当然でしょうし、そのような理由だけで外すには惜しい才能ですぞ」

 レギナルトは意見するゲーゼに冷たい視線を送っただけで何も言わなかった。大神官は才能のある若者は昔から好きで今回も皇帝と意気投合のようだ。


(言い出したら聞かない年寄りを今相手するよりティアナだ!)


 思えば昨日のドロテー···と言うよりも新しい侍女カミラの様子がおかしかった。そして今朝も···堂々と何食わぬ顔をしているドロテーに比べて、おどおどと落ち着きの無い様子の侍女···


(何か隠している?何をだ?)


 レギナルトは直感でそう思った。

 また楽しげな笑い声が湧き上がった―――

(ティアナが私以外の男に笑いかけている···)

 ティアナはただ笑っているだけなのに、胸の奥からどす黒いものが染み出て来るようだった。それはいつものことだった。ティアナは誰に対してもだがとても愛想がいい。それこそ名も知らない門番から召使いにも分け隔て無く微笑みかける。微笑まれた男達は判を押したように皆が皆、彼女を見る目が変わるのだ。

それはレギナルトにとって不快でしかなかった。ティアナは悪く無いが勘違いした男が彼女に手を出すのではないかと何時も心配になるのだ。以前ドロテーからその本心を突かれた事があった。婚礼を挙げ彼女の身も心も自分のものにしてしまわないとティアナを誰かに盗られてしまうと焦る気持ちと、もしくは幻のように消えてしまうのでは無いかと思う不安。本当はあの神殿跡で彼女は死んでいて自分は長い夢を見ているのではないか?と思うことがあった。ティアナを失った絶望で本当は狂っているのではないかと···だから早く彼女が幻では無いのだと実感したかった。


 再び楽しげな声が上がる。この大神殿―――ティアナが墓参とは言っても此処に通うのもレギナルトにとって不愉快だった。此処には彼女の元恋人で自分の異母弟イヴァンがいる場所だ。もちろんイヴァンはその身を引いてそれを証明するかのように結婚を禁止されている神官となった。それでも神官など何時でも辞めることが出来る。疑おうと思えば幾らでも疑うことが出来た。

ティアナとイヴァンは皇子の性格が分かるから大神殿で会うことは無い。偶然に出くわしたとしても言葉を交わすことも無かった。二人はそうやって気を遣っていたが逆にレギナルトとしては気に障っていたようだ。そうすること事態がお互い意識し合っているようで気に入らなかったのだ。ティアナがレギナルトへどんなに愛を示しても未だに消えないイヴァンへの妬心。レギナルトは考え出したら切り無く暗くなる想いを心の奥に沈めるとティアナのいる場所へと向った。

「ティアナ···」

 レギナルトが彼女の後から声をかけた。すると何時もなら嬉しそうに振り返る彼女がビクリと肩を揺らし恐る恐る振向いたのだった。やはり何かがおかしいとレギナルトは思った。何かを隠しているのは間違い無いだろう。

「ティアナ、具合は?もう大丈夫なのか?」

 レギナルトは一度深呼吸をして心を落ち着かせながら優しく聞いた。

「あ···は、はい···だ、大丈夫です」


 短い返答―――ティアナは嘘が得意では無い。言葉に詰まるし瞳がどことなく落ち着き無く彷徨うのだ。今もまさにそうだった。


「····ティアナ···私に何か隠していないか?」

「い、いえ···何も···」

 ティアナは皇子の視線から逃れるように瞳を逸らした。

「···何もないことはないだろう?さあ、話してごらん」

 レギナルトは辛抱強く言った。しかしティアナは首を振って俯いてしまったのだ。

「ティアナ!」

 堪りかねた皇子の叩きつけるような声にティアナは弾かれたように顔を上げた。その彼女に触れようと皇子が手を差し出した途端、大きく見開いていた瑠璃色の瞳に恐怖の色が浮んだ。レギナルトはそれを見逃さなかった。

「ティアナ?何故···」

 ティアナは、はっと我に返って首を振った。

「ち、違います!わ、私!」

「何が違うんだ?ティアナ?」

 そう言いながら再び差し伸べられたレギナルトの手にまたティアナは、ビクリと肩を震わせてしまった。気持ちとは裏腹に身体が拒否反応を示していた。皇子が何故?と顔色を変えながら近づけば近づく程、ティアナは真っ青に血の気を失い震えだした。


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