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課せられた義務と国に捧げられた物

「やばい!ここでさぼっていたのがバレたら殺される!」

 ベッケラートは庭に続く窓から逃げようとしたがドロテーが素早く服の端を掴んで阻止した。

「先生!駄目!それこそ不審者と思われてハーロルトの部下達に取り押さえられるわよ。彼らはうんざりするぐらい優秀なんだから。私に任せて下さい」

 ハーロルトは仕事が増え不在の場合が多く、その時は彼の部下達がティアナの警護に当っているのだ。これが流石と言うか融通の利かないハーロルトらしいというか···とにかく彼の命令に忠実な部下を残して行くから息が詰まりそうなのだ。まるで何人ものハーロルトに取り囲まれている感じさえしてしまう。

 あたふたしている間に力強い足音が近づいて来た。そして扉が勢いよく開くと不機嫌な顔をしたレギナルトが現れた。皇子は目の前にベッケラートを見つけ更に眉間に皺を寄せた。機嫌の悪さが増したようだった。

「ベッケラート、お前が何故ここにいる?」

「えっと···その···」

 じろりと冷たい紫の瞳で睨まれたベッケラートはあやふやな返事をして、任せてと言った頼りになる恋人に視線を送った。

「私が先生をお呼び致しました。ティアナ様の具合が悪かったので···お仕事中、申し訳ございません」

 ドロテーがすまして嘘を言った。

「ティアナの具合が悪い?どうしたんだ?」

 レギナルトはさっと顔色を変えて問いただした。

「なに、風邪ぎみなだけで大丈夫だ」

 ベッケラートはドロテーの嘘に合わせた。

「そうか。なら良かった」

 見るからに、ほっとした様子の皇子がティアナの寝室へ向って歩き出した。ドロテーは、ぎょっとして慌ててその前に立ちふさがった。

「お待ち下さい、皇子!ティアナ様は今寝ておられますから今日はご遠慮下さい!」


(うわっ!言った!あいつに面と向ってそんなこと言う侍女はドロテーぐらいだな)


 ベッケラートは冷や冷やしながら心の中で呟いた。確かに皇子に〝遠慮しろ〟と言えるのは彼女ぐらいだろう。あとは別格として彼女の伯母で皇子の乳母だったバルバラぐらいだ。レギナルトは無言でドロテーを睨んでいる。

「眠りの邪魔はしない。顔を見るだけだ。どけ、ドロテー」

「いいえ、どきません!皇子がそのおつもりでもティアナ様は起きられますから駄目でございます!」

「そうそう病人はぐっすり寝るのが一番。オレの出番は無しさ」

 ベッケラートが後ろから援護した。

「·········」

 皇帝との話が平行線のまま進まず、とうとう決着を付けずに今日は無理やり終わらせたレギナルトは苛々が募っていた。だからティアナの顔を見て心を落ち着かせたかったのだが···彼女達の意見が正しいだろうと思うしか無かった。ティアナなら具合が悪くても起き上がって無理をするだろうからだ。レギナルトは諦めると、くるりと踵を返しベッケラートに冷ややかな視線を送った。

「ベッケラート、お前、途中から居なかったのなら会議の内容を聞かせてやろう」

「え?いや···オレは別に今から聞かなくても···」

 機嫌の悪い皇子の相手は誰もしたくない。それに久し振りにドロテーと一緒に過ごせるのに冗談じゃないと思ったベッケラートだったが···

「まあ!それは良かったですね!行ってらっしゃいませ、先生」

「ド、ドロテー」

「ごめんなさい、先生。ティアナ様の為に皇子のお守り宜しくお願いします。今度埋め合わせしますからね」

 ドロテーがひそひそとベッケラートに耳打ちした。

「何している、ベッケラート!行くぞ!」

「むむむ···」

「ベッケラート!」

「分かったって!直ぐ行く!ドロテー、今度お仕置きだからな!」

「せ、先生!」

 ベッケラートはさっと掠めるような口づけをドロテーにしてレギナルトの後を追って出て行った。

「ベッケラート公爵様って思っていた感じと随分違いますね。なんだか可愛い」

 カミラが、くすくす笑いながら少し頬を染めて言った。それを見たドロテーは気に入らなかった。幽霊屋敷のような診療所に相応しい格好のベッケラートのままの方が良かったと最近では思うのだ。それなら誰も彼の魅力に気づかず安心だからだ。恋人に対する不満と言えば女達にもて過ぎるのが嫌なぐらいだろう。


(調子がいいし···しつこい女を追っ払う手段に口づけするぐらいだものね。皇子ももてるけどティアナ様以外に目もくれないから全然違うし···はぁ~気分が滅入るな。そう言えば?)


「ねぇ、カミラ。あなたも何か悩みがあったの?だから前世術をあんなにしたがったのでしょう?」

「えっと···はい。実は田舎の実家から再三戻って来いと言われていて···」

「戻って早く結婚しなさいと言う感じかしら?」

「はい。そうなんです···帰ろうと思っていたところにティアナ様付きの侍女に選ばれたので決心が鈍ってしまって···」

 カミラを選んだ一番の理由は彼女の素朴さだった。田舎から出て来てこんな都会のしかも皇城で何年も働けば良くも悪くもそれなりに染まってしまうだろう。しかしカミラはそれが無かったのだ。侍女仲間からは田舎者と馬鹿にされていたが、ティアナには性格重視でそんな感じの娘の方が相性良いだろうと選ばれたのだった。選ばれた本人も驚いたが周りも驚いた。とても名誉な仕事だが···そこは平凡で素朴なカミラにとって結婚という道も捨てがたく悩んでいたのだ。

「それでどうするの?」

「迷っていましたけど、決心つきました。ここで働きたいと思っています」

「それは昔の記憶に答えが出ていた訳?」

「答えかどうかは分かりませんけど···仕事も周りにいる人達も違っていて比べても仕方が無いし···でも幸せそうだったから自分が今、したいと思っていることに間違いが無いんだとだけ思いました」

「決心がついて良かったわね。じゃあ、ビシビシしごくわよ~」

「きゃ~ドロテーさん!お手柔らかに~」

 二人はお互いに笑い合ったがドロテーはティアナが心配で堪らなかった。彼女のように何か悩んでいるのなら相談して欲しいと願ったのだった。



 ティアナは早々に寝床に入ったものの眠れるものでは無かった。目を瞑れば前世の出来事を思い出してしまうのだ。

 前世の冷たい瞳をした皇子が自分に〝課せられた義務〟を果たすと言い、お前は〝国に捧げられた物〟だとはっきり言われた。そして無理やり押さえつけられて引き裂かれるような痛みが蘇ってくる。その時、淡い初恋が粉々に散った想いと悲しみ―――

 何度も寝返りをうっていると隣の部屋から聞き慣れたレギナルトの足音が響いた。そして耳を澄ませても何と言っているか分からないがドロテーと揉めているようだった。


(まだドロテーは居たのね···良かった···)


 ドロテーなら上手く皇子に言い訳してくれるだろうと安堵した。それでも上掛けを頭からすっぽりかぶり小さく丸まって息を潜めてしまった。まるで皇子と出逢った頃のようだった。寝込んでいたティアナの様子を窺いに朝夕と毎日訪れるレギナルトが早く出て行って欲しいと寝たふりをして息を潜めていた頃のようだ。扉越しでもレギナルトの存在感を強く感じていたが、その気配が隣室から消えると、ほっと息を吐き出した。

「私···何故ほっとするの?こんなのおかしい···どうして?」

 ティアナは自分の行為に驚きながら呟いたのだった。皇子は忙しい。それでも毎日少しでも会いたいと意識して行動していた。ティアナは朝の早い皇子に会わせて朝食を共にし、どんなに遅い帰りでも〝お帰りなさい〟と言うまで待っていた。ティアナの一日は〝いってらっしゃい〟で始まって〝お帰りなさい〟で終わるのだ。それでも今日はとても会える気分では無かったのだった。

 殆ど眠れなかったティアナは翌朝も体調不良を理由にレギナルトと顔を合わせなかった。早朝だったので皇子も仕方が無いだろうと諦めたのか早々に登城した。そしてティアナはそれを確認して大神殿のアマーリアに会いに行ったのだった。

 心配していたゲーゼは早朝会議に呼ばれている様子でティアナは安堵した。これはゲーゼにも相談出来ない内容だったし、聞かせるとショックで倒れてしまうかもしれないと思ったのだ。今日は本当に運が良い。ハーロルトも不在で部下だけだから室内まで同行しない。と、いうより断って部屋の外に居てもらった。そしてドロテーもカミラも皇子宮に残ってもらった。


「ようこそ、花嫁さん。わたしに用事があるそうね?昨日の件?」

 自分の思いに耽っていたティアナはアマーリアが部屋に入って来たのに気が付かなかった。白い法衣を着た彼女は赤銅色の豊かな長い巻き髪を束ねることなく流した姿は堂々としていて神々しい感じさえした。

「はい···ご相談に来ました···私··」

 言葉が出ないティアナを、ちらっと一瞥したアマーリアは空いていた椅子に斜めに腰掛けた。そして優雅に長い足を組むと頬杖をついた。皇族と同等···それ以上の身分であるティアナの前で大神官でさえもそんな態度をとらない。アマーリアは誰に対してもそうだから特に目上の者から良く思われていないようだった。しかしゲーゼは厳格な割にそういうことは寛容で彼女の横柄な態度を個性としか思っていないようだった。そのアマーリアが探るような視線をティアナに送りながらぽつりと言った。

「止めたら?」

「え?何を?ですか?」

 ティアナは、はっとして俯き加減だった顔を上げて不遜な態度のアマーリアを見た。その女神官はティアナと目が合うと、すっと瞳を逸らした。そしてまた、ちらりと不安な顔をしているティアナに視線を送り彼女の問いに答えた。

「何もかも···結婚もそして彼を好きになるのも」

「そ、それは···出来ません!そんな事をしたら国が!」

 アマーリアがつまらなそうに息を吐いた。

「―――盟約に記された花嫁。皇家が神の娘と婚姻を結ぶことによって妖魔を封印する力が維持される···国家の繁栄の源でしょうけど···このままではその肝心の血脈が途絶える事態になるのなら同じことじゃない?だったら今の状況と反対の事をすればいい。そうすることによって新しい道が開けるかもよ」

 ティアナは真っ青になりながらアマーリアの話を聞いていた。前世では血脈を継ぐ道具として扱われても、その義務さえ果たせなかった役に立たずの冥の花嫁だった。アマーリアの言うように反対のことをすればいいとなると···

「···私···結婚はしなくても構いません。でも皇子を嫌いになんかなれません!皇子を···皇子が好きだから···愛しているから出来ません!」

「それじゃあ···駄目ね。だって前もそうだったじゃない?あの冷酷な人を愛していたみたいだけど?それに言っておくけどわたしは貴女のような前世を初めて視たわ。今まで何だかんだ言っても前世は前世であって環境も取り巻く周りの人々も現在と違うのが当たり前。だから未来を予想するにしても考え方一つでどうとでもとれる。でも貴女は違う···まるで同じ···運命の相手まで同じだなんてわたしは今まで視たことは無いわ。という事はかなりの確率で前世と同じ道を辿ってしまうということよ」


 アマーリアの言葉の一つ一つがティアナの胸に突き刺さるようだった。やはり彼女もあの皇帝が今の皇子と同一人物だと思っている。

「ぜ、全然違う!皇子はあんな人なんかじゃない!あんな···」

「ぞっとするような瞳の冷たい人だったわね?わたしは先日皇子を神殿で見かけたけれど昔と少しも変わらないんじゃない?」

「そ、そんなことありません!皇子は優しくて!」

「本当に?そう見えないけれど···ねえ、出逢った頃から優しかったわけ?」

 アマーリアは意地悪く聞いた。

「それは――」

 それは違っていた。出逢った頃のレギナルトは弟を惑わす性悪女とティアナを誤解していたから恐ろしく冷たかった。冷たい言葉と態度に有無を言わせず口づけされた事も、それ以上の事もされようとした。だから自分は皇子にとって冥の花嫁という血統を維持する道具でしかないと思ったこともあった。その当時のレギナルトは前世で視た人に近かったかもしれない。

「でも、それはお互い誤解していてすれ違っていただけで···皇子は言ってくれました。人を愛するという行為を知らなかったって···私にどういう態度をとったらいいのか分からなかったし、自分の気持ちに気が付かなかったって···だから···」

「だから?」

「だ、だから昨日見たのは少し前の私達ではないのですか?」

 アマーリアはまた溜息をついた。

「貴女達の少し前はあんなに悲惨だったわけ?それで一度くらい死にたいと思った程思いつめた?もしくは自殺未遂でもしたの?死を自ら選ぶような前世は今世でもかなりの確率で同じように引きずられることは多いけど?どう?」


 ティアナは鮮明に見えたつらい記憶を思い出して蒼白になった。あの時点では流産して用無し、と捨てられたようなものだった。

「あんな感じでは···でもそれなら今からそんな未来が待っていると言うのですか?そんなこと···信じられません!」

「信じようが信じまいがわたしには関係ないわ。前世は未来の暗示であってそれをどうとらえて生かして行くのかは人それぞれだし···昨日あれから大神官から貴女のことを聞いたわ。かなり心配してわたしのところに相談に来てもいいように色々と教えてくれた···貴女が承知しないと結婚出来ないそうね?」

「はい―――それが何か?」

 やっぱりと言うような顔をアマーリアはした。その彼女の表情にティアナは不安が広がった。

「貴女は皇子から愛されていると思っているみたいだけどそれなら違うんじゃない?承知させるためにそう見せかけているのよ。貴女みたいなお嬢さんを騙すなんて簡単なことだわ。皇子の評判は遠い辺境にも届いていたし···本気ではないとしても女性関係は華やかだったとか色々···案外過去の皇子が冥神を怒らせた張本人だったりしてね。冥の花嫁が承知しない限り婚姻は結べないと言う条件が付くようになった、あれよ。たぶんそうじゃない?だったら流石に今回はその冥神の介入があるから前世とは少し様子が違うのも頷けるわね。ねえ、そう思わない?花嫁さん?」

 アマーリアは愉快そうに言葉を並べティアナに畳み掛けた。


 ティアナもその話しはゲーゼから聞いたことがあった。その昔、冥の花嫁の人権を無視し子供を産む道具のように酷く扱いそれを嘆いた花嫁が自ら死を選んでしまった悲劇―――

それは冥神を怒らせ盟約の破棄に至らなかったが、花嫁が結婚を承知せず婚姻を結んでも子供は授からせないという条件が付け加えられたとのことだった。

当然、皇子もそのことは承知している。だからアマーリアの言うように世継ぎの義務としての行動かも?と言われても反論出来るものが見つからない。皇子だと信じたくない紫の瞳の人の冷たい言葉が蘇ってきた


〝課せられた義務〟〝国に捧げられた物〟と何度も木霊する。でも···


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