前世
「―――はい。じゃあ最初に言っておくわ。今から見るものは魂に刻まれた記憶だけど全部覚えているわけじゃない。印象深い出来事だけが刻まれている場合が多いわけ。だからとても良いこともあれば悪いこともある···強烈なものばかりが残ったものよ。それだけは一応注意しておくわ」
ティアナは彼女の注意を聞いて少し怖くなった。自分が今からしてはいけないことをしているような気分にさえなってきた。
「私···」
「ティアナ様、ご不安なのですか?」
カミラは自分が薦めた責任上、不安がるティアナを心配して声をかけた。
「···ええ。少し怖くなって···」
「ティアナ、そんなに不安がるものではありませんぞ。私も体験しましたが只の興味では終わらず今後の人生に置いてとても為になるものですぞ」
「ゲーゼ様もされたのですか?」
頷くゲーゼを見てティアナも少し気分が軽くなって来た。
「私が先にやってもらいましょうか?」
カミラの下心がまた顔を出した。ドロテーはじろりと後輩を睨んだが反対はしなかった。大神官の保証があってもまずは試しにさせるのも良いだろうと思ったみたいだ。彼女達のやり取りをアマーリアはじっと聞いていたが、カミラに手を差し出した。
「こちらの侍女の方からしましょう」
カミラは憧れのアマーリアから手を差し伸べられて頬を赤らめてしまった。そこいらの男達よりアマーリアの方が素敵だと娘達の間では評判らしいと言う噂は本当のようだ。
アマーリアは不思議な色の石で出来た振り子をカミラの目の前で左右に振り出した。その動きに導かれて催眠状態になるようだ。カミラは何を見ているのか嬉しそうに口元が緩んでいた。暫くして催眠状態から目覚めたカミラの瞳は輝いているようだった。
「ティアナ様!あのですね――」
興奮気味に喋りだそうとしたカミラの唇にアマーリアがそっと人さし指をあてた。カミラは息を呑んで真っ赤になってしまった。
「しっ、人に言っては駄目···貴女の人生に関係のある人が聞いてしまうかもしれない。自分の人生は自分で切り開くもの···その為に昔を見たのでしょう?今貴女の周りには前世と同じ人達がいるかもしれないし、いないかもしれない。貴女は本来見ることの無かったものを視たのだからそれは自分の胸の中に秘めていないといけないわ。そうしないと関係の無い人の人生を狂わせてしまうかもしれない···今視たものが良いものであったのなら貴女の思った通りに進みなさい。悪いものだったのなら今のままでは前と一緒になる···もし視たものがそうならよく考えること。分かったかしら?可愛い侍女さん」
「は、はい!わかりました!」
アマーリアから可愛いと言われたカミラは有頂天になった。彼女が視た前世は様子からすると良いものだったのだろう。弾むような嬉しさがティアナ達にも伝わってくるようだった。
「では、視ましょうか?」
アマーリアがティアナに向って言った。正直ティアナはまだ迷っていた。しかしアマーリアの言った〝自分の人生は自分で切り開くもの〟という言葉が心に木霊していたのだった。逃れる事の出来ない運命の自分には選択するものは無い。それが不幸だと思った時期もあったがレギナルトの愛を知りその思いは消えていた。それなのに婚儀を目の前にした今、何故か不安でたまらなかったのだ。
「···前世の中に答えはあるわ···」
アマーリアのティアナの心を読んだかのような言葉に、はっとした。
(私の気持ちを分かってくれるの?)
ティアナは改めて神官アマーリアを見た。一番の理解者でもあり友人でもあるドロテーでさえもティアナの本当の不安を知らなかった。彼女自身、恋人とのことで頭がいっぱいのせいだろう。そのドロテーよりも初対面なのに自分を理解してくれるこの飄々とした女神官に興味を覚えた。そして昔の自分を見ることによって安心したいと思ったのだった。今自分が進んでいる道が間違っていないのだということを確かめる為に―――
「···お願いします。私の前世を見せてください」
アマーリアは心の中でほくそ笑んだ。
「ではここに座って。そして心を落ち着かせてゆっくりと深呼吸をして···この振り子を見て···」
アマーリアは不思議な色の石で出来た振り子をティアナの目の前で左右に振り出した。ティアナは規則正しく揺れるその石に意識が吸い込まれるような感じを覚えた。そして遠のきそうな記憶の彼方に何かが見えはじめた―――
魂の記憶の中に視えてきたのは神の世界ではなく見覚えのある景色―――昔の皇城のようだった。そして其処にはレギナルトもいた。姿が酷似しているからティアナはそうだと感じたようだった。夜の皇城を二人で散策しているのが視えた―――
(私達、昔も一緒だったのね···)
ティアナはそれを視て嬉しい気持ちが湧き上がってきた。しかしその皇子が考えられない仕打ちを昔のティアナにするのを視てしまったのだ。そのレギナルトだと思った人は皇帝のようで嫌がるティアナを押さえつけて有無を言わせず純潔を奪い、そして子を産む道具のように扱っていた。驚いた事にティアナは以前も冥の花嫁のようだった。更に鍵のかかった部屋に投げ込まれ閉じ込められたのも視えた。そして無理やり授かった赤ちゃんは流産してしまい〝お前の役目は終わった〟という酷い言葉を投げつけられて絶望し、自ら毒杯を飲むつらい記憶―――それは途切れ途切れの記憶だったが恐ろしく悲惨で不幸なものばかりだった。
ティアナは身体中が震え出した。過去の自分に酷い仕打ちをしているのはレギナルトでは無いと思いたかった。しかしティアナが皇子を間違う筈は無い。彼の冷たい紫の瞳が恐ろしく感じたのは久し振りだった。出逢った頃は恐ろしくて仕方がなかったがその時よりも恐ろしかった。今視ているレギナルトはもっと冷たく凍りつくような瞳だ。それなのに前世の自分は今と同じく彼に恋をしていた―――
「い・・・い、嫌・・・やめて」
ティアナはやっとの思いで拒絶の言葉を口にした。目を瞑ってもその光景が視える。身体が呪縛されたように指一本も動かないのに震えだけは止まらない。
「ティアナ?」
「ティアナ様!」
皆が彼女の異常な様子に気が付いた。ティアナは恐怖に凍りついたような表情で大きく瞳を見開いて硬直していたのだ。そして今にも卒倒しそうだった。
「カミラ!水を直ぐ持って来て!」
「は、はい!」
ドロテーから指示を出されたカミラは慌てて出て行った。
「ティアナ様!ティアナ様!」
ドロテーはティアナの肩を揺すって声をかけた。
「アマーリア、これはどういう事だ?何が起こったのだ!」
ゲーゼは顔色を変えて術を解いたアマーリアに問い、ハーロルトは厳しい顔をして彼女を見た。
「わたしの前世術は大神官も体験しているようにかなり鮮明でしょう?まるでその場にいるかのように見える···それが原因でしょうね」
「な、何を視たのかね?」
「大神官の問いでも本人の許可無しに守秘義務としてわたしが視たものを言えません」
「うむ···それはそうだが···」
前世術は当然ながら今世の人生を左右する程のものであり、同時に視る彼女は他人にそれを告げることは絶対にしないのだ。
そんなアマーリアは意図的に悪いところだけを見せるつもりだった。事実を曲げることは出来ないがそれくらいの操作は簡単だった。ティアナの前世を先に視ていたアマーリアは彼女の悲惨な境遇を視た。しかしそれは最初だけでその後は先に進む程、もっと気分が悪くなるような愛に満ち溢れたかのような幸せな人生を送っていたのだ。それは彼女が最も忌み嫌う世界―――
アマーリアは何時も思っていることがあった。愛というものは存在しないと思っている。愛と皆が思っているのはそういう名前を掲げただけの自己満足であり、利己主義でしかないとさえ思っていた。愛はいつも欺瞞に満ち溢れているのだ。
(神の娘だろうが救世主の末裔と言う皇族だろうが関係無いわ···愛という妄想を見ているだけ···馬鹿馬鹿しい···)
そう思うアマーリアは敢えてティアナの幸せの部分を隠そうとしていた。しかしその前にティアナが視るのを拒否したようだった。
ゲーゼ自身、アマーリアの前世術は体験している。神殿はこういった神の奇跡とでもいうような能力を持つ者が集まっている場所でもあった。彼女はその中でも抜きん出た能力者だった。前世の生涯を見ることによって喜ぶものもいれば絶望するものがいるのも当然だろう。絶望した者こそその運命に流されないように歩む道を見出すことが出来る。そして持って生まれた運命を変えるのだ。アマーリアのこの能力の人気はそこにあった。あやふやで移ろい易い未来を占うよりも確実なものだからだろう。
「ティアナ、何を視たのですか?ティアナ?」
ゲーゼは放心状態のティアナに語りかけた。不幸な生涯だったならそれを見定めこれからの指針を諭さなければならないだろう。
「ティアナ?」
「ティアナ様!」
皆がそれぞれ左右から声をかける。
「お、お水、お持ちしました!」
カミラは慌てた様子で水の入ったガラスの水差しだけを手に持って戻って来た。
「カミラ、何やっているの!グラスはどうしたのよ!」
「あっ!す、すみません!直ぐにお持ちします!」
戻ろうとするカミラの持つ水差しをアマーリアが取り上げた。そして誰もが止める間も無くティアナの頭からその水をかけたのだ。
「きゃ――っ!ティアナ様!」
「何をする!」
驚き過ぎて声も出していないカミラの手に、空になった水差しを戻したアマーリアは平然としていた。しかしその視線はティアナを真っ直ぐに見ている。
「―――戻って来られた?花嫁さん?」
ゲーゼ達はその言葉に、はっとしてティアナを見た。
「···わ、私・・・」
ティアナは正気に戻ったのか一言だけ呟くと見開いていた瞳をゆっくりと瞬きしていた。
「時々いるのよ。深層意識から戻って来られなくなるのがね。水をぶっ掛けるのが一番な訳―――ごめんなさい。水浸しになってせっかくの美人が台無しね」
アマーリアは飄々と言った。とても謝っている感じでは無かったが皆は彼女が適切な処置をしてくれたのだと思ったようだ。
「カミラ、宮に戻ってティアナ様の着替えを用意してきてちょうだい。このままでは帰れないから急いでね」
「は、はい。直ぐに!」
ドロテーはてきぱきと指示を出してティアナを拭い始めた。
「大丈夫でございますか?」
「···ええ···大丈夫よ。心配をかけてしまって···ごめんなさい···」
「ティアナ···何を見たのかね?私に話してみなさい」
ティアナはぎゅっと目を瞑った。そして恐る恐る目を開けるとゲーゼの問いに答えず、前方に立つアマーリアを見た。
「···私が見た···あれは本当なのでしょうか?生まれ変わっても同じ道を辿ってしまうというのも本当ですか?」
ティアナはまるで祈るようにアマーリアに聞いた。
「―――わたしの力は真実のみ映すし偽りは無いの。魂に刻まれた記憶を視ているのだからね。冥神は全てを消すことが出来ない。消したように見せかけているだけ···だから人は持って生まれた記憶に知らないうちに引きずられてしまう···それに生まれ変わっても持っている本質は変わらないから尚更···」
「じゃあ···同じ運命になると言うのですか?」
「それは違うわね。今みたいに運命が予め分かっていれば避けることは可能でしょう?石があってそこに躓いてこけると分かっていればその石をよけて歩けばいい。ただそれだけのこと。持って生まれた本質は変わらなくても未来は何時も決まってないものよ」
「未来は決まっていない···」
「そう···決まっていないのだから選択を間違えないことね」
ティアナは黙り込んでしまった。垣間見た前世で最初は幸せそうだった。淡い初恋の想いに溢れた自分が皇子と過ごしていた。それが今現在のことだとしたら···今からその皇子が豹変してしまうのだ。確かに今でも皇子の独占欲は強い。前世ではそれが異常なものにしか見えなかった。意志を無視され義務という名で片付けられた愛の無い数々の記憶は恐ろしいものばかりだったのだ。この記憶は未来を示唆しているものだというのなら何と悲しいことだろうとティアナは思った。違うと思いたいのに暴かれた心の奥では真実だと言っている。
「···私の選ぶ道?選ぶ道は一つしかないのに?」
ティアナは誰にも聞こえないような声で呟いた。もちろん結婚は拒否出来る権利がある。皇子との婚姻は冥の花嫁の同意がなければ無理強いも出来ないのだ。でも拒否してしまえば冥神の血脈が衰え国の安寧は妖魔に脅かされる。そんな理屈や古から続く盟約など大切なことかもしれないがティアナはレギナルトへの想いが常に優先だった。多分その想いは昔も同じで彼を選んでいたのに幸せとは程遠く、冥の花嫁として最大の義務であっただろう星の刻印を持つ世継ぎも亡くしていた。そうなれば自分の幸せどころか国の安寧にも関わることだった。
「···私のこの気持ちが最悪の結果を招くの?」
ティアナはまた小さな声で呟いた。
その呟きをアマーリアだけが聞き満足そうに微笑んだのだった。
(愛なんか幻だわ···今に分かるはず···)
アマーリアは愛し愛され幸せを絵に描いたようなティアナが信じている愛に絶望するのを望んだ。そうすることによって自分の考えが正しいと思いたかったのかもしれない。彼女の投じた一石が波紋を呼んだとしても構わなかった。目の前の吐き気がするくらい愛に満ち溢れた形を壊したかったのだ。しかし心の奥底で彼女はティアナにどんな試練にでも打ち勝つと云う本当の愛を証明して欲しいと思っていた。もちろん無意識にだが·····
「···今の皇子の愛を信じているの?」
アマーリアは皆の目を盗んでティアナにそっと囁いた。
「ど、どういうことですか?」
ティアナも小さな声で聞き返した。そうしないといけないような質問のような気がしたのだ。
「わたしで良かったら何時でも相談にのるわよ。誰にも言えないでしょう?」
ティアナは小さく頷いた。確かに誰にも相談出来ないものだったからだ。特にレギナルトには絶対に知られたくないものだ。皇子の愛を信じているのか?と言う問いの答えは決まっている。もちろん信じているとしか答えない。しかしその想いが間違っているとしたら?と言う迷いが出ているのは確かだ。大きな不安を抱えたままティアナは大神殿を後にしたのだった。