それぞれの愛
「アマーリア、そなたのツェーザルもイヴァンと同じ気持ちであったと思う···」
「 ! な、何を···」
「ツェーザルというものはそなたの為に身を引いたと言ったのだよ」
「ルーベル、ルーベルね。そんな話しを大神官に吹き込んだのは?わたしの為なんて嘘。あの男は愛を語りわたしを夢中にさせるだけさせた。その頃のわたしは愛を信じていたわ。でもその愛はお金には敵わなかった···親が別れさせる為にチラつかせた大金に目が眩んでわたしをあっさり捨てて姿を消した···」
「アマーリア、私の話しを聞きなさい。それには訳が···」
「いいえ、いいえ!ルーベルは知らない!知らないから気安く言う!わたしはその時お腹の中にツェーザルの子供を宿していた―――」
「なんだって!アマーリア!」
ルーベルが驚きの声を上げた。落とした図面を取りに引き返して来た時にアマーリアの声が耳に飛び込んできたのだ。
「そ、そんな···ツェーザルは知らなかっただろう?知っていたら···」
「知っていたら何?わたしも自分が身ごもっているなんて知らなかったわ。だからツェーザルから捨てられたショックで子供も流れ死線を彷徨よった挙句、もう二度と子供も産めない身体になった···そうなると嫁にも出せない娘は醜聞を隠す為に辺境の神殿へ追い出された。貴族ではよくある話よね?素行の悪い者や公に出来ない愛人の産んだ子供を放逐する便利のいい場所···でもその前にもっと大変な目にあったわね。その道中無頼漢達に襲われ···そうよ、ルーベル。真っ青ね、あなたの想像通りよ···わたしはその男達の玩具。そのまま死んでも良かった···でも男達は自分達が飽きるまでわたしを死なせなかった···絶望と屈辱に苛まれても自分から死ぬことは出来ずに過ごした日々は忘れようにも忘れられない。そして新しい玩具が入った彼らから塵のように捨てられた時、やっと死ねるんだと思ったのよ。死んでやるって···でも···そうしようとするとお腹が疼いた···お腹には何も無いのに何故かまだ赤ちゃんがいるような感じだった。もういないのに泣いている感じ···それが何故かわたしが死ぬのを止める···」
そして彼女は一つの躓きから若さに見合わない辛酸を味わいとうとう自分から死ぬことも出来ず何かに導かれるまま神殿の門をくぐったのだ。力を内に秘めるものは生まれながらにその力を出せるものもいれば己が極限状態になった時に出る場合もある。アマーリアはその後者だった。この奇跡の力の開眼は彼女の悲運と引き換えのようなものだろう。
「···死を恐れない〝死にたがりのアマーリア〟と言われておったのう。死亡者も出るという厳しい修練に志願する変わり者」
「そうですね。ですから神官にも最短距離でなれましたわ―――」
神殿には行き場を失った貴族の掃きだめのような所がある。そこではまともに修行をするものは稀であり正式な神官になる者は殆どいない。何故か自分の意思で死ぬことが出来なかったアマーリアは誰かから死を与えられのを待っていた感じだ。だから自ら進んで危険なことに身を晒し続けたのだ。
ゲーゼは大きく息を吐いた。
「アマーリア、ツェーザルは既に亡くなっている···」
「―――それは良かった。この地で出会ってしまったらわたしが殺していたかもしれません。流石に神官の人殺しは不味いでしょう?」
アマーリアはふざけた調子で言った。彼女の本心は見えない。
「違うんだ!アマーリア!ツェーザルは君と別れる前に自分の死を悟っていたんだよ!」
ルーベルが叫んだ。彼女の悲惨な過去に声も出せず立ちつくしていたルーベルだったが、尚更ツェーザルの事を伝えたかった。彼女にそれが届くのか?
「―――死を悟っていた?どういうこと?」
アマーリアはルーベルが何を言おうと聞くつもりは無かった。どんな弁解も心には届かない。しかしその意外な言葉に思わず聞き返してしまった。
「ツェーザルは自分が不治の病にかかり命が短いのを知ったんだ。誰でも死ぬのが怖い···このままだと君に一緒に死んでくれと言ってしまいそうだし、アマーリアなら言わなくても一緒に死ぬと言うかもしれないとツェーザルは悩んでいた―――そんな時に君の親があの話を持って来たらしい。そして彼は決意してその話に乗った振りをした。ツェーザルはそのお金を全部僕にくれたんだ。建築の勉強を帝都でしたらいいと言って···その代わりこのことはアマーリアに絶対洩らさないように隠蔽の手伝いをしてくれと。君を自分の運命に引きずり込みたくなかったんだ···でもお腹の中に赤ちゃんがいたのを知っていたなら話は違っていたと思う!」
「···わたしの為にわざと身を引いた?―――わたしの為じゃなくて自分がつらくないようにしただけじゃない?わたしに一緒に死んで欲しい?死んで欲しくない?そんなの何もかも勝手よ!わたしは全てを失った!家も家族も故郷も女としての幸せも何もかもよ!でもその中で一番はツェーザル···一番失いたく無かったのはツェーザルだったのに!一緒に死んでくれと言ってくれる方が嬉しかったわ!」
アマーリアは突然聞いたツェーザルの死に平静な振りをしていたが、思ってもいなかった事実に心が揺れ動き本心を叫んでいた。
「僕は分かるな···その男の気持ち···愛する人の為に身を引く···」
イヴァンが同情するように、ぽつりと言った。アマーリアがイヴァンを嫌うもう一つの理由。彼はツェーザルに何処と無く性格が似ていた。
「私には分からない。彼女の意見は最もだ。私は愛しているならその手は離さない。例えそれが冥の国だろうとな」
レギナルトはつまらなそうに言った。
「兄上はそうだろうね。僕は無理だな···好きな女の子は泣かせたく無いから。憎しみと哀しみはどちらが強いのか分からないけれど···一緒に死んでくれなんて思っても言えないと思うし、悲しんで一緒に死ぬなんて言われたら僕は嫌だな···好きな人には幸せになってもらいたい···例え自分が幸せに出来なくても」
「イヴァン···」
ティアナはごめんなさいと言う言葉を呑み込んだ。お互い清算しあった関係だがイヴァンの未だに続く秘めた想いに気付かないふりをしていた。それに自分だけが幸せになるのが後ろめたい気分だった。こういう気持ちはレギナルトには分からないだろう。しかし彼女の気持ちを察したのかレギナルトはティアナを更に自分に引き寄せながら言った。
「安心するがいい。ティアナは必ず幸せにする」
「兄上···」
ティアナの幸せがイヴァンの望みであり自分の愛の証のようなものだった。アマーリアはそれを認めたく無かった。それにティアナを嫌うのは幸せだからと言う理由だけでは無い。愛を信じていた頃の自分に似ているから嫌っていたのだ。あの頃の愚かな自分を見ているようで嫌だった。自己嫌悪にも似たものだろう。アマーリアは愛という存在自体を信じたくないのだ。ティアナの前世の幸せも今の幸せもその愛で成り立っていると認めたく無かった。幸せはただ条件が合致しただけの打算的なものだと証明したかったのだ。それなのに上手くいかない。
「幸せ?幸せって何?彼女の為?愛しているから?ひとりで勝手に決めて勝手に死んだツェーザルと同じ!そんなのは不幸でしか無いじゃない!そしてどうしてそんなに信じられるの?どうして愛しているといつまでも言えるの?」
「アマーリアさん···」
ティアナは彼女に何と言って声をかけていいのか言葉が見つからなかった。レギナルトの腕の中から数歩進み出ただけで足が止まってしまった。自分が同じ境遇だったらどうしていたかと思うと胸が詰まってしまったのだ。悲しくなってしまってぎゅっと唇を噛み締めて涙をこらえながら言葉を探した。
「アマーリアさんは今でも亡くなられたその方を愛しているのでしょう?」
「な、何を言っているの?わたしは愛してなんかいない!憎んでいるのよ!いいえ、呪っていると言う方が正しいぐらい!」
ティアナは涙をこぼしながら首を振った。
「アマーリアさんはわたしに何度も言いましたよね?信じているの?信じては駄目だと···それはご自分がつらい目に合われたから···今でもその想いを持っていてつらいから私に諭して下さった。そして愛すると言うことを試したのでしょう?違いますか?」
「違う···違うわ!わたしは幸せそうなあなたが嫌いだからそう言っただけよ!前世術もあなたが視た不幸の後の先があった。知らなかったでしょう?わたしはそれを黙っていたのよ!あなたが不幸になればいいと思って!」
アマーリアは涙を落としながら真っ直ぐ自分を見るティアナを見た。あの前世の続きがあったと言っても動じてない···
(前世の記憶は途中までしか視ていないはず···)
アマーリアが術を行なわない限り魂に刻まれた記憶は視えない筈だった。しかしティアナはまるであの続きを知っているようだった。アマーリアはまさか?と思った。しかしティアナは自分から記憶を蘇らせていたのだ。皇子の瞳と優しく注がれた愛がその鍵のようだった。開けかけていた記憶だったのだからきっかけがあればアマーリアの力が無くても容易だったのだ。そのティアナが声を張り上げた。
「いいえ、違います!あなたは確かめたかった。違いますか?そして···私が羨ましかった。今も昔も皇子を愛している私が···そして愛されている私が···そうでしょう?アマーリアさん」
ティアナの問いかけはアマーリアの胸に突き刺さった。
「羨ましがっている?わたしが?」
羨ましいとは自分もそうなりたいというものだ。アマーリアは違うと叫びたがったが声が出なかった。ただ目の前の自分の為に涙を流してくれている神の娘を凝視するしか出来なかった。
「アマーリアさん、私···本当は皇子の花嫁になるというのが不安でした。どうして皇子は普通の人では無いのだろう?何故、私は冥の花嫁なのだろう?という思いがありました···私が生まれ持った運命は定められたもの。前世術は初め、神々の世界が視られるかもという好奇心だけでしたが、アマーリアさんの〝自分の人生は自分で切り開くもの〟と言われたものに強く心惹かれて受けたのです。私は定まった運命の他に何かあるのか見定めたかった。皇子の手を取るという選択以外に何かあるのかと···」
ティアナのその言葉に一番驚いたのはレギナルトだった。まさか最愛の彼女の口から拒絶ともとれる思いを言われるとは思わなかった。
「ティアナ!」
レギナルトは数歩前にいるティアナを引き寄せて彼女の本心を確かめようとした。ティアナがどんな顔をして言っているのか不安だった。しかしティアナが振向くことなくレギナルトを止めた。
「皇子、聞いて下さい!私は昔の自分を視て決心がつきました。あの時、不幸にしか思えなかった過去でも私は皇子の手を離したく無かったのです。怖くて辛くても私は皇子が好き。そう思ったから皇子の花嫁になる覚悟も出来ました。だからアマーリアさん、お礼を言います。ありがとうございました」
今度はアマーリアが驚く番だった。信じられないと言う顔をして首を振った。
「···あなた···なんてお人好しなの?わたしはお礼を言われる資格は無い酷い神官よ!貴女がどう解釈しようと人の不幸を願うなんて心が醜く穢れている!」
「アマーリア、君が酷い神官なら僕なんかどうしたらいいんだろうね?僕は何人もの罪の無い人達を殺したからね···」
「えっ?今···なんて?」
横から入って来たイヴァンの告白にアマーリアは驚き、目を見開いた。
「···何人も・・・何人も泣き叫ぶ女の子達の細い首を掻き切ってはその生気を貪り食らった・・・兄上やティアナさえもその手にかけようともしたんだ。妖魔に操られていたことだとしてもそれは鮮明に覚えている。この身は既に堕ちる所まで堕ちているんだよ」
それは一般には知られていない事だった。
悲恋物語に隠されたもう一つの事実―――
「イヴァン、それはお前の罪では無い!お前が悔やむのは間違えだ!」
「ありがとう、兄上。でも僕はそう思うことがまだ出来ない。これは一生をかけて弔わなければと思っているんだよ。僕が神官の道を選んだのはティアナの為と、もう一つの理由はこれ···ねえ、アマーリア君は何を思って神官になったの?幸せを呪う為じゃないだろう?死んでしまった自分の子供を弔う為に神殿の門をくぐった。違う?かつて愛した人の子供···でも裏切りを受けたと思い憎んだ相手の子供···一瞬でもその子を憎んだかもしれない。それが自分でも許せなかった。違う?不幸な子に罪は無い。それを守れなかった自分を責め、その原因である恋人を呪った。でも···それでも君はティアナと出会って愛という答え見たかった···違わないだろう?」
アマーリアは声が出なかった。恋に破れて簡単に愛を手放した男だと思っていたイヴァンが、これ程苦悩した心を隠しているとは思わなかったのだ。自分が人から受けた傷と自分が望まずに人を傷付けた罪···どちらの心がより傷が深いだろうか?アマーリアはイヴァンの見え難い深く強い愛を感じた。そして自分でも、はっきりしなかった心を見透かされ頑なに固めていた内側にも外側にもあった棘のような殻が抜け落ちるようだった。
(ツェーザル···あなたもそうだったのね···今ならあなたの深い愛を感じることが出来る···)
幸せを願って去って行ったツェーザルの愛。そして信じきれなかった自分の愚かな愛。ティアナのように信じてツェーザルを追いかければまた違った人生になっていただろう。自分の前世が視られたのならもっと違う方向になっていたのかもしれない。これからも後悔し続けるだろう。アマーリアの瞳に涙が浮び、すっと頬をつたって流れた。彼女の哀しみに凍った氷が融けたかのような温かい涙だった。涙を落とすのはいつ以来だっただろうか?見ることも無くこの世から去って行った子を想って泣いた夜以来だ。




