女神官アマーリア
時系列的には「皇帝と女王」の後の話になります。そして過去編の「夜の花園」と繋がりがあります。ほぼ外伝は全てに繋がってますけどね。幸せ絶頂のティアナとレギナルトにまたもや不穏の影が···ですがレギナルトの溺愛(盲愛)と独占欲をたっぷりとお届けいたします(笑)
デュルラー帝国の帝都―――
その中心とも言うべき皇城の一角には冥界人を神として信仰する大神殿がある。その大神殿の高い塔の窓辺には神官服を身にまとった若い女が城下を見下ろしていた。眼下に広がるのは帝国で最も栄えている街。しかしその瞳には何も映っていないようだった。
「ツェーザル···わたしはお前を生涯忘れない。わたしの過ちとして···」
女神官アマーリアは時折自分を戒めるかのようにそう呟く―――
数ヶ月前、辺境の神殿を訪れた大神官ゲーゼの眼鏡にかなった彼女は帝都の大神殿に呼び寄せられた。辺境の地は都と違って妖魔の出没も多く危険な地域だがそんな土地でも人が集まれば町となりそれなりに人々は暮らしていた。そしてそこに暮らしがあれば当然のように神殿も造られる。しかしそれは帝都に点在する壮麗な神殿とは随分異なる雰囲気だった。頻繁に襲って来る妖魔の避難場所として活躍する神殿は強固な要塞のようだったのだ。当然ながら其処で仕える神官達も何処と無く屈強な感じの者が多いようだった。そんな辺境の地に女神官は珍しかった。
神官には性別身分に関係無く誰でもなれる。ただし入門後の修行は厳しく、見習い中に脱落するものは多い。したがって正式な神官となるのは極僅かだった。神官となれば俗世の過去を捨て新しい人生がそこから始まるようなものだ。だから神官同士、お互いの過去を語り合うことも無く気に留めることも無い。
神官アマーリアは赤銅色の髪と瞳が特徴で整った顔立ちだが、女性的な甘さは無くどちらかと言えば精悍な感じさえする。それに訛りの無い発音から察すれば身分的に低い感じはしなかった。見掛けは派手だが黙って立っていれば格式のある帝都の神殿でも遜色の無い感じだ。そんな雰囲気の彼女が何故辺境に?と思いそうだがアマーリアの男勝りの気性は意外と無法地帯に近い辺境の方が似合っているようだった。辺境の元居た神殿では彼女を女だというのを忘れているものも多かっただろう。だから皇城内にある大神殿に従事する神官達の多くは何故彼女が大神官から呼ばれたのか?と疑問視していた。全く女神官らしくないうえに態度は横柄で言いたい事は誰であろうと遠慮なく言う。しかし大神殿に集う信者からは大人気で彼女の前に列を作る盛況ぶりだった。
「アマーリアの奴、いい気になって!あんなまやかしは今に化けの皮が剥がれるに違い無い!」
「そうですよ。大神官は騙されているのですよ」
俗世を絶った筈の神官達でさえも人間らしい感情は捨てられていないようだった。新参者で大神官の信頼を瞬く間に取ったアマーリアを良く思わない者は多いようだ。
神官アマーリアの仲間うちで〝まやかし〟と言われるものとは―――
「ティアナ様、ご存知ですか?今、大人気の前世術!」
「え?前世術?」
「はい!ティアナ様は大神殿に通われているのにご存知ないのですか?もうアマーリア様は女性なのが勿体無いくらい凛々しくて素敵なんですよ!」
ティアナの新しい侍女カミラが瞳を輝かせて言った。彼女はいずれベッケラートと結婚してしまうドロテーの代わりにとティアナ付きの侍女へ抜擢された娘だった。だから今はドロテーと一緒に働き始めたばかりだ。
「それ、私も聞いたことあります。何でも不思議な力を持った神官が生まれる前の人生を見せてくれるとか?特に若い女性に大人気らしいです」
ドロテーも耳にした噂話しを口にした。
「生まれる前の人生?」
「はい!人は死んだら冥界に行き冥神によって浄化され、その魂は天界へと導かれ新たなる生を与えられるでしょう?浄化されるから新たに生まれた時には記憶はなくなりますよね?だから私達は何も覚えていませんがその神官様は神の奇跡で浄化前の記憶を見せてくれるのですよ!」
ティアナはそんな不思議なことが出来るのかと驚いた。
「でも···そんな前の記憶を見るのがどうして良いの?」
カミラが興奮している理由がティアナには分からなかった。
「神官アマーリア様がおっしゃるには人は前世と同じ道を歩もうとしてしまうらしいのです。それが幸せなら問題は無いのですが、もし不幸な人生や過ちを犯した人生ならそうならないように過去を知って対処したら良いそうです。素晴らしいと思いませんか!」
ティアナとドロテーは顔を見合わせた。妙な術などは良く出回っていて殆ど信憑性の薄いものばかりだが、それをしているのが大神殿の神官となれば話しは違うだろう。それが本当なら大人気だと言うのも頷けるが·····
「本当に分かるのかしら?それに同じ道を辿るなんて···それでは生まれ変わる意味が無いじゃない?」
生命の神秘に波紋を呼ぶこのことにティアナは不安を感じた。現実主義のドロテーは特に信用していない様子だった。
「試しに前世術をしてもらいませんか?ティアナ様なら大神官に言って直ぐにでもして貰えるでしょう?とにかく今、人気で数ヶ月待ちらしいですしね」
「カミラ、それが目的ね!」
ドロテーが彼女の意図を察して声を上げた。彼女はティアナの力でその順番に割り込みたかったようだ。
「す、すみません!」
「ティアナ様はそういう特権みたいなのを使うのはお嫌いなのよ!それをお勧めするなんて!」
ドロテーはそう言ってカミラを叱ると彼女は、しまったと言うような顔をして小さくなってしまった。
「ドロテー、そんなに怒らないであげて。カミラ、そんなにそれが気になるの?」
「はい!とても!ティアナ様は気になりませんか?」
ティアナから優しく声をかけられたカミラは元気を取り戻し、瞳を輝かせて答えた。
(ティアナ様は優しいから···若い子は直ぐに調子に乗るのよね···)
ドロテーはやれやれと小さく溜息をつきながら心の中で呟いた。年寄りのような事を思うドロテーだがカミラと歳はそう変わらない。侍女暦からすればカミラの方が長いだろう。それでも自分の後を任せると思うと厳しい目になってしまうのは仕方が無いかもしれない。
「それが本当なら···私は少し怖いけど···」
ティアナは不安そうに言った。
「怖い?どうしてですか?」
「だって···もし不幸な人生だったらそれに沿っていこうとするのでしょう?私は怖いけど···」
「だから良いのですよ。そうならないように気をつけたら良いのですから!その為にみんな視たいのですよ。それにティアナ様は冥の花嫁でしょ?と言うと元は冥界人ではありませんか。だから前は冥界での人生だったのでしょ?何だか素敵!とても鮮明に見えるらしいから神々の世界が見えるだけでも素晴らしいと思いませんか?」
冥界の様子が見られるという言葉にティアナの心が動いた。夢の中で垣間見た懐かしく美しい世界―――それがもう一度見られるのなら見たかった。前世の歩んだ人生というよりも只その景色に憧れを感じた。ティアナは迷ったが怖さよりもそれが勝ってしまいカミラの提案を受け入れたのだった。
そして早速ハーロルトを伴って向った大神殿ではゲーゼが何時ものように待ち構えていた。
「今日はいつもより早いですね?」
「今日はゲーゼ様にお願いがありまして···」
「おや?珍しい。何ですかな?貴女の願いなら何でも叶えましょう」
「ゲーゼ様、私を甘やかし過ぎですよ」
「とんでもない!私など皇子に足元にも及びません!」
ティアナは真っ赤になってしまった。ゲーゼの言う通りレギナルトはティアナが雨や風にあたるのさえも眉を吊り上げるような感じなのだ。
先日、皇城移転問題で言い争った以来もっと過保護になったような気がしていた。ドロテーは早く結婚して自分のものだと安心したかったのに、延びてしまったからその想いが重症になったのだろうと言う意見だった。
『男って何でそういうことしか考えないの!嫌になっちゃう!』
ドロテー自身もベッケラートから結婚を急かされている様子で、自分と重ねたのか憤慨して言った。ティアナは彼女と同じ意見では無いが少し不安だった。結婚は大好きな皇子のことだけ考えていれば良い訳では無いからだ。冷静に周りを見れば自分が負う義務が見えてきたのだ。宮廷という所は平民の娘として育ったティアナにとって全てが初めてのことばかりで戸惑うばかりだった。そんな時はとても落ち込んでしまって皇子の花嫁になるのが少し嫌になってしまうのだ。
(どうして私は冥の花嫁で皇子は皇子なんだろう···違ったら良かったのに···)
ティアナは、ふとそう思うことが時々あるのだった。
「ティアナ?どうかしましたか?」
ティアナは、はっとした。また不安が芽生えていたのだ。心配そうな顔をしたゲーゼに何でもないと言うように微笑むと用件を切り出した。
「あの、お願いしたいことは今話題のアマーリア神官に会わせて頂きたくて」
「おおっ!アマーリアですか!あなたの耳にも入りましたか?彼女の前世視は素晴らしいですぞ!是非体験されると良いでしょう」
ゲーゼはまるで自分が褒められたかのように興奮して答えると早速、アマーリアを呼び出してくれたのだった。
「アマーリア、大神官がお呼びだ」
「大神官?何の用?」
急に声をかけられたアマーリアは不快な顔をして聞き返した。時間の流れが止まったような神殿でも神官達は何かと忙しかった。朝夕の礼拝はもちろんのこと生誕や結婚の祝福に死者の弔いや人々の悩み相談まで言い出したら切りが無いぐらい細々としている。それは辺境だろうが首都であろうが関係ないようだった。
「冥の花嫁がお前のまやかしをご希望だそうだ!」
ゲーゼ付きの神官グスタもアマーリアを良く思って無い一人のようだった。彼女のいつもの横柄な態度に苛々しながら言った。
「ふ~ん。冥の花嫁ねぇ~わたしも有名になったものね」
「いい気になるなよ!早くしろ!伝えたからな!」
「はいはい」
アマーリアは噂に聞く冥の花嫁をまだ一度も見た事が無かった。それこそどんな美女でも振向かなかったレギナルト皇子が盲愛していると言う噂だ。しかも馬鹿げたことに他に妃を持たないと宣言しているらしい。皇家直系の皇子がそうするなど前代未聞の出来事だ。しかしそれを許さない筈の大神官がこれも非常に珍しい事に承知している様子だった。だから皇族の婚姻を司る神殿は今のところ、皇子の第二、第三の妃候補の選択を行なっていない様子だ。
「愛ゆえとか?はははっ、嗤ってしまう···」
アマーリアは嘲るように呟きながらティアナ達のいる部屋へ向った。そしてそこで彼女が目にしたのは内側から光り輝くような愛に満ち溢れた表情をしたティアナだ。アマーリアは途端に気分が悪くなってきた。
(愛されています···っていう訳ね···そして愛しています···か?)
「おお、アマーリア、来たか。紹介しよう、こちらが冥の花嫁じゃ」
アマーリアは少しだけ頭を下げた。
「はじめましてアマーリアさん。ティアナと言います。お忙しいところ申し訳ございませんでした」
「いいえ」
アマーリアは愛想のいいティアナとは正反対にうんざりした様子で受け答えていた。
「アマーリア。相変わらず素っ気ないのう。ティアナ申し訳ない。誰にでもこんな態度でして。ですがとても優秀で期待している若手の神官です。それにしても私など初めてティアナに会った時など興奮して舞いあがったものなのにのう」
ティアナはその時の事を思い出しハーロルトと目を合わせ、くすりと笑った。初めて会った日、滅多に笑わない重厚なゲーゼがやたらニコニコ笑ってティアナを私室に無理やり連れ込むと、お菓子を山のように並べたのだ。
「ティアナ、今、笑いましたね?」
「はい。あの日のゲーゼ様を思い出してしまって!」
くすくす、笑うティアナにゲーゼがおどけた顔をしている。ハーロルトは笑いを堪えている様子だ。アマーリアはそんな二人の顔を初めて見て驚いてしまった。冥神を奉る神殿の長であるゲーゼは慈悲深いが厳格で有名だし、時々見かけた近衛隊長と聞いていた彼は何時も生真面目そうな顔をしていたからだ。
(誰からも愛される娘というわけ?···気分が悪い···)
アマーリアはそう思うとティアナが嫌で堪らなくなってしまった。幸せそうな微笑を消して不幸のどん底に突き落としたい衝動に駆られた。今から視る彼女の前世が不幸だったらいいのにと思ってしまうぐらいだ。だからティアナより先に前世を盗み見することにした。幸せならば適当な理由を付けて前世術は後日にしようと思ったのだ。今日はこれ以上幸せそうな空気に触れたく無かった。
(本当に気分が悪い···)
「アマーリア、アマーリア?」
アマーリアは大神官に呼ばれて我に返った。声をかけられるまでティアナの前世を覗いていたところだった。
「どうかしたのか?」
「いいえ」
「そうか?ならば早速やって貰おうか」
アマーリアはどうしようか···と一瞬考えた。しかしあることを思いつき心の中でニヤリと嗤った。