第6話
第六話:私の記憶 二
そんな毎日を過ごしていた私にとって衝撃的な出来事が起きた。兄である竜一の死である。八月八日。私が四年生の時である。夏休みであった。野球の練習から帰ると、母が泣いていた。私は引き出しの中からハンカチを取り出して、母へ渡した。母は動揺を隠しきれず、しかし、兄が海で高波にさらわれたことを私に伝えた。行方不明で見つからない。捜索しているが、天候も悪く、見つからないとのことであった。どうしよう。と言った母のあの時の声は未だに記憶に鮮明である。
電話が鳴った。相手は警察署の人だった。無事に見つかったという連絡であれば両手を上げて喜んでいただろう。しかし、そう容易く事は運ばないのであった。
姉はその日、キャンプへ行っていた。兄のことを告げられて、大きなショックを受けて、夕方過ぎに家に送り帰されたという。その後は姉と二人で家にいた。そして、親戚のおばさんが来てくれた。「運命だったんだよ」とおばさんが言った。何を言っているのか分からなかった。運命だなんて思いたくなかった。
兄が発見されたのは数日経ってからであった。両親の配慮から私と姉は、兄の姿を見せてもらえなかった。悲しくて泣いた。悔しくて泣いた。私は野球を辞めたいと両親に告げた。兄とのキャッチボールが大好きだった。兄は高校入学後に野球部へ入部した。中学時代は特に部活動をしていなかった。草野球はサザエさんのカツオばりにしていたのである。中島くん的な友達もいた。磯野〜野球しようぜ〜。はいよー。
兄は高校入学後に家の前でよくバットの素振りをしていた。手にマメを作るほど何回も素振りをしていた。私も真似をして素振りをした。私はなんだか次の試合は打てるんじゃないかと思ったりした。しかし、なかなかヒットは打てなかった。バントは上手くなった。送りバンドはお手のものだった。私はヒットを打つ快感を味わいたかった。
兄が亡くなったことにより、私は野球への熱が冷めてしまった。監督は最後の最後まで引き留めてくれた。最後に一試合だけ出てくれないかと懇願されて、自分の引退試合だと勝手に決めた。何打席か回ってきたが、最後の打席の事しか覚えていない。高めの内角のボールを引っ張って打った。ボールは大きく上がりレフトへと飛んでいった。相手のレフトが走っていく。私は打った球を目で追いながら、走った。レフトスタンドに入りそうだった。相手の選手がジャンプしてボールをキャッチしたのである。あと一歩でホームランかという当たりだった。私の野球デイズはこれで終わった。続ける事はあの時どうしてもできなかった。野球は今でも好きである。グローブも持っている。息子がもう少し大きくなったら、キャッチボールをしたいと考えている。息子は幼稚園でサッカーを習ってるので、野球に興味を示さないかもしれない。それはそれで仕方ない。野球部だったやまっちょとやろう。ゴヤも野球部だったから、一緒にやれば楽しいだろう。