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サンキュ  作者: 廣風直
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第5話

第5話:私の記憶 一


 雪が生まれてから二年と二ヶ月後、私はこの世に生を受けた。名前については先程書いた通り、母方の祖母が付けてくれた。なお、なおみ、直ちゃんと呼ばれることが多かった。家族なので「もりちゃん」とは呼ばれない。みんながみんなもりちゃんだからである。もりちゃんと呼ばれたら、みんなが一斉に振り返ることだろう。タモさんとも呼ばれることもあった。あっ、また、横道に外れる所だった。危ない、危ない。話を元に戻そう。

 その頃、盛林家は駅の近くに引っ越して来ていた。あまり記憶が鮮明ではないのは、この町にいた期間はとても短く、すぐに大きな町への引っ越しが決まったからであろう。引越しの理由は父の仕事の関係である。私は小学一年生だった。冬。雪が降っていた。確か十二月だったと記憶している。小学一年生の頃の私の記憶は、母と一緒に自転車の練習に励んだことぐらいである。何度も転んでは泣いた。センスがなかったのかもしれない。母が練習に付き合ってくれなかったら、今でも自転車に乗れないところであった。母さん、根気強く付き合ってくれてありがとう。

 引越し先である山の麓にある家に荷物を運んだ。父、母、兄、姉、私の五人である。後に猫が仲間入りする。白い猫で、カウガールという大型ショッピングタウンで、貰い手を探していた猫の一匹だった。母が昔飼っていた猫の名前をつけた。チーちゃん。白い背中に丸くワンポイント茶色がある美人な猫だった。とても人懐っこい性格でみんなから可愛がられた。とても俊敏でネズミ、雀、さらには土竜、蝙蝠まで捕まえてきたことのある凄い猫だった。私の住んでた辺りの森に蝙蝠がいるということである。ホント驚きである。今は自由に外の世界へ出すのが憚れる時代である。チーちゃんは思う存分外の世界を満喫したであろう。家の中に入りたくなったら、網戸に爪を立てて飛びつくのであった。そして、中に入れてくれニャーと叫ぶのであった。

 転校してきた私を温かく迎えてくれたのは小早川君だった。彼はみんなからコバと呼ばれていた。活発な野球少年だった。仲良くなるにつれて、私も野球をやりたくなった。そして、家の近くにある少年野球団に入ることになった。私が入団したのは金森イーグルスという名前のチームである。同時に入団したのは宗ちゃん、陽介、カマキリの三人だったはずだ。

 朝の練習は五時からだった。私は一人で起きて、ユニフォームを着て金森公園へ向かった。朝四時半に起きる、これが苦にならなかったのである。不思議なものである。

 まずはグラウンドをランニングすることから始まった。そしてストレッチ。キャッチボール。素振り。と続く。ノックを受けて、バッティング練習へと進む。その後、全体練習。練習試合。とこんな感じで朝の七時過ぎくらいまで行われた。今、四十一歳の私は四時半起きはちょっときつい。七歳の私は活発だったのだなと改めて思う。赤いモトクロスバイクに跨り、約五分。公園に着く。元気よく挨拶をした。

 当時の私は細かったし、背も低い方だった。ポジションはセカンド、打順は二番か八番だった。守備は得意だった。家から三十秒のところへ行き、壁に向かってボールを投げて、跳ね返ってくるボールをキャッチする。コレが毎日の日課のようになっていた。時間がある時には兄が私とキャッチボールをしてくれた。とても楽しい時間だった。

 

 

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