第41話
第四十一話:私の記憶 三十五
二〇一四年四月から私は港町にある高校に勤めることが決まっていた。港町高校は盆地高校に比べると校舎が綺麗だったが、私が感じた第一印象は熱い先生が少ないというものであった。私は担任となった。今とは違って皆マスクをしていなかったので、すぐに顔と名前を一致させることが出来た。学級通信は毎日出した。夏休み明けまでに百号は超えていたはずである。多い日には朝と昼と放課後の三回、作った学級通信を渡した。部活で出張がある時も、代わりにクラスに行ってくれる先生に学級通信を渡して配布してくれるように頼んだ。今考えると頑張り過ぎていたのだと自分でも思う。
夏が終わりかけた頃、私はベッドから起き上がれなくなってしまった。気持ちがひどく落ち込み、やる気がおきない。原因は連日かかってくる電話だ。モンスターペアレントは私を担任から外して欲しいと学年主任、そして、教頭にまで電話をしてきたのである。学年主任と教頭は、気にすることはないと軽くあしらっていたが、私としては看過できることではなかった。なぜ、私がその親からこんなに言われなければならないのか、理解不能であった。私は港町高校に赴任したばかりであったが、この高校を変えてやろうと意気込んでいた。だから誰よりも多く学級通信を作ったし、誰よりも生徒とコミュニケーションを取っていた。そんな最中の出来事であった。
私は燃え尽き症候群なのかもしれない。そう考えて心療内科に行くべきだと判断した。そして、市内の病院へ電話をしたところ、一ヶ月先にならないと予約が取れないという。他の病院にも電話をしたが、同じような待ち期間であった。最後の一つの病院に電話したところ、二週間後なら予約が可能だったので、迷わずに決めることが出来た。診察の初日、担当の金田先生はにこやかに私の話を聞いてくれた。私の言葉を全て受け入れてくれた。そして診断名は抑うつ状態とされた。診断書を書いてもらい、薬も処方してもらい、三ヶ月様子を見ましょうということになった。学校は当然休むことになった。三ヶ月が経過する頃になってもまだ、気持ちの落ち込みは改善されなかったので、もう三ヶ月休むことになった。
新しい年が始まる前の三月に私は復帰した。そして、次年度の職務分担表が発表された。再び担任。やるしかなかった。




