第25話
第二十五話:私の記憶 二十一
私の携帯電話が鳴ったのはぺろんちょと遅くまで飲み会をした次の日の朝である。はい、もしもし、と答えると先日受けた面接の合否を知らせる電話だったのである。一気に眠気が吹っ飛んだ。結果は合格。四月一日付けで赴任して欲しいということを伝えられて電話は切れた。落ちたなと思っていた試験に受かったので、このレールに乗ってみることにした。二月の終わりにその連絡があったので、私の三月は慌ただしく過ぎていった。私の実家から一時間半程かかる場所だったため、父に頼んでその町に行き、一人暮らしをする部屋を探しに行ったのである。最初に飛び込んだアパート組合の様なところに偶然居合わせた、沢山のアパートを管理する大家さんに格安の部屋を紹介してもらった。その大家さんは気の良い人であった。家賃は月々三万円。駐車代はなし。ワンルーム、ユニットバス。部屋は広くないが一人で生活するのには全く問題が無かった。手続きもポンポンと決まり、四月を迎えることになった。
教育実習とは違って、本当に先生と呼ばれることにドキドキしていた。最初の一年は、副担任だったので、少し心に余裕があった。授業の予習をして授業に備えていた。一年目は三年生を三クラス、一年生の進学クラスを受け持つことになっていた。この年から進学クラスを作り、成績が良い子を無差別に進学クラスに入れたのである。野球が割と強かったので、その子たちは進学クラスから出たいと訴えてきていた。進学クラスに入ると授業が多くなったり、休み期間中に主要教科の講習を受けなければならなかったのである。部活を頑張りたい生徒にとっては迷惑な話であったろう。
無事に、住む家を決めた私は実家にあったテレビ(十四型)と炬燵テーブルとパソコンなどを父の職場のトラックに積み込んで盆地の町に向かった。
大学二年生の時に車の免許はゲットしていたのだが、初めの一年は近所にあった自転車屋さんで中古の自転車を購入した。その自転車で学校までの道のりを往復したのである。『今自転車を買うともれなく健康がついてくる』お店の看板に書かれているのである。何かいいフレーズないだろうか。この前この地を訪れた時にも、この売り文句が、変わってないので、潰れないためにも皆さんのアイディアが必要だと思われる。
三年生の授業の始まりは、漢文であった。孔子の論語。一番最初の授業は、どのクラスも自己紹介で終わってしまったが、盛り上がったので良しとする。次回からはきちんと授業をした。当時私が二十二になる年で、高三の生徒は十八歳だったのである。四歳しか違わない生徒達に勉強を教えるのは楽しいことだった。この時、私は女子バレーボール部の副顧問、いや、コーチと言った方がしっくりくるかもしれない。その子達から「王子」と呼ばれていた。キン肉マンもミートくんから王子って呼ばれているな。兎に角楽しい毎日を過ごしていた。




