第2話
第ニ話:父と母 一
私は四十一年前に北海道にある観光都市の坂の多い町で生を受けた。両親は熱い遠距離恋愛をして、めでたく結婚したと聞く。私の父の故郷が坂の多い町だった。母は本州の海なし県出身。二人は高校を卒業後、埼玉県にある会社に就職をした。凸版印刷や大日本インキなどと一緒に並んでいたと聞いた。ガラスインクを作っている会社だったらしい。父と母は埼玉で働き、母は七ヶ月後、東京の本社に移動となった。
最初は母の一目惚れだった。父は背も高く鼻筋の通った整った顔立ちをしている。今でいうイケメンというやつだ。顔を合わせれば挨拶を交わす程度で、母は毎回ドキドキしていたらしい。
そして,月日が流れニ年後、父が故郷に帰ることになった。一方、母は会社の都合で、東京の本社の食堂に移動となった。母は毎週土日になると、もしかしたら偶然の出会いがあるのかもしれないと胸を高鳴らせて、埼玉に出かけていた。しかし会えなかった。
ずっと会えずにいた日々の中、突然、故郷に帰るという優吾が美弥子の前に現れた。美弥子は熊のキーホルダーを貰い、私達は両想いだと確信し、感極まった。優吾はこの時から美弥子と結婚したいと決めていたという。後々、母は父からそう聞いたみたいだ。
北海道に帰った優吾はすぐに、街の看板屋さんに就職をした。父親からの勧めだ。つまりは私の祖父である。美弥子は東京に残り、名古屋に一ヶ月、仕事で出張している時に、優吾から手紙と履歴書らしきものが届いた。そして、母は自分の想いを伝える最後のチャンスだと考え、父に手紙を送った。それが奇跡の始まりだった。この時、二人は二十歳であった。
父からの返信はなかなか来なかった。母は諦めていたという。しかし、半年が経った頃、母に一通の手紙が届いた。差出人は盛林優吾。そう、私の父からだった。私の母の旧姓は山下美弥子。美弥子は心から喜んだ。その手紙にはなぜこんなにも返事に時間がかかったのか、その理由が丁寧に綺麗な文字で書かれていた。美弥子は字の綺麗な優吾をますます好きになった。
優吾には付き合っていた恋人がいた。その恋人と別れるのに時間がかかってしまったようである。美弥子からの想いを受けて、喜ぶと同時に優吾は苦悩した。そして、答えを出した。「美弥子さんと一緒になりたい」父は優しい性格のため、付き合っていた彼女になかなか別れを切り出すことが出来なかった。彼女を傷つけたくない。しかし、自分の心に嘘はつきたくない。このままの気持ちで付き合っていく方が相手を傷つけると気付いた。そして、さよならを告げた。
そうして二人の遠距離恋愛が始まった。まるでホフディランの歌のような展開だ。二人は手紙のやり取りをした。今はもう流行らない文通というやつだ。会えない日々を淋しがるのではなく、むしろ楽しんでいた。お互いの気持ちは通じ合い、そこに愛が生まれた。愛を育み大きくしていった。誕生日には贈り物を用意し、相手へ送った。
美弥子はミヤちゃん人形というものを優吾に送った。私だと思って可愛がってあげてねという言葉と共に。ミヤちゃん人形は盛林家ではもはや家宝と言ってもいいほどに可愛いがられている。冬になったらマフラーと帽子と手袋を。暑い時には涼しい格好をさせてもらっている。服は美弥子が得意の裁縫で作られている。とても幸せなミヤちゃんである。
私が生まれて物心ついた時にはミヤちゃんは可愛い服を着ていた。一度だけ母に尋ねたことがある。この人形どうしたの、と。そばかす顔のミヤちゃんが両手を前に出す「エッグポーズ」を取って笑っていたからである。母は「この子ミヤちゃんって言うんだけど・・・」と事の経緯を事細かく私に話してくれた。
きっと今日もミヤちゃんは盛林家の階段下あたりで笑っているだろう。優吾はミヤちゃんを、美弥子に言われた通りに大切にしていた。会えないけれど美弥子がそばにいる気がしたそうだ。
二人は東京と北海道にいたわけで、なかなか会えなかった。美弥子が会社のすぐそばに下宿していたので、長距離電話が何度かあったらしい。何回目かの電話で結婚しようということになり、優吾が美弥子の親の承諾をもらいに挨拶に行くことになった。
優吾は長く伸ばしていた髪を切り(父はビートルズの影響を強く受けていた)、強い覚悟を持って美弥子の実家へ行った。美弥子の両親は娘を北海道にお嫁に出す事にちょっと抵抗があった。距離である。優吾の人間性に対しては絶賛で「北海道じゃなければ、良かったんだけどなぁ~」と海なし県なまりの声で言っていたそうだ。難色を示した美弥子の両親であったが、父の人柄や娘の恋する気持ちを考えてくれた。こうして二人はめでたく結婚することになったのである。