第18話
第十八話:私の記憶 十四
私は大学一年生でストレスからヂヌシになった。大金持ちではない。朝起きたらお尻から大量の血が出ていたのである。すぐに父に病院に連れて行ってもらった。肛門科入門である。出血はすぐに治ったが、長い付き合いとなっている。かれこれ二十年以上の付き合いであるから、もう仲良しこよしである。
大学生になってから知り合った友人で今も交流があるのはやまっちょとゴヤとアケミックスである。やまっちょは学部は一緒であるが科が違った。それでも共通の講義を選び、一緒に講義を受けた。二人で並んで講義を受ける時は、決まって遊んでいた。まずはイヤフォンを片耳ずつ使ってマッキーの曲を流す。槇原敬之の曲で共感するフレーズについて筆談するのである。例えば、モンタージュという曲がある。『恋をするつもりなんてこれっぽっちもない時に限って恋はやってくる』わかるわ〜。さすがマッキー!と言う具合に曲についてあれこれ筆談するのである。これは楽しかった。講義そっちのけである。あとは、やまっちょは絵が上手だった。ルーズリーフを出して絵しりとりをした。これもなかなか面白かった。こんな風に遊んでいたのにも関わらず私は大学四年間で単位を一つも落とさなかった。ラッキーボーイである。
入学当初、バレーボールのサークルに入るか、ギター弾き語りのサークルに入るか逡巡した。結局どのサークルにも入らなかった。高校時代から大学時代にかけての私の趣味は作詞・作曲だった。私はギターを弾いて歌うのが好きなのだ。私は先日タンスの引き出しにしまってあったカセットテープを、取り出した。長い間、使用していなかったため、電池が切れていてレコーダーは動かなかった。新しい電池を入れれば動く。そう考えたが、その考えは浅はかであった。電池は満タン。ボタンを押した。長い間眠っていたテープレコーダーは上手く動作してくれなかった。諦めかけたが、私はどうしてもそのテープを聴きたかった。何度かボタンを押してみたところ、ちょっとした手応えを感じた私はボタンの押し方を変えてみた。完全に押し込んでは駄目みたいだった。半押しする様に押さえていれば大丈夫なのではないか。私は工夫してみた。するとテープは回り始めた。私の声が機械を通して聞こえてきたのである。その曲の名前は『静かな森』である。私が高校時代に書いた詩に、私の姉である雪がピアノで曲を付けたものであった 自分で言うのもなんだが、これほどストレートに心に刺さる歌詞を書いていた私はすごいと思ったのである。「辛くても、苦しくても死んじゃいけないよ。君なら優しい妖精になれる」なんていい詩なんだろう。私は天才かもしれない。その詩をスッと心に響かせるこのメロディーを考えた姉はなんて素敵なんだろう。そう思ったのである。ただただボーッと生きていたなんてことはなかったみたいだ。しっかりと考えて、しっかりと地を足で踏み締めて私は生きて来たのである。ボーッとしてしまったのは港のある町に来てからだ。それまで私はしっかりとしていたみたいだ。港のある町の高校に赴任する前までは、この熱のない高校を私が変えてみせるとそう思っていたのであった。私は熱いものが好きなタチなのである。
高校時代からハマった音楽はエレファントカシマシである。『今宵の月のように』を聴いた時は、胸が熱くなった。すぐにCDを買いに行った。買いに行くのは私の住んでいる町の生協に入っていた玉仙堂である。駅と繋がっている階段の下にあるお店だ。今はもうなくなってしまった。




