第16話
第十六話:私の記憶 十二
部活を引退した私は大学を推薦入試でスルリと決めて、回転寿司屋でアルバイトを始めた。週に三回か四回働き、月五万円ぐらい稼いでいた。今では最低賃金が九百二十円だが、当時の私の時給は六百五十円だった。最初の三ヶ月は六百円だった。違法だろ。違うのか。四年程働いたが時給は六百九十円止まり。切ないアルバイト生活。楽しみはつまみ食いと、皿運びである。前者は言うまでもなく楽しいだろう。飲食店で働いたことがある人なら必ずやっていることだろう。後者はどうか。回転寿司屋ならではだろう。お客さんが帰った後、テーブルには沢山の皿が残される。その皿を兎に角高く積み上げて、洗い場まで運ぶのである。まるで大道芸である。成功すると子供達からは喝采の声が上がる。それが楽しかった。もちろん、失敗したこともある。洗い場との境目に暖簾があるのであるが、その暖簾をくぐる際に、一瞬視界が塞がれるのである。そして、ドンガラガッシャーン。「もりちゃーん!何やってんだー!」というマスターの声が響いた。その日以降はあまり調子にのらないようにして働いた。
ぺろんちょも半年ぐらい同じ回転寿司屋で働いたが、手荒れがひどくてやめてしまった。ぺろんちょとシフトが一緒の時は楽しかった。お客さんが入って来た時に、いらっしゃいませと言うのだが、そのバリエーションを豊かにするという遊びをしていた。イントネーションを変えてみたり、声を太くしてみたり。マスターに怒られないギリギリのラインを攻めなくてはならないのであった。嗚呼とても懐かしい。
回転寿司屋で働いたことで、寿司の握り方まで教えてもらった。基本はシャリ玉マシーンがシャリを作るので、アルバイトの人は寿司を握る機会などない。私は四年以上働いていた為に、職人さんから握りのレクチャーを受ける機会があったというわけである。本来ならばタマゴ、軍艦などを作るのであるが、私は裏方に回りながら握りも担当させてもらっていた。私が自負しているのは軍艦巻きの海苔を巻き付ける速さである。きっと私の右に出るものはいないはずである。
月見納豆八丁。こう言われたら月見納豆を八皿作らねばならない。これがまた厄介な軍艦で、海苔巻きつけたあとに納豆を入れて、真ん中に指で穴を開けてその中にうずらの卵の黄身だけを入れるのである。忙しい時に注文されるとパニくるメニューなのである。それゆえにアルバイト仲間からは嫌われているメニューだった。
少し話を進めよう。私はアルバイトでコツコツ貯めて、五十万円以上銀行に預けていた。バイトがない日は彼女とデートに行ったりもした。記憶に鮮明なのはクリスマスイブに街にイルミネーションを見に行ったことである。恥ずかしながらも手を繋いで歩いた。それだけで幸せだった。プレゼントは二一二の香水にした。かわいい彼女にお似合いの甘い香りのする香水だ。私は財布を貰ったような記憶がある。悩んで決めた香りの香水を彼女は喜んでくれた。好きな香りがする好きな子をもっと好きになった。




