第11話
第十一話:私の記憶 七
バレーボール部の送別会についてはあまり記憶がないが、力也からメッセージ入りのボールをもらったのはよく覚えている。なぜなら今でもベットの横に飾っているものであるからだ。私宛には『素直さを大切に』と書かれていた。その下にはリキヤよりとカタカナで書かれていた。きっと私たちが陰で呼び捨てにしていたことを知っていたのだろう。他の仲間達には何て書いてあったかは記憶にない。こうして私は中学校を卒業していったのである。
高校に入ってすぐ、お迎えテストなるものがあった。いきなり団子みたいなものだ。いや、これは言いたいだけだ。いきなり団子はご存知だろうか?小麦粉を練って伸ばした生地で、厚さ一センチ位の輪切りにしたさつまいもと粒あんを包んだものを蒸した、昔ながらの素朴な風味の熊本の郷土菓子である。これが美味しいのである。さて、話を戻そうか。お迎えテストの結果を言うと、十番であった。勉強もせずに迎えたテストで十番である。一番ビックリしたのは本人である。その瞬時より、アイツはデキル奴だというラベルが貼られてしまったのである。嘉門達夫が大好きで、ふざけることが大好きな直美君が優等生というラベルを貼られたのである。これほど苦しいこともなかった。努めて勉強をするようになった。なぜなら、私には夢があったからである。その夢とは高石力也のような熱い先生になることである。しかし、その夢は大っぴらに公表はしていなかった。両親にさえ話してなかったのではないだろうか。教員になる為には、大学に進学しなければならない。両親に大学に行きたいと言えずにいたのである。私は両親への負担を考えて、保育士になる為の専門学校に行きたいと伝えていた。私はこの高校の中ではトップをとっていたが、所詮は井の中の蛙である。自信がなかった。自信がない上に臆病だった。失敗を恐れた。
進路を決定する高校三年生の時の三者懇談。母が私に言った。「直美、本当は先生になりたいんじゃないの?大学行きたいならお金の心配しなくていいよ。」母は私の気持ちを全てわかっていたのである。そして、担任の先生は教育大の推薦の話をしたはずである。評定はオール五、バレーボール部のキャプテン、学年の代表(生徒会長ではない)というステータスがあれば、推薦入試で入学できるぞと背中を押してくれたのだが、私はその話に乗らなかった。高石先生は社会の先生であったが、私は社会よりも国語が好きであった。国語の方が脱線しても許されそうだなとも考えた。そして、国語の教員免許の資格が取れる、自宅から通える範囲にある私立大学を受験することに決めた。年間百万以上かかる四年制の私立大学であった。




