第10話
第十話:私の記憶 六
私は中学入学と同時にバレーボール部に入部した。姉である雪の勧めである。姉は小学生の頃からバスケットボールをやっていた。スラリと背が高く、私には自慢の姉であった。姉が言うには、まず第一に、顧問の先生が熱い。禿げてるけど熱い。第二に先輩達に格好良い人が多い。第三に人数があまり多くないからレギュラーを狙えるかもしれない。そう言われた私はバレーボールを始めることに決めたのである。私はバレーボールに夢中になった。最中先輩のチョモランマサーブはすごかった。最中先輩は天井高くボールを投げてそれをドライブサーブでバチッと打ちつけるのである。最中先輩に教わりながら私はチョモランマサーブを会得した。最中先輩は一つ上の先輩で話も面白くて大好きな先輩だった。このチョモランマサーブは高校へ行っても私は使うことになるのであった。
身長は伸びたのかというと、順調に伸びていった。中学二年で百五十八センチ、中学三年で百六十八センチ。一年で十センチぐらい伸びていったのである。この調子で行けば、夢の百八十センチも夢じゃない。一人じゃない。スピッツの歌が頭の中に流れたが、気にせずにいこう。
高校一年生で百七十センチに到達。あれ?二センチしか伸びてないじゃないか。遂に止まったか。姉は百七十五センチもあるんだぞ。どうなってんだよ、神様。父は百七十四センチ。母は百五十八センチ。私は姉を越えたいぞ。しかし、その願い虚しく自称百七十二センチとなったのである。詳しくは聞かないで欲しい。
私は中学時代はレフトを少々、他はほとんどセッターとして育てられた。顧問の高石力也は本当に熱い、熱苦しい先生だった。これは中学三年の春の大会だったと記憶している。試合は中盤、いい試合だった。私がトスをミスしてしまった。すると、試合中であるのにも関わらず、力也がコートに入ってきて私の顔を思い切り殴った。審判は力也にレッドカードを出したのである。その後、監督不在のまま試合は進み、負けた。私は試合中にレッドカードをもらって退場した監督を他に知らない。その当時はまだ、体罰だとかなんだとかあまりうるさくなかった。殴られた私は悔しいと思うものの、力也のことは嫌いにならなかった。力也と呼び捨てにしていたのはここだけの秘密である。
私は中学二年の時から高石先生が担任であった。部活の顧問でもあり、担任でもあったのだから二人の距離は近かった。私は自然と高石先生のような熱い先生になりたいと思うようになっていった。練習中にメガネが壊れてもガムテープで止めて、練習は止めない力也。ズボンが破けても気にせずに練習を続ける力也。汗だくになりながら、練習でミスをすると袈裟固めをかけてくる力也。あげればキリがないほど、熱い男なのである。
私の進路を決める三者懇談で、高石先生は、「盛林君は霞西高校へ行って一番を取るのを狙った方がいいと思います。霞雲高校にも入れるとは思うけれどね。」と言った。私も母も全幅の信頼を高石先生に寄せていたので、その通りにすることにしたのである。セッターで背番号一番、キャプテン、盛林直美、霞西高校へ進学を決めたのである。




