プロローグ〜第1話
プロローグ
小さな頃から文章を頭の中で書いて、ストーリーを作ることが好きだった。
こうして今パソコンの前に座って文章を打ち込んでいるのには二つの理由がある。一つ目は死ぬまでに小説を一つ書き上げることが私の夢であるからだ。後々記述することになるがこの夢は私の最後の卒業生に宣言した夢である。発売したら読んで欲しい。そう伝えた夢だ。
二つ目は、私の兄がこの世から去ってちょうど三十三年の月日が流れたからである。この文章を打ち込んでいるのは八月十日である。兄の命日は八月八日とされている。「あの日」の出来事と私の記憶を、思い出せるうちに思い出し、記録しておこうと考えたのだ。
人は必ず死にゆくもの。できることはやっておきたい。そう前向きに考えられる日がやってきた。それが今日という一日である。
第一話:私
私の名前は盛林直美。よく名前で女と間違われるが意外と気に入っている。危うく龍三という名前になるところだったらしい。当時人気の俳優さんの名前を付けようと両親は考えていたそうだ。直美という名前は母方のおばあちゃんが付けてくれた。本当に感謝している。
しかし、私はそう容易く「なおみ」と友達から呼ばれたことはない。大抵が上の方。苗字からあだ名を付けられ、もりちゃんと呼ばれる事が七割五分だ。残りの二割五分はモリモリであったり、モリ先だったり、時には「王子」と呼ばれていた時もある。なおみと気安く私のことを呼んだのは、私が顧問をしていたバドミントン部の子達ぐらいなものである。
大学生の時はちょっと変わっていて、お互いをさん付けで呼び合っていた。私は「もりばやしさん」、門馬さんは「もんまさん」。門馬さんは大学入学後に出会って仲良くなった人である。門馬さんはラーメンのメンマが苦手であった。苦手を超えて、嫌っていた。小さい頃にもんまを「メンマ、メンマ」と言って来た奴がいたそうだ。それですっかりメンマ嫌いになってしまった。メンマは悪くない。
門馬さんは元気にしているだろうか。大学を卒業してから一度だけ、バッタリ出会ったことがある。私は親友のやまっちょと一緒に古本屋を巡っていた。確かあれはそう、文化の日だったはずである。文化と文庫をかけてお店がセールをしていたのである。その日に小説を買い漁っていた私に声をかけてきた人。それが門馬さんである。大学時代いつも一緒に行動していたクロと二人だった。私は驚いた。奇跡みたいなものである。私は毎週と言っていいぐらいやまっちょと二人で古本屋巡りの旅をしていたからだ。
当時、私が買い集めていたものは宗田先生の『ぼくらの七日間戦争』の続編、いわゆるぼくらシリーズと呼ばれている小説だった。大学卒業後、私は故・灰谷先生の本や重松先生といった教師が主人公になっている本をたくさん読んでいた。灰谷先生の書籍『わたしの出会った子どもたち』には感動を覚えた。今でも本棚にあり、いつでも読めるようにしてある一冊だ。
CDはやまっちょ、本名、山川誠くんに色々と教えてもらい、買い集めが始まった。先に言う『遠距離恋愛は続く』という曲もやまっちょがいなければ、知らずに死んでいたと思われる。やまっちょは私にとって私の良き理解者であり、感謝しても仕切れないほど大切な存在である。現在コロナ禍にあり、久しく会えていない。しかし、最近明るくなれた私は彼に会いたくて仕方がない。この心も身体も元気な姿を彼に見せたい。
今年の年賀状は出さなかった。本当にダメダメであった。私の親友は彼を含めて十人いる。親友にはこの小説を読んで欲しいと思う今日この頃である。
最初の読者は誰にしようか。今とても悩んでいる。一番近くで見ていてくれた妻に読んでもらいたいが、彼女はあまり私の執筆に興味がないみたいだ。そうなると十人のうちの誰かということになる。
塩ラーメンの聖地に住んでいる澤ぺろんちょが最適なのかもしれない。レンガの町にいるエースも良いがあまり本を読むイメージがない。やまっちょは優し過ぎるから両手を上げて褒めてくれるだろう。アケミックスはまた優しさに溢れている。響子ちゃんは。…。
おっと、話が横道にそれてしまった。私の直さなければならない悪い癖である。それでは本筋へ戻る。