”戦乙女”
ガタンガタン、と馬車に揺られながら外を見る。
既に森林は抜け、ぽつぽつと木々が生える程度の草原を馬車は走っていた。やはり貴族の馬車だからか、揺れはするものの記憶している馬車よりは余程乗り心地が良い。
木造かつ何の工夫も施されていない庶民向けの馬車は、数分乗るだけで尻がとんでもなく痛くなるし、あれなら歩いて行った方が余程マシだと感じる。まぁ、確かに時間短縮にはなるが、その代わりに身体が傷つくんじゃなんとも。
「あ、見えてきたわよ、ライ」
お嬢が馬車の窓を指差して、俺を促す。
それに従う様に、俺は身体を浮かせ、窓の外を確認する。そこには、ずっと昔に訪れた記憶と共に一つの単語が浮かび上がり、それを口から零す。
「”奈落都市ヘルベル”…」
「あら?名前は知っているのね」
あぁ、勿論知っている。
…何せここは、ずっと先の未来に”最悪”と呼ばれる戦火に包まれて崩壊するんだからな…。
◇◆◇
城門を通り、馬車がゆっくりと右に左に曲がって街中を進んでいく。
そして、馬に嘶きと共に停止し、お嬢が俺に「行くわよ」と声をかけ、俺は馬車から降りる彼女の後を追った。
執事が扉を開けて、馬車の外で待っているのに感心し、それと同時に目の前の建物に目を見張る。
「ここが、シルヴァ商会よ!」
「馬車が豪華だからてっきりこっちもごてごてしてると思ってたわ」
予想に反して、シルヴァ商会の拠点は素朴の一言で完結できる作りであり、石煉瓦を基調にしたシンプルかつ落ち着くテイストだった。
「そんな訳ないでしょう?探索者を相手にするつもりだったのだから『入りづらい』なんて理由で踵を返されちゃ溜まったものじゃないわ!」
「そういう所は分かるのかよ」
「ちなみに一階が消耗品販売と倉庫、二階が遺物売買、三階が居住スペースよ!」
「あいあい」
執事が馬車を店の前に付け、馬をどこかに引いていくのを横目に見ていると、お嬢が俺の手を掴み、店の中に引っ張っていく。
中も豪華絢爛というよりはやはり質素、素朴といった具合であり、探索者側としてはまぁ有難い雰囲気だ。
「貴方、どうせ宿も無いでしょう?三階の一番隅の部屋、小さいけど空いてるから使っていいわよ」
「至れり尽くせりだな」
「それくらい期待してるってこと」
階段を上り、三階につくと部屋を紹介される。
その扉に手を掛け開くと、普通の宿屋よりは多少狭いものの、ベッドや机など必要なものは揃っているし、どれも埃も被っておらず清潔だ。ここ実質無償で使っていいとか、流石貴族様って感じだな。
お嬢も自分の部屋に荷物やらを置いていったようで、既に扉の前に彼女の姿は無くなっていた。
俺は幾つかの荷物を整理し、必要のない物をとりあえずとばかりに机の上に置くと、最小限の荷物を鞄に詰めて、部屋を出た。
幾つかある扉のどこにお嬢がいるのかは分からなかった為、少し大きめの声で、
「ちょっと迷宮行ってくる!最初だから様子見程度で帰る!」
「…ぇ!?あ、ちょ!!」
俺がそう言うと同時に、扉の一つからそんな声と金属的な何かが倒れる音がする。
剣か何かの倒れる音…?お嬢でも武器は持っておくのか。
俺はそんな事を思いながら、一階に下がって表口ではなく裏口がある事を確認してシルヴァ商会を出た。
◇◆◇
――奈落都市ヘルベル。
巨大な洞窟の様な地下迷宮があり、その内部の所々に点在する巨大な穴ぼこ…その底が全く見えない暗闇の奈落であることから”奈落都市”と呼ばれるようになった。
「あ、そういや腹減ってるんだった…」
ぐぅとなる腹を抑え、迷宮へと道を探す。
残念なことに金という金も無い為、露店で買い食いすることもできない。なんともひもじい思いだ。一度帰ってもいいが、どうせ様子見程度だ。問題はないだろう。
探索者が進んでいる方について行きながらそう判断する。
暫くそうしてついて行くと、巨大な建物の残骸が広がる空間に出た。探索者たちはその残骸に進んでいく。
地下迷宮は、元々巨大な建造物の下にあったと言われている。
しかし、地上に立っていた建造物は崩壊し、残ったのは地下に降りる為に作られたであろう無数の天然階段のみ。俺は近場の手頃な階段を見つけ、壁に手をつきながらそこから降り始めた。
暫くすれば、階段は終わり、そこは巨大な洞窟のような空間だった。幾つもの入れそうな穴が床や横道、天井にあり、蟻塚の様な雰囲気も感じられる。
「とりあえず、下でも目指すかな」
ナイフを握り、そう呟く。
ヘルベルの地下迷宮は、地下故に下に行けば行くほど階層が進む。
更に言えば、何も遺物は迷宮を踏破した際だけに貰えるような崇高なものでもない。俺が最初に潜ったあの初心者御用達の迷宮は、難易度が低いからこそ踏破時にしか遺物は出ない。
しかし、地下迷宮の様な場所は違う。
一定以上の難易度であれば、途中にある木箱の中や隠し部屋、俗に言う宝箱の中からも遺物は手に入る。勿論、踏破した際の遺物の方が希少性が高いのは間違いないが。
「…っと魔物…腐食犬か」
既に体力は回復している。
全快ではないにしろ、〈風切りの足輪〉も使えるだろう。腐食犬が「バゥワッ!」と変な声を上げながらこちらに噛みつこうと向かってくる。
俺はそれを限界まで引きつけて、〈風切りの足輪〉を使って横に身体を一瞬で動かす。そして、それと同時にナイフを腐食犬の殻に突き刺し、そのまま地面に縫い付けようとする。しかし、流石に力が足りず腐食した身体を地面にぶつける程度で終わる。
反撃されちゃ溜まらないと、右足で腐食犬の顔を強く踏みつけ、そのまま腹を幾度と無くナイフで突き刺すと、次第に動かなくなった。
「動物系の魔物は申し訳なさが勝つな…」
息絶えた腐食犬の鼻を削ぎ取り、鞄の中の袋に入れる。鼻水とも腐食液ともいえるよく分からない液体が手につき、「うぇぇ…」と嫌な声を漏らす。
〈次元の鞄〉や〈無限袋〉があれば、あれもこれもと魔物の死体を持ち帰ってもいいのだが、それらがない以上剥ぎ取りはできねぇ。この腐食液も良い錬金素材らしいんだけどな…。
乱獲して錬金術師共に大量に売りつけたのを思い出す。あれは良い金稼ぎだった。
てくてくと周囲を警戒しながら歩く。すると、
「…ぇえ?子供?」
「マジじゃん」
「坊主、興味本位で入ったか?それとも故意?」
前方から三名の探索者。
迷宮内で会うとはまた珍しい。迷宮は、次元が無限に屈折し全容を捉え切れない空間だ。それ故に、見た目と中身の大きさはあまりに異なる。それ故に、探索者同士が迷宮内で遭遇することはあるにはあるが、そこまで多い訳じゃない。
「あぁ、故意す故意。すんません心配させて」
「…なるほど、そりゃ舐めた真似して悪かった同業。互いに頑張ろうぜ」
俺を心配する様に声を掛ける三人組の探索者たちに、にへらと俺は手を横に振る。
俺の口調と感じを悟った探索者の内の一人が、こちらにそう述べながら仲間二人を引っ張って横を通り過ぎた。
分かってる奴もいるのか。
俺は左手で連中にちらりと見せていたナイフを再び右手で握り直した。まぁ、武器をちらつかせて「詮索は無しだ」って穏便に伝えただけだ。
多少探索者をやってれば詮索をされたくない奴は増えるし、嫌でもその意味を覚える。
なにせ、こちとら街の商人の目の敵、シルヴァ商会に協力している身だ。下手な詮索は遠慮願う。
そうして、暫く探索していると下に降りる階段を見つけた。正直このまま潜ってもいいが、流石にこの迷宮の階層は忘れてしまっているし、空腹も限界だ。
俺は来た道を辿りながら、帰路につく。
途中で腐食犬とゴーレム数体に出会った。ゴーレムの方は対処法を理解していればスライムやゴブリンよりも簡単に倒せる鴨だ。有難く奴らの胸の中にある核を貰っていく。
特に何かある訳でもなく、その後は迷宮から脱出し、迷宮協会を探して、ゴーレムや腐食犬の一部を渡し、報酬の金を受け取る。ガキはガキでも、多少身なりがしっかりしていればやはり嫌な顔はされないものだな。
「これ美味ぇな」
適当に買い食いをし、多少腹に物を収めながら俺はシルヴァ商会への帰路を辿った。
表口から入ると俺がシルヴァ商会を懇意にしているとでも思われてしまう。
ここの商人共がガキの探索者を相手にしないと言っても、保険は大切だ。一応、とシルヴァ商会を出るときに確認しておいた裏口に回り、そちらから入る。
一階の消耗品が陳列されている場所はやはりというべきか客は一人もおらず、商人たちの一致団結具合が見て図れる。
「おや、ライ様。おかえりなさいませ」
執事のアルバが俺が裏口から入ってきたことに多少驚きつつも姿勢を崩す事無く、そう言った。
「あぁ、どうもアルバさん」
俺は適当に挨拶をし、と階段を上がる。
昔の俺が実際にこの地下迷宮に潜ったのは酒が飲めるようになった年だったと記憶している。つまりは十八歳。初めて飲んだ酒の印象のせいで、この辺の記憶は強く残っている。
遺物を手に入れる探索者は、何がどうして迷宮に潜る以外にも色々としなくてはいけないことが増えていく。それこそ、迷宮関連以外の依頼をこなすなんて日常だ。なにせ、そういう奴は決まって遺物を大量に持っているのだからそりゃ人気もでる。
金を数え、防具を確認する。
シルヴァ商会は防具を取り扱ってねぇし、お嬢に悪い気もするが別の商人やら鍛冶師から防具を買わねぇとな。
それに、ここの地下迷宮もそこまで苦戦しないだろう。〈風切りの足輪〉があれば多くの場面に対応できるし、まだこの時代に生まれていない技術を俺は使える事も迷宮で立証済みだ。
「ふぅ」と息をつき、とりあえず迷宮に潜った感触をお嬢に伝えようとベッドから立ち上がる。そして、隣のお嬢の部屋の扉をノックしに行こうとし、
「ライ!今日は貴方がシルヴァ商会に加入した祝いに外に食べに行くわよ!」
「……いや、入ったわけじゃねぇよ」
ドンドン、と扉を叩いてそう叫ぶお嬢に、俺はそう零して扉を開けるのだった。飯食い行くなら買い食いしなきゃよかったな…。
◇◆◇
「飲食店には無視されてないのな」
「えぇ、飲食店の人達はそれほど商人って感じでもないし、うちの商会がそちら側にも介入するのは難しいってあっちも分かってるみたいだから」
「そんなもんか」
「そんなものよ」
俺とお嬢が並びながらそんな事を話して歩き、その後ろに付き従う様にアルバがついて来る。
街の人の反応を見るに、シルヴァ商会という商会単体をどうやら探索者たちは無視しているようで、その主であるお嬢やアルバを見ても、少し珍しいものを見るような視線を送るくらいだ。
まぁ、商会の主なんて探索者にとっちゃどうでもいい事だしな…。
結局は商品の価格と品質だ。俺達は所詮それしか見ちゃいない。どれだけあくどい事をしていてもこちらに利があるならば、一定のそれらは見逃すのが探索者って生き物だ。
「それに、あなたに紹介しなきゃいけない子もいるのよ!」
「あぁ?」
お嬢は俺とアルバを従えて、大衆的な飲食店に入り、既に取っておいたのか空いている机の丸椅子に腰を掛ける。アルバが俺に「どうぞ」と席を指し、それに従い椅子に座る。
周囲の喧噪が耳朶に響く。
アルバが壁に掛けられた板を読み、注文をしている横で俺はお嬢に問う。
「商会を出る時、あんたの部屋から長い金属的な何かが倒れ込む音がした。俺にはそれが長剣やその類の音にしか聞こえなかった。まさかとは思うが…」
「…ライ、貴方本当凄いわね…。そのまさかよ」
お嬢がくいと少し遠くに手招きをした。
すると、隅に座っていた一人の少女が立ち上がり、こちらに近づいて来る。
「貴方を勧誘する前からうちで活動している子よ。衣食住を提供する代わりにあなたと同じく迷宮に潜って貰ってる。名前は…」
その少女は、肩ほどまでの長さの桃色の髪をしていた。
如何にも気の強そうな切れ長な瞳には、はっきりと俺の姿を映していた。
…瞳の中に映った俺は、一体どんな表情をしているだろう。
多分、ありえないものでも見るようなそんな驚愕の表情なのだろう。なにせ、それほどまでに――!
「―――”戦乙女”…ノノ…!」
「あら、ノノ…ライと知り合いだった?」
「違う」
…あぁ、そうだろう。
俺がこいつと知り合いな訳があるかよ。一方的に俺が知っているだけだ。…なにせ、前の世界でこいつは”戦乙女”なんていう通り名を世界中に轟かせていた怪物の一人なんだから…――!
嫌な汗が背中を伝う。
無表情を貫くノノに、俺は精一杯の虚勢を張って、
「あぁ、俺が知ってただけだ。…ライだ、よろしく」
「私、ノノ」
俺より少し背丈の高い彼女が、俺の差し出した手を握り返す。
やはりこの女…厄介事しか運んでこねぇぞ…!
俺とノノが握手をする真ん中で、嬉しそうに笑みを浮かべるお嬢を俺は心の中で強く睨みつけるのだった…。
【Tips】同一遺物の数
遺物は同じ名前、性能のものが幾つも存在する。
等級が上がれば、確認されている数は減っていく。しかし、最低等級の”普遍”であれば、世界中に所持者がいるだろう。