厄介事の気配
ガタンガタン―――。
許容しきれない揺れで俺は目を覚ました。脳味噌ごと頭ががくがくと揺さぶられ、身体を起こす。
「あ、起きた」
ジンジンと痛む頭を押さえながら、俺はその声がした方を向いた。
そこには、意識が途切れる前に見た金色の髪を携えた少女の姿があった。
「あー…おはよう、ございます?」
「えぇ、おはよう、恩知らず」
「…酷ぇ言い草ですこと」
ふぅと息をつき、周囲を見渡すとそこはやはりというべきか馬車の中だった。といっても、俺の記憶にある木や少量の鉄でできた素朴なそれではなく、金や軽い材質であろうそれら素材をふんだんに使っている豪華絢爛な内装の馬車だ。
つーか、こいつ俺を床で放置してやがったな…。
自分が床に座っている事に気付き、目の前の少女を睨みつけそうになる。しかし、思えばこの少女が自分の命の恩人であることには間違いない。
「……」
文句はないとばかりに俺は黙りこくり、揺れる馬車でどうにか立ち上がった。
「あー…こちら座っても?」
「好きにすればいいわ」
少女が座る側とは真逆の背凭れに俺は腰を掛ける。
ふわふわとした感触が尻と背中に伝わり、思わず「おぉ」と声が出る。それを見ていた少女がくすりと笑いを零しながら、口を開く。
「さて、恩知らず。貴方はだぁれ?」
これは、自己紹介をしろという事か。
俺は自分の中でこちらを値踏みしているであろう彼女の視線に自分の視線をぶつけてやる。
「ライだ。田舎の迷宮街から出てきた」
「何歳なの?」
「あ?…あー、俺はスラムの裏路地出身だから正確な歳は知らんが九歳くらいの筈だ」
「あら、私と同じ歳!それにスラムなんて面白い出ね!」
正直に話すべきだと判断して、スラム出身の事まで話したが想像よりも嫌がられねぇな?
スラムはどうしても汚らしいという印象がつく。勿論、それは印象じゃなく正しい認識だし、俺自身スラムの事を毎日毎日汚いと感じていた側だ。
てっきり貴族様か何かかと思っていたが、そうじゃねぇのか…?
更に貴族などの、”高貴な血”とやらはより一層汚らしい者を嫌う。それこそ、俺の様な奴とかな。
「次は私の番ね!」
少女が金の髪を揺らして立ち上がる。
ばさりと長い髪を手で持ち上げ、離す。…あ、格好つけてんのかこれ。こっちに威圧でもしてるんかと思ったわ。
「私はシル・ヴァ・アラレイク!シルヴァ商会の主で、いずれこの世界の覇権を握る者よ!」
「わぁ、でっかい夢」
ふふん、と無い胸を張る彼女を、俺は眩しいものを見るような視線を向けた。
それにしても、シル・ヴァ・アラレイクか。ミドルネームがあるって事は貴族確定だな。
「あ、私はお嬢様の世話役兼お目付け役の執事のアルバと申します」
ついでとばかりに、馬車の前から老年の男性の声が聞こえる。
そういえば、馬車が現れた時も彼女以外の声が一人聞こえていた気がした。どうやらその執事とやらは今、馬車の御者をしてくれているらしい。
「どうも」と壁で見えない彼にぺこりと頭を下げて、俺は再び目の前の彼女を見た。
「まずは助けてくれてありがとう。あんたが助けてくれなかったら俺は死んでいた」
深々と頭を下げ、礼を述べる。
あのまま行ってもジリ貧だったのは間違いない。体力も無かったし、〈風切りの足輪〉も一度の使用限界を超えようとしていた。多対一だったこともあり、戦うのも不可能に近かった。
あの場に彼女の様な第三者の介入がない限り、俺はあの状況を打破できやしなかったのだ。
「ふふん!そうでしょうそうでしょう!」
彼女は、自分のした行いに自信があったのか胸を更に張り、自慢げに鼻を伸ばした。
だが、その後の問題は俺にあった。
「あー、それで悪いんだが…」
俺は、彼女に報いる何かを持たない。
こういう場合、一番後腐れないのは物品を渡し、それを礼の品とすることだ。命を助けられた以上、何らかを差し出さねばあとから何を言われてもこちらに発言権は無いも同然だ。
過去の経験からそれは理解している。理解こそしてはいるが…、
「俺はあんたに報いたい。だが、生憎あんたの欲しがりそうなものはなにも…」
唯一、普遍遺物である〈風切りの足輪〉くらいはあるが、流石にこれは渡せない。今俺が持っている唯一の特異性であり、これが無ければ危ない場面は現状の実力的にごまんと出てくるだろう。
「ふぅん?別に気にしなくてもいいわ。困ってたら助けるのは当然よ」
こいつ…、本当に貴族か?
商会を持っているタイプの貴族ならもっと損益で考えると思うんだが…。
俺の知っている貴族像と商人像、そのどちらからも大きくかけ離れる彼女を、俺は意外なものを見るような視線を送った。
しかし、彼女が良いと言ってもこちらは納得できない。
良いと言っても、あとからやっぱ駄目なんて幾らでもある。
「でもなぁ…俺に出来る事っつったら精々迷宮潜りくらいだし…」
「――…ライ!貴方、迷宮に行くの?」
「…ん、あぁ…まぁ迷宮潜りってよりも、遺物漁りって言った方が正しいかもしれねぇな」
シルは立ち上がり、瞳をキラキラと輝かせる。
「むしろそっちの方が好都合よ…!」
「好都合?」
どこか期待するような目をシルはこちらに向けていた。
俺はその瞬間、過去に同じような目をしたやつがいたなと思い出す。そいつは一緒に潜る度に、毎回こう言っていたのだ。
『――なぁ!いらない遺物出たら私にくれよ!』
「――ライ、貴方私の商会に遺物を卸す気はない?」
その言葉たちは奇しくも似た意味を伴っていた。ただ、違いと言えばその取引に商売が絡むかどうかという点のみ。
しかし、俺はシルの言葉に「ううん」と唸り声をあげるのみだった。なにせ、おかしいのだ。
「なんであんたは、俺みたいなガキに目を掛けようとしてんだ?」
俺は所詮只のガキ。
迷宮潜りと言っても、ハイ・コボルトから逃げていたり、貧相な防具を見れば大した奴じゃないことくらいは分かるはずだ。
にも拘らず、彼女は俺に多大な期待を込めているように見えた。
おかしい。おかしすぎる。
遺物を卸す探索者が専属で欲しいという商会がごまんとあるのは理解している。遺物は基本、人の手に渡ればどんどんと高騰していく。それこそ逸品等級以上の遺物であれば、その価格高騰は顕著だ。
なにせ、遺物は買い手が無くならない超高需要の特異品なのだから。
――無限に冷水が出る水瓶がある。
――地面を叩けば誰かが不幸になる槌がある。
――己が無欲であればある程、欲しい物が手に入る杖がある。
そんなものがどこにも渡らず己の手に入るのだから専属化する意味は分かるのだ。だが、それは断じてガキやそこらのスラム出身ではない。
「…一つ言っておく。俺は確かに遺物漁りだが、持っている遺物はこれだけ。つまり、踏破した迷宮はたったの一つだ」
右足首の足輪を外し、それをしかと焼き付けさせるようにシルに見せる。
「これは〈風切りの足輪〉。等級は最低の普遍だ」
確かに俺くらいのガキが迷宮を踏破したという事実は驚くべきところがあるだろう。
しかし、その報酬である遺物等級が”普遍”ならば、「余程簡単な迷宮だったのか」と普通はなる。残念な話だが、俺は命の恩人に厄介者を掴ませるつもりはない。もっと別の方法で恩を返し――、
「わぁ、踏破もしてるのね!凄い!じゃあやっぱりぴったりっ!!」
「……」
こりゃぁ筋金入りの事情持ちだ…。
シルの行動からそう断定する。俺は馬鹿じゃない。運命を感じたやら直感が言ったやら、不安定なそれ等は決して善意ではなく、悪意から来る言葉だ。そういうのは、こっちを騙そうとしていたり、陥れようとしていたりすることが多い。
だが、彼女はそういう事を言うのではなく、俺という情報と自分の中にあるであろう情報を照らし合わせ、それでも尚それが良いと叫ぶのだ。
「…事情を話してくれ。そしたら、俺ももう少し考えられる」
「…!そう言ってくれると思ったわ!」
…もしかして、面倒臭いのに救われたか?
そんなもう後にも引けないであろう現状を振り返って、笑顔を振りまく彼女に小さく溜息をつくのだった。
◇◆◇
「…あぁ?つまりなんだ?あんた今いる街の商人共によってたかっていじめられてるってかぁ??」
「その通りよ!酷い話!」
「全くもってその通りで御座います」
シル・ヴァ・アラレイクという少女の話はこうだ。
彼女は貴族の親に無理を言って自分だけの商会を立ち上げた。
そして、その商会と両親から貰った金、それに当面の活動拠点である店を構え、街で商売を始めた。
始めた商売は二つ。
・遺物の売買&オークション
・探索者に向けた消耗品の販売
まぁ、しかし、突如街に現れて我が物顔でそんな事をやり出したのは、今までコツコツやってきた商人共は良い顔をしない。
商人連中は協力し、探索者に「シルヴァ商会に遺物を売るな」「シルヴァ商会の物を買うな」と探索者に促し、それを果たさなければもう物は売らないと一点張り。
探索者達は、流石にシルヴァ商会だけでは生きていけない。
そのため、多くの商人たちに従う形でシルヴァ商会に足を運ばなくなったという。
「…いや、まず挨拶しねぇのはヤバいだろ」
「えぇ!?私が悪いの!?」
「いや、悪いとは言わねぇが、貴族様の大商会が街に突然来たらそりゃ同業は怖いさ。同業以外も手を広げられる可能性を恐れて、結果一致団結しちまうよ」
「い、言われてみれば…?」
「だが、まだ話して貰ってねぇな。俺じゃなきゃいけない理由をよ」
そう、彼女がいかにして街からハブられてしまったかは理解した。
だが、それが俺でなければいけない理由にはならない。それならば、俺の様に流浪の探索者を雇えばいい。俺である理由がない。
「そこよ。野良の探索者も直ぐに取り込まれてしまうの。でも、その中でも例外はいるわ。それが――」
……なるほど。つまり、
「――子供であること」
「――ガキっつー訳か」
こくりと彼女は頷く。
商人たちは、ガキにまでは手を回していないのだ。なにせ、ガキの力は知れている。碌な買い物もできないし、遺物を手に入れるなんてもっての他。それこそ例外だ。
彼女は、子供しか手駒に出来ないのだ。
だから、俺が子供かつ迷宮潜りの遺物漁りと知って喜んだ。俺という存在がまさに自分の為に現れたカードだったのだ。
つまり、彼女の俺への期待はなんらおかしなことは無い。利害の一致によるそれに他ならない。
「話は分かった」
瞼を閉じ、頭を縦に振る。そしてパッと目を開き、彼女を見つめた。俺の雰囲気を感じ取り、彼女がピシッと背筋を伸ばす。
「不肖ながら、ライ。恩を返すため、あんたに報いよう」
「わぁ、本当!?爺聞いたかしら!?」
「えぇ、薄っすらと聞こえております」
ぴょんぴょんと馬車の中でと飛び跳ねる彼女を見て、俺は気付かれぬように窓の外を見る。
未だ暫く森林は続いている。俺の人生は、昔よりもよっぽど奇妙な縁に導かれているような気もする。
「ねぇ、私のことなんて呼んでもいいわよ!」
「あ?あー、そうか。んじゃあお嬢さ…お嬢、よろしくな」
そういえばさっきから「あんた」としか呼んでいなかった気もする。
今は御者をしている執事に合わせて「お嬢様」と呼ぼうとしたら、顔がむっとしたので「様」は無くした。結局むっとしたままだったが、流石に名前呼びは無礼に値しちまう。突然頭が飛ぶのは嫌だぜ、俺は。
「…まぁ、いいわっ!」
そう言ったお嬢の顔は、再び満足気に笑みを浮かべた。
はぁ、恩を返し切ったと思ったら、さっさと離れよう。恐らく、お嬢と一緒にいたら余程厄介事に巻き込まれる予感がするぞ…。
先の未来に不安を覚えながら、俺は未だ手の中にある〈風切りの足輪〉を優しく撫でるのだった。
【Tips】シルヴァ商会
アラレイク家現当主、シル・ヴァ・アラレイクが主を務める商会。
貴族である親のコネで設立がされ、手切れ金として相当量の金が彼女の手元にはある。彼女の我儘により独り立ちしたものの彼女の両親は大層心配し、一か月に数通は手紙を書く様に約束が為されている。
シルヴァ商会の命名は、シル自身であり、命名理由は予想通り。