因果多き旅路
「狩りやすい動物がいないとマズいぞ…」
ぐぅと鳴る腹に棒状の携帯食料を納めながら、そう呟く。既に旅を始めて三日は経った。
子供の歩幅は予想以上に小さく、遠くに見えていた森林は三日の時を経て、ようやくすぐ傍まで迫っていた。
幸い、〈風切りの足輪〉があった為、普通の子供よりは多少歩みは速いのだろうが、だとしても誤差過ぎる。実際、〈風切りの足輪〉は戦闘時に一瞬発動するものであり、常時発動している効果はほぼ息をしていないと言っていい。
森林に向かっている最中、木の枝や蔦を集めて簡単な投石器を作ってみた。適当な石ころを拾い、試してみたが残念ながら全くと言っていいほど飛ばない。スリング自体の問題ではなく、どうやら俺の筋力の問題らしい。
「遠距離から獲物殺れないんじゃ、兎すら狩れねぇんじゃねぇか…?」
立ち止まり、スリングから目を離す。
遂に目の前には、鬱蒼と生い茂る森々が広がっていた。俺の記憶が正しければこの森を超えて、更に行けば別の街があった筈だ。
地図と羅針盤さえあればもっと正確な方向も分かるが、無い以上仕方がない。
「果実とか実っててくれぇ…!」
半ば祈りを込めながら、スリング片手に俺は森林の中へと入っていった。
「はぁっ…はぁっ…」
足を必死に動かし、後ろを見る。
肺が収縮を繰り返し、樹の幹に足を掛け、転びそうになる。
「か、ぜよッ…――!」
祈り、願い、言葉を紡ぐ。
その瞬間、転ぶまいと前に出していた右足に緑色の風が宿り、俺の身体をふわりと持ち上げ、体躯が正常に起き上がる。
あ、た、れぇ…ッ!!
心中でそんな言葉を叫びながら、スリングに装着した小石を背後に投擲する。それは、固い毛を突き破り、見事にそれの肩に命中した。
「ギャウ゛ッ!!?」
悲痛な鳴き声が聞こえる。
それが耳に届いた瞬間、踵を返し、再び願いと共に「風よ!」と叫ぶ。足裏で風の爆発が起き、俺の身体は先まで走っていた方向とは真逆に速度をつける。
両手で一本のナイフを握り込み、速度をそのままにそれの首にナイフを突き刺し、押し込んだ。倒れ込んだそれの上に乗って、一度抜き、刺し、再び抜き、そして刺す。
抵抗する様にそれの右手がざぁっとこちらに向かって襲来するが、それを鞄で無理矢理に受け止めて、再びナイフで幾度と無く首を刺した。
そうして、それはやっとぐったりと腕を下げ、瞳の光は無くなった。
「はぁ…はぁ…」
立ち上がり、ナイフの血を拭う。
途端に疲労感が襲い、耳朶にうっすらと聞こえてきた水の音につられる様にそちらに足を運んだ。その中で、
「なんで、この森にハイ・コボルトがいんだよ…!」
俺の口は、そう零さざるを得なかった。
◇◆◇
――ハイ・コボルト。
言っちまえば、ゴブリンより強いコボルトの上位種。
俺の記憶じゃ、この森に出る魔物は精々ゴブリンに人面樹、それに樹妖精だ。こちらにはっきりと敵対する魔物はその中じゃゴブリンくらい…にも拘らずハイ・コボルト?何の冗談だよ。
さっさか身体を洗い、びちゃびちゃの服を着て、防具をつける。
コボルト種は鼻が良い。アレに仲間がいるならば同種族の血がついた存在が居れば、追い掛けられる可能性もある。
だからこそ、完全に血が落ちる内にさっさと服や身体についたそれらを洗ってしまった方がいい。
「ちっ…縄張り移動の群れにでもかち合ったか…?」
最悪の想像をしながら、先よりも一層隠密行動を心掛けながら進む。
しかし、一度方向感覚を失ってしまったせいでどちらから入ってきてどちらに向かっていたかも、碌に分からない。
どうにか目印になるものを見つける必要がある。
コソコソと茂みと茂みの間を態勢を低くして通りながら、そう考える。可能ならば、ハイ・コボルトと遭遇した場所まで戻るのが理想だ。しかし、俺が殺したハイ・コボルトの死体がある以上、戻るのはあまりにも危険すぎる。
何か、自然にできた目印。または何らかの人の手が加わったものさえあれば、おおよその方角を特定はできる。
草の根を分け、痕跡を探す。この際、動物の足跡でもいい。奴らの方が俺よりもこの森に詳しい筈だ。
「クソ…!〈節制の杖〉がありゃこんな状況…!」
過去に持っていた遺物の名を出す。
しかし、いまさら何を言ってもそれが湧き出てくるわけでも無ければ、状況が変わるわけでも無い。
姿勢を低くし、森を明確な目的もなく進む。
しかし、その時不意に背後から風に乗って何か音が聞こえた。それは、つい先程聞いたようなものであり、
「これ、ハイ・コボルトの鳴き声じゃねぇか…!」
ばっと姿勢を高くし、今出来る精一杯で地を蹴る。
一体ならまだしも、二体三体もいたら今の俺じゃ敵わねぇぞ!圧倒的に力不足だ!
装備も能力も、何もかもがまだ足りていない。
ここで終われるほど、俺は達観しちゃいねぇ!ハイ・コボルトがこちらに気付く前にその場から必死に離れる。
背の高い草や鬱蒼とした葉が俺の頬を切り裂く。視界一杯に緑が広がり、前が見えない。これじゃ何がどうなってんのかも…!
そう考えた次の瞬間、視界が一気に開ける。
足裏が踏み均された固い地面の感触に変貌し、緑以外の幾つもの色が俺の世界に飛び込んでくる。
黒、赤、青、茶…。
一斉にこちらに振り向いたそれらの色の正体は、まごう事なきハイ・コボルトの群れだった。
「わぁ、死が見えるよぉ!!」
けもの道に出た喜びと同時に、どうしようもない絶望!
風に願い、再び〈風切りの足輪〉の力を借りる。
ふと、樹妖精の姿が俺の視界に映る。しかし、彼女らも俺の後ろのハイ・コボルトに怯えているのか、力を貸してくれそうにはなかった。
〈風切りの足輪〉ももう限界だ。
既に今日だけで何回使っただろうか。そう易々と壊れる代物じゃないが、風に願いを乞う度に俺の体力は結構持っていかれる。
鞄に手を突っ込み、小石を掴み取るとスリングに装着し、それを勢いよく後ろに投擲する。追い掛けてきているハイ・コボルトは四匹。一匹くらいにゃ当たるだろうと高を括って投擲した小石はあらぬ方向へ飛んでいってしまう。
やべぇ、流石にここまで疲労困憊だと狙う事すらままならない。
元々、走りながら背後に投擲するのだって中々に難しい。そこにへとへとな俺という情報が追加されれば、そりゃそうもなる。
結構万事休すかもしらん…!
力にならないと判断したスリングを鞄に仕舞い込みながら、心中でそう呟く。
――しかし、その時背後からガラガラガラ、と何かが転がるような音と共にこんな声が聞こえた。
「この手を掴みなさぁぁああい!!!!」
「お、お嬢様ぁ!!おやめに――」
ばっと振り向くと、そこには二頭の毛並みが良い馬に引かれた豪華な馬車がこちらに向かって猛追してきていた。
ハイ・コボルトも流石にマズいと本能で感じ取ったのか、けもの道からそれる様に逃げ惑い、その隙をつき、豪華絢爛な馬車が開いたけもの道を突っ切った。
その馬車の右側…扉が開き、小さな手がぶんぶんとこちらに向かって振られている。恐らく、あの声の主だ。だが、
「そ、その速度の馬車に飛び乗れと!?」
とんでもない速度でこちらに向かってくる馬車の空いた扉に飛び込めと、恐らく馬車の主はそう言っているのだ。
「無茶苦茶だ!」
だが、やるしかないのもまた事実。
馬車にビビッて引いていたハイ・コボルト達もそれを追い掛ける様にこちらに向かってきている。
勝負は一瞬、失敗すればとんでもない速度の馬車に体当たりする大馬鹿だ。だが、挑戦すらしなかったらこのままハイ・コボルトに蹂躙されてお陀仏…!
「――…ええい!ままよ!」
馬車が俺の横を通り過ぎる瞬間、扉から飛び出た白い手を掴み、勢い良くその中に飛び込む。
「ぐ、ぇえッ!!?」
扉の枠に脇腹が直撃しながらも、どうにかその馬車に乗り込むことに成功する。脇腹の痛みに悶えながら、身体を起こし、右手に握られていた小さな白い手を辿る。
それは、金の長い髪を携えたお嬢様と呼ぶに相応しい少女だった。そして、
「……」
俺が押し倒したような形で、金の髪を馬車の床に散らばらせた彼女は真っ赤な顔をしたまま大口を開けて、
「早く…どきなさい…このっ、恩知らずっ!!」
「ごふっ…!?」
俺の鳩尾にパンチを繰り出すのだった。
それがクリーンヒットしたのか俺の視界がチカチカと揺らぐ。
明滅する意識が断絶の一途を辿る。
先程まで真っ赤だった少女の顔が今度は青く染まっていっているのが薄っすらと見え、表情ころころ変わって愉快とその場に似つかわしくない事を考えながら、俺は彼女に覆いかぶさる形で意識を手放した。
【Tips】〈風切りの足輪〉
片方の足に付ける事で効果が発動する。
身体が風に押され、歩きやすくなる。
強く願う事により、つけている足裏に風の力場が発生し、押し出される様に加速する。