旅立ち
〈風切りの足輪〉を右足に付けた俺は、再び元来た扉の前に立つ。
「入口へ戻らせてもらう」
俺はそう呟き、扉に手を掛け、ぐっと引いて身体を入れ込んだ。
視界が眩しい位の光に包まれ、気付けば迷宮の入り口の前に俺は立っていた。
迷宮は踏破さえすれば、自分の足で戻るか入り口付近に強制送還されるかを選べる。
まだほかの選択肢があるのではないか?と色々調べられていたが、結局俺が死ぬまで何も情報は流れてこなかったから、無かったのだろう。
街は既に夜だった。
太陽の光を吸収した鉱石が光を放ち、街道を照らしている。
とりあえず帰るか。
ゴブリン等の討伐部位を鞄に乱雑に詰め込んでいる為、さっさと引き渡して迷宮協会で金を貰っちまいたいが流石に朝からぶっ通しで潜ったせいで疲れた。生臭くなるが、明日の朝にでも行くとする。
ふらふら、と記憶の片隅にあるスラムの裏路地に入る。
そういえば、ガガールはどうしただろうか。もう寝ていたりするだろうか?そんな、あまりにも能天気な事を考えて―――、
「――ぁ」
裏路地の奥、ガガールがいつも寝床にしていた場所に、一人の少年がぐったりとした様子で座っていた。
左手の直ぐ傍には、錆びかけたナイフが転がっており、腹には横一閃真っ赤に染まった何かが――。
「……お、ご…ぇ」
びしゃびしゃ、と吐瀉物が地面に零れる。
酸っぱい味が口内を支配し、水で口をゆすぎたい衝動に襲われる。しかし、それ以上に、
「…ガガール」
俺は、自分の事で頭が一杯だった。
未来の記憶を持つ俺は、確かに知っていた筈だ。ガガールがこう死ぬことを。…ただ、記憶に蓋をしてしまっていたのだ。
眼前に広がる光景をゆらゆらと揺れる視界にしかと納める。
過去の俺は、この事実を受け止めきれなかった。
しかし、今ならしっかりと理解できる。ガガールは、殺されたのだ。抵抗した形跡こそないものの、そんなもの幾らでも痕跡は消せる。ガガールは絶対に自殺をするような奴じゃない。
…だが、何より間違いないのは、俺がガガールを見殺しにした様なものだって事だ。
「…早くこの街でねぇとマズいかもな」
昔の俺は、ガガールが死んだ後もこの街にいたが何もなかった。
しかし、不可解な事は起こっていた気がするのだ。ガガールを筆頭に、リーダー格や有用なガキが暫く経ってから次々と死んだのだ。今思えば色々とおかしすぎる。
いつもは俺と関わろうとしない奴らさえも、他の奴らに比べりゃ精力的に動いている俺に判断を仰ごうとしてきたのを覚えている。
この街で何が起こっているのかは分からない。
だが、ガガールが死んで暫く経ってからガキが何人も死ぬのはあまりにもおかしい。それも、誰も彼も替えの利かない有象無象とは違うガキばかり。
…どうする?
ガガールは殺されてしまった。昔の記憶を辿れば、ガガールが居なくなってから他のガキが殺され始めるのは一年以上の空白があった。過去の俺は無能だった。しかし、今回ばかりは違う。
自分で言うのも何だが、過去の知識と技術があるお陰で歳以上の力はある。バレればガガール同様狙われる危険がある…。
「…出るしかねぇ」
リスクヘッジだ。
先の未来まで予測して、行動しよう。
明日だ、明日には出よう。幸い、武器も防具もある。服や靴がボロい事が気掛かりだが、そればっかりはしょうがねぇ。しかし、その前に…
「お前をしっかり弔えないことを許してくれ」
一度目の人生に続いて、二度目まで死なせてしまい、更に碌な弔いすらできない。
……せめて街の外で川に流してやる。
俺は既に血が固まってしまっているガガールの骸を背負い、街の壁に向かって歩き出した。この街は酷く不格好ではあるが、石の壁で囲まれている。しかし、あまりにも不出来な為、俺達ガキの小さな身体であれば、経年劣化で崩れてしまっているところから潜り抜けられるのだ。
壁を潜り抜け、ガガールを壁の外に引っ張り出す。
再び背負うと、街からの薄っすらとした明かりを背中に受け、歩き出した。すると、すぐに水が流れる音が耳朶に響いた。
俺はその場に立ち止まり、ガガールを背中から降ろすと、もう一度口に手を当て、胸に耳を強く押し付けた。
「…そりゃそうか」
どちらも、何の動きも無い。
なに、最後の確認だっただけだ。分かっていた事なんだから。
「本当にごめんな、またどこかで」
ゆっくりと川にガガールの身体を預ける。
流れに従い、ガガールが俺の手から離れ、どぷんと沈み流れていく。暗闇に呑まれ、その身体が完全に見えなくなった頃、俺は唇を強く嚙み締めた。
◇◆◇
結局、その日は街の外で一夜を過ごした。
ガガールが既に死んだこともあり、街中は危険と判断したまでだ。外にゃ魔物が出るが、街の近くはあっちも嫌なのかほぼいないしな。
壁の穴を潜り抜け、再び街の中に戻る。
既に迷宮協会も店も開いているだろう。最低限の買い物だけして、ここを出よう。俺は裏路地をするすると通り、迷宮協会の真隣にある裏路地へと向かった。
幸い、記憶は正しかったようで、一度も道を間違えることなく辿り着く事が出来た。
協会の扉を開き、鐘が鳴る。
迷宮協会とは、王都に大本がある迷宮管理の砦だ。迷宮の維持や、宣伝を行うし、迷宮の周りに街が出来るなら、支部として迷宮協会もその街に出来る。
適当に壁にそって、奥のカウンターへと向かう。
残念ながら、こちとら未だ汚らしいスラムのガキだ。この街に住む連中は歳を食っていれば食っているほど俺達スラム出身への目が嫌なものになっていく。しかし、逆に――、
「よ、ようこそ!迷宮協会へ!今日は何の御用でしょうか!?」
歳の若い新人ならば、その目のそれほど嫌なものでもなくなっていくのだ。更に言えば、この少女には昔の俺も世話になった。
俺は自分より四、五歳年上であろう少女のいるカウンターの前に立ち、ゴブリンの耳やスライムの核をぼとぼとと落とした。
「迷宮内の安全協力への報酬ってやつを貰いにきたんだ」
「わ、わぁ…!こ、これ一人で倒したんですか…」
「…あぁ」
この少女が、スラムのガキだからという差別をしないことくらい知っている。
しかし、今までの経験がその考えに否と突き付ける。分かっている、分かってるが、どうしようもない焦りが――。
焦燥が身体中に伝播し、硬直する。
「――凄いですね!そんなに小さいのに将来有望です!」
…あぁ、お前は相も変わらずなんだな。
心の中で息を吐き、露骨に安堵する。やはり、この少女はマシなタイプだ。目の前で数を数えながらそれを裏に持って行った彼女を見送る。
倒した魔物こそ弱いものの、数だけはある。
多少の金にはなるだろう。幾つか必要なものを買う費用にはなるだろう。武器は流石に買えないだろうが、幸いナイフであれば元々持っている刃毀れナイフとは別に迷宮で死んでしまっていた奴から一本、刃毀れも錆びもしていないのを拾えている為、どうにかなるだろう。
色々と考えていると、裏から出てきた少女の手元には金属の板のようなものがあり、その上に銅貨や銀貨が積まれている。
「はい、こちら報酬の貨幣になります。迷宮内の安全にごきゅ、…ご協力いただき、有難うございます!」
噛みながらもどうにか言い切った彼女に一瞥して、俺は鞄に二枚の銀貨と数枚の銅貨を詰め込んだ。下手な因縁をつけられる前にさっさとここを出よう。スラムのガキってだけでどんないちゃもんをつけられるか分かったもんじゃねぇ。
そそくさと扉へ向かおうとする俺の背中に、不意に背後から声が掛かる。
「また来てくださいね!」
少女のその声に、俺は視線だけを返した。
結局昔の俺は、この街を出るときに全く同じ言葉を言われたが、それを果たす事無く死んでしまったな。そんな事を、ふと思い出しながら協会の扉を開いた。
スラムのガキが買い物をするならば、露店しかない。
迷宮協会の様な、どんな客も一応は最低限のマナーで接してくれる大手とこの街に居を構えるただの店は違う。
扉を開けて店に入ろうとすりゃ断られるのが当たり前だ。
だからこそ、スラム近くの露店で必要なものを買い揃える必要がある。ナイフをちらつかせながら、暗に”ぼったくったらどうなるか分かってんだろうな?”と言う脅しを掛けながら、ランタンとその燃料である魔鉱石をほぼ定価で購入する。
実際、脅しに意味はほぼ無い。ただ、スラムのガキはもう後がない奴が多いからこうすれば本当にしでかすかもしれないと思わせられるのだ。
その後、多少綺麗な服と靴、それに最低限の食料を購入し、俺の手元にはガキの小遣い程度しか残らなかった。元々着ていた服は、流石に少しの金にもならなかった。まぁ、そういう趣味がある奴しか買わんわな。
「よし、こんなもんだな」
準備が整い、俺は潜り抜けられる壁の穴に向かう。
鍛冶屋のおっちゃんや偶に話す仲程度の子供に別れくらい告げた方がいいかとも考えたが、これ以上この街に滞在するのも危険だと判断し、諦めた。さっさと出るにこしたことはない。
鞄の中を見て、二本のナイフが入っている事もしっかり確認する。
地べたに這いつくばり、ずりずりと壁の下を潜り抜ける。ざぁっという強い風を体躯に受け、立ち上がる。
空が青い。
思えば、昔この街を出るときは大雨だった。それでも、早くこの街から離れたくて、雨の中俺の旅は始まったのだ。
「さて、まずはどこへ行こうかな」
太陽が照り付ける。
地図と外套、それに羅針盤がない事は悔やまれるが、無い物ねだりばかりしても仕方ないだろう。
「まずはあっちに向かうか」
視線を移した先、その遠くには鬱蒼とした森林が見えた。
今一度、空を見上げ、太陽を視界に入れる。眩しいくらいのそれが、二度目の旅の始まりを祝福してくれているように感じた。
――さぁ、遺物漁りの旅路だ。
この人生こそ、前よりも良いものしてみせようじゃねぇか。
【Tips】迷宮協会とは
迷宮を管理する組織。
遥か昔、迷宮を攻略し続けた一線級の第一人者が迷宮の危険性に伴う基準や報酬を設けるとして、設立した。
それには多くの人が賛同、出資し、迷宮の探索者は一大職業として大成し、今に至る。
またの名を、迷宮”教会”。