嵐の前の
くるり、くるりと手元の万年筆を回す。
生徒達が黙々と幻想遺物についての見解を真剣に紙に書き記すその姿を見ながら、俺は机に突っ伏した。
―――〈ラウラの万年筆〉。
ララクから取り上げ、俺が一時的に所持している芸術等級の遺物だ。発動条件は対象の人物の一定量の情報。それも、集めた情報一つにつき価値があればある程、集める情報は少なくて済むらしい。
ルイドやフュリンの情報はまだしも、まだ学園に来てそれ程経っていない俺とノノがどうしてこうも容易く発動条件を満たしてしまったのかと考えたが、恐らくは”奈落の英雄”という名前のせいだ。
情報は、直近の物であればある程価値を増すものだ。
奈落の英雄という名は、噂が噂を呼び、この学都にすらも入り込んでしまっている。それほどまでに、情報としての価値が高まりすぎたのだろう。
「しち面倒くせぇ…」
こういう事があるから二つ名などない方がいいのだ。
まず前の世界で二つ名や異名をトリガーにした遺物なんてものまで存在した。どれほど名が広まるのが悪手かがよく分かる。
くるりくるり、と再び手元で〈ラウラの万年筆〉を弄び、砂時計の砂の落ち加減を確認してそれを懐に仕舞った。
「そろそろ終わりだ、何も書いていない奴は補習らしいから頑張れよ」
俺の言葉に、数人の生徒がぎょっとしてわたわたと動き始める。
鼻っから諦めていた様子の数名が動き始めたのを確認しながら、俺は「終了」と宣言をするのだった。
◆◇◆
学都ルビラの奥深く――、そこに手入れの行き届いた白と黒を基調にした建物があった。
高く聳えるそれは、ルビラに住む者ならば誰もが知る場所であった。なにせそこは多くの人々が集う――、魔法を司る神を崇める教会なのだから。
「して、件の”奈落の英雄”とやらはどうなった?」
教会の最上階の一室で、円卓の席に着いた白い髭を生やす一人の老公がその髭を自慢げに摩りながらそう呟いた。その老公の言葉に、他の円卓の席に着いていた者達も同様に頷く。
そして、彼らは一様に円卓の先にいる二人の少女に目を配る。しかし、
「――え?なんで私らに聞くんすか?なに、知ってる?」
「知らナい、そういウの姉の分野」
「あ、だそうです。私も知らないんで」
老公にそう返した二人組の姉妹はきょろきょろとその部屋を見回した。
そんな様子の二人組に、老公は小さく溜息をついて、円卓の一人へと視線を向ける。
「おい、こいつ等は本当に大丈夫なのか?」
「…えぇ、一応凄腕とは聞いているのですが…」
こそこそと会話をする老公たちなどお構いなしに、バッと二人組の『姉』と呼ばれていた方が口を開く。
「良く知らんすけど、まぁあんた方が放ったララク?だっけ?報告が来ないんじゃ失敗したんでしょ。どうせ秘密裏に殺されてますよ」
「…そう簡単に言ってくれるな、”シノメ”。奴には芸術遺物を持たせているのだぞ。そう易々と手放すわけにはいかない。お前たちを雇った理由、…ようやく果たす時が来たという事だ」
「あぁ、はいはい。なるほどすね」
シノメと呼ばれた少女がはいはいはいと言葉を並べる。
「つまり?私達に学園に潜り込め、と」
「めんドくさい」
姉はふむふむと考え込み、妹と思わしき方は外套を深く被ってその小さな背丈をより一層小さくするようにしゃがみ込んだ。そして少しするとしゃがみ込んだ妹の方から「くぅ…くぅ…」という寝息の様な物が聞こえ始め、円卓に着いた老公たちは本当に大丈夫なのか、と姉を見た。
そんな視線を感じ取ったのか、シノメは考え込んでいた顔を上げ、にぱっと笑うと
「まぁ、了解す!ララクの安否に、遺物の確保、あとは奈落の英雄の観察に、生徒会長の経過、全てやってやりましょう」
老公が頼もうと考えていた事全てを先回りする様につらつらと並べたシノメに、円卓の席の者達は「おぉ…」と声を漏らし、その逆に老公は難しい顔を浮かべた。
「なぁに、そんな不安な顔なさらんでくださいな。ちゃんとやりますって、”果ての東国”の名にかけて、ね」
にやりと笑みを浮かべながら、シノメはそう宣言するのだった。
◇◆◇
「こうも迷宮潜んねぇと鈍っちまうぞ…」
目の前で何が原因かも分からない取っ組み合いの喧嘩をしているアインとララクを見ながら、俺はそう呟いた。
学都ルビラには迷宮が存在しない。
また、ルビラ周辺にもこれといった迷宮は無い。言わば迷宮過疎地帯――、それが学都ルビラの周辺を表した一言だ。その為、校外学習の際に迷宮に潜る体験をする際にはそこまで行くのにだいぶ苦労するらしい。
しかし、そのせいもあり迷宮に潜る事が出来ず、勘は鈍るばかりだ。
――…ララクの事件から少し経ち、フュリンやルイドと共に上層部を落とす策を練る日々。
結局、ララクは休学と言う形で学園の一部に軟禁され、基本的な日々を俺やアイン、ノノと共に過ごしている。奴は口を割る気はないようだが、今のところ上層部とも接触をしていない為、”保留”と言う形が正しい。
一時の安寧とでも言うべきだろうか。
上層部からの何かもなく、目を光らせているお陰か生徒の失踪もない。平和そのものだ。あと五年もこのままの状態が続けば、フュリンが百歳を迎え、エルフとして覚醒するのだが―――。
「ナナシ。よろシく」
そう長々と安寧が続く筈もない。
背丈の小さな少女が外套を被ったまま、ぼそりとそう呟く様に言った。それに続いて、学園に入学した者達の中で、遺物分野を取った者が挨拶をしていく。
――ルビラ学園は、常に門を開けている。
金や才能、紹介状等を示せば常に入学は可能ではあるが、基本的に入学者の数には波がある。その波の一つが、今俺の担当する遺物分野にも流れ込んできたという事だ。勿論、迷宮と実技の方にも新入生が十数名入学している。そして、同時に幾ばくかの卒業生や退学者も出る為、学園内の生徒数はそこまで変わっていないらしい。
「あー、挨拶もそこそこに早速授業を…」
新入生の自己紹介も終わり、俺は早速授業を開始する。
その中で、怪しい奴がいないかも同時に探る。上層部が新しい駒を手軽に潜り込ませるとしたらこの時期だ。
ページをめくりながら、ちらと生徒を観察しながら俺は鞭撻を振るった。
その姿を、ナナシと名乗った外套を深く被る少女はじっと見つめているのだった。
「―――」
俺は、臨時講師だ。
つまり、俺の受け持つ授業内で何かあった場合それを解決するのは間違いなく臨時とはいえ、講師である俺なのだろう。
遺物について生徒同士で話し合う授業で只一人、誰と話すでもなくただこちらを見つめてくる少女と俺はじっと視線を合わせながらそう考えた。
――ナナシ。
外套を深く被った背丈の低い少女だ。外套の隙間からはこげ茶色の髪が見え隠れしている。俺は、教卓の目の前に座っている彼女に、教卓から少し身を乗り出して話しかける。
「よお、ナナシ…だったか。あっちの誰かと話さねぇのか」
俺が指を差した方には幾人かの生徒が集まって遺物について話し合っている。
しかし、彼女はぶんぶんと首を横に振り、「いイ」と言うと再び俺の瞳をじっと見つめ返した。まぁ、そうだろうなと独り言ちる。なにせ、先程この子はあの話し合っている集団の一人に誘われていたが、それを断って一人でいるのだ。
一人が好きなのか、それとも変な意地を張っているのかは分からない。
まぁ…俺と近しい年齢っぽいし、適当に話すか。
「お前、遺物好きか?」
「ふつウ」
「へぇ、じゃあなんでこの分野取ったんだ?」
「……なんトなク」
「…へぇ」
確かに生徒の話じゃ、遺物分野は適当に入れる者も多いらしい。取り敢えず学んでおこう、取り敢えず入れておこうとそういう思考の輩が多い。だから、「なんとなく」というナナシの言葉も分からなくもない。
だが、時期が時期だ。正直、怪しさが勝つ。
怪しさが勝つ…が、もしも上層部の駒ならばここまで露骨に怪しまれるような事もしない筈だ。”なんとなく”なんて、まるで自分を怪しんでくださいと言っている様なものだ。
思考が平行線を辿る。その中で、
「先生は、なんデ遺物に詳しくなったノ?」
ナナシはふと、俺にそう聞いた。
別に遺物に詳しいから講師になったわけではない。講師になったのは成り行きだし、細かいところまでは知らない事の方が多い。俺が知っているのは遺物の成り立ちや使い方とかだ。それを膨らませて授業をしているに過ぎない。
だが、そういう言葉を求めているわけではないのだろうとナナシの顔を見れば分かる。
俺は、彼女の真っすぐな視線に己の視線で返しながら、
「まぁ、生きるためだ」
「生きル、ため」
「あぁ、じゃなきゃなんでこんな過去の遺産について詳しくならにゃならん」
別に、他に道があったのならばそっちに進みたかった。
だけど、当時の俺には道は一つしかなかったし、後ろに下がろうとしても背後の道はもう崩れてしまっていた。
だから学んだ。だから覚えた。自分にとって有用なものを、自分にとって不要なものを。削り、掬い、そうして残ったもので出来上がったのが俺だ。
「ナナシは俺みたいにはなるなよ」
「ふふ…先生は、意外と面白イ事言うね」
「意外とってなんだよ、意外とって」
ナナシは、「意外トは意外とダよ」と少しだけ笑って返す。
そして、すぐにハッとなるとぎゅっと再び外套を摘まみ上げ、顔が見えなくなるくらいまで深く被り直した。
先程まで、笑みを零していた口をへの字に変えて、ぎゅうと感情を抑え込もうとしているのが外套の下からほんの僅かに見えた。
俺はそんな彼女の感情を抑える仕草を、鋭い目つきで見つめていた。
◆◇◆
「ノノさん!私、シノメって言うんです。よろしくっす!ところでなんで魔法学なのに剣持ってんですか?魔法剣士でも目指してんすか?というか私のこっちの目、見てくださいよ~、ほら、カッコよくない?潰れちゃってんの!はっは」
――面倒臭い奴に絡まれた。
ノノはそう思わざるを得なかった。
入学者が増える時期、ノノは未だ基礎の基礎を勉強している為、もう一度復習で基礎を固めておこうと授業を受けたら、こうなった。
隣に座る赤茶色の長い髪を一房にまとめて後ろに流した少女は、ノノの隣で先程からずっと喋り倒している。
ここが一応は学問を学ぶ場所だと知っているのだろうか、とノノは思う。しっかり授業を受けて、しっかり魔法を使える偉い自分と違い、このシノメと名乗った少女はお喋りに来たのだろうか、とそう思えて仕方なかった。
「ライ君…助けて…」
隣から常に聞こえてくる連射式口撃を止める術を持たないノノは、辟易しながらも自分の相棒である少年の名を呼ぶのだった。




