ドブ鼠
――俺の育った街にあった迷宮は、名すらついていない余りにも小規模なものだった。
スラムのガキですら、運が良ければ生きて帰れる迷宮だ。優しいったらありゃしない。だが、非力なガキにとってはどんな傷ですら致命傷だ。まず直してくれる医者も魔法使いもいない。
幼い頃の俺は、ワンチャンスに懸けて迷宮に何度も飛び込んだが、大きな怪我がほぼ無かったのは奇跡だったと言っていい。俺の横では、何人ものガキが骸を晒していたし、俺もいつそうなってもおかしくない程の綱渡りの連続だった。
いつも血や泥に塗れて帰ってくるせいで、俺は街の連中から”ドブ鼠”なんていうあだ名もつけられていた。まぁ、髪の色が灰みたいなくすんだ鼠色をしていたというのもあるだろうがな。
そして、俺は再びその迷宮に身を賭している。
迷宮には魔物が出る。名のある迷宮ならそれこそ竜やら機械人形とかヤバい奴らがわんさかいるが、ここは弱小迷宮だ。出てくる魔物と言えば、
「グギャッ!」
「てめぇらみたいな雑魚だよな」
それは、緑色の浅黒い肌に低い背丈の魔物、ゴブリンだった。
刃毀れしたナイフを握り、ステップを踏む。身体を動く。ビビってない。
――まず、前提として迷宮は狭い。
勿論、何故か空があったり、森があったりする馬鹿デカい迷宮はある。しかし、今潜っている迷宮は石壁に石畳の、何の特異性も無いものだ。
逆に言えば、罠やギミックも何もないから純粋な戦闘力で勝敗が決まる。
ゴブリンの数は三体。
それぞれこん棒や誰かから奪ったであろうナイフ、槍を持っている。ならば先んず、
「…ふっ!」
息を吐き、一気に地を蹴る。
想像よりもよっぽど遅くて驚いたが、筋肉も何もないガキの身体じゃこんなもんだろう。前と比べちゃいけない。
こん棒持ちが俺の頭目掛けて、こん棒を振り上げる。俺はそれを右斜め前に移動することで避け、そのままゴブリンの首を掻っ切った。その勢いのまま槍持ちが槍が振るえない距離まで入り込み、腹と胸に連続でナイフをねじ込む。
びしゃり、とゴブリンの血が顔にかかる。
「きったな!」
そう叫びながら、最後のナイフ持ちのゴブリンを殺そうと動きだす。
「ぎ、ギィッ…!」
しかし、そのゴブリンは俺が動き出すや否やナイフを放り投げて、背を向けて逃げ出した。
なんつー悪手だよ。
俺は地面に落ちていた槍を拾い上げ、狙いを定めるとそれを勢いよく投擲した。綺麗に当てる技術なんて持ち合わせていない為、槍はゴブリンの足に当たり、派手に転倒した。
俺はナイフをしっかりと握り、必死にその場から逃げようとしているゴブリンに近づき、背中から心臓部を一突きした。
ゴブリンは少しの間痙攣すると、そのままパタリと動かなくなった。
「…ガキの頃はこれに苦戦してたんだよなぁ」
今もガキではあるが、知識や技術が違う。
子供の身体だからか、多少技術の扱い方に違いはあるが、死ぬ前に覚えた技術はしっかりと活かせる。勿論、使えなそうな技術も幾つもあるが、それはもう割り切るしかないだろう。
「さっさと踏破しちまおう」
ゴブリンの耳を切ってポケットに詰める。
討伐部位を持ち帰れば、”安全協力報酬”とかいう報酬名で多少の金が貰える。迷宮の魔物は倒すと暫くの間、倒した数分だけ迷宮内に存在する数が減少する。それが迷宮の安全に協力したものとして、金が支給されるのだ。
まぁ、ゴブリンとかの雑魚は本当に微々たる量だけどな。それこそ竜とかなら肉とか目とか、そっちを持ち帰った方がよっぽど金を稼ぐにはもってこいだろう。
血の付いたナイフで空を切り、血を払う。
「ここの遺物は中々に便利だったからな」
昔の俺、”ドブ鼠”と呼ばれ始めて数年が経った頃、俺はこの迷宮を踏破した。
といっても小さい頃一緒だったスラムの連中は悉く死んだし、幾つもの運が重なった結果遺物を手に入れたに過ぎない。だが、青臭いガキが小規模ではあるものの迷宮を踏破し、遺物を手に入れた事は田舎の街にとっては大きなニュースであり、街での居心地は悪くなる一方だった。挙句の果てには、舐め腐って俺の遺物を狙う輩まで現れ始めた始末だ。踏破した事や遺物を獲得したことは漏らさない方がいい、と学んだ一件だった。
「確か名前は…〈風切りの足輪〉」
遺物〈風切りの足輪〉。
等級は”普遍”。最も下の等級だった筈だ。最も下と言っても、汎用性はピカイチだった為、最後の最後まで俺は装備し続けていた。
何度、迷宮が踏破されたという情報を聞いても、遺物の内容は毎回同じだった為、この迷宮は〈風切りの足輪〉だけが獲得できるのだろう、と当時はなんとなく思っていた。
昔の俺がこの迷宮を踏破したのはまだかなり先だ。
だが、名も無い迷宮にそれほど時間を掛けてはいられない。もっと良い迷宮はわんさかあるし、この街は設備が悪すぎる。
この迷宮は塔型の為、上へ上へと進めばいずれ最上階、遺物が鎮座する場所に辿り着く。だが、そんなことしていたらどれだけ急いでも数日は掛かっちまう。
食料も何もない、明日の飯にすら困窮する俺には、そんな時間がない。しかし、俺にはこの世界においてのアドバンテージがある。
とてとて、とゴブリンやスライムを倒しながら一階層を隅々まで探索する。偶に他の探索者と会うと変な顔をされるか、心配されるかだ。ここに潜る探索者は街の連中じゃないことが多い為、比較的優しい。それに初心者連中が多い為、戦利品の強奪をしてくる奴も少ない。
つくづく初心者におすすめの迷宮だ。
だからこそ、こういったある意味の救済措置のようなものも用意されているのだろうか?
――ガコリ、と記憶を頼りに見つけた壁の出っ張りを押すと、眼前の壁が上がっていき、暗闇の中に階段が現れた。
そう、コレだ。――隠し階段。
昔の俺もこれを見つけた時は酷く驚いたもんだ。当時はこれを使って魔物を撒いたりと想定と違うであろう使い方をしたものだ。話しを戻すと、この階段は階層スキップ、つまり踏破への短縮だ。
「ランタンねぇから怖ぇな…」
真っ暗な階段を一歩一歩、しっかりと踏み締めて上がっていく。
この迷宮は確か五階層、この隠し階段は一気に四階層まで行けたはずだ。わぁ、なんて素晴らしい!
――実際、どうしてこの隠しギミックが見つからなかったのか?
恐らく、一階層が簡単すぎた為、そこに滞在する探索者がいなかったからだ。初心者の探索者ですら、一階層を苦戦せずに二階層に進む。一階層で苦戦するのは俺達、栄養不足のスラムのガキだけって訳さ。
二階層に行けても、一階層で苦戦するんだから直ぐに死ぬ。
必然的に、俺達スラムのガキは一階層で自分を強化するのに勤しむ羽目になったのだ。その最中、殆どの子供たちは命を落とすわけだが…。
運良く生き残り続けた俺が、これまた運良く危機的状況で隠し階段を発見し、その窮地を脱したって訳だ。まぁ、当時は見つけたからと言っても四階層に歯が立つわけもなく、結局は地道に一階層ずつ慣れていく羽目になったけど。
暗闇に光が差し、階段を上り切る。
景色は一階層と何ら変わりはない。ただ、変わった事と言えば、
「罠が多いんだよなぁ…」
コンコン、としゃがんで石畳の一つを裏拳で叩く。
すると、ぷしゅりと音が鳴り、石畳と石畳の隙間から薄紫色の煙がもくもくと立ち昇り出した。
俺は、服で鼻と口を塞ぎながらその場を離れる。まぁこの様に、至る場所に罠があるのだ。
今の感じは重量反応式の毒煙罠だろう。
人の身体とかの重さで踏み抜けば、先の比では無い勢いで毒煙が噴き出し、即お陀仏ってな。
この迷宮は俺が覚えている範囲で、四度攻略されていた。
その内の四度目が”ドブ鼠”こと、俺だった訳だ。何故この迷宮は簡単なのにクリアされないのか、その真髄がこの第四階層に詰まっている訳だ。
なにせ、割に合わない。
下手したら死にかねない罠があるのに、獲得できるのは普遍級の遺物に幾つかの宝だ。そりゃ俺達スラムのガキや、初心者しか来ない訳だ。
「まぁ、こんなクソダンジョンがある街に生まれて幸せだったさ」
そのお陰で、俺は今こうして第二の人生?を送れているんだからな。
昔に鍛えた罠の発見技術や観察眼は、例えガキになったとしても衰えない。なにせ、身体を大きく動かすわけじゃないからな。
幾つもの罠を不発させ、安全なルートを突き進む。
毒、矢、落とし穴、天井落下…古典的な罠に掛かる程探索者は甘くない…、がそれは知識がある奴ならの話だ。
「あちゃー…毒煙踏み抜いちまったかこりゃ」
足元に一つの倒れ込んだ人影。
初心者染みた防具や、品質がよろしくない武器から初めてこの階層に足を踏み入れたのだろう。残念ながらこの世界にゃ命に再び血を通わせる魔法はない。――それこそ、俺の様な例外を除いて。
「有難く頂戴してくぜ」
血の涙を流している瞼を閉じさせ、仰向けにしてやり、使えそうな防具や武器、物品を貰い受ける。死んだらどうせ迷宮に取り込まれちまう。養分になっちまうなら、せめて使えるものは俺が使わせてもらおう。
小さいながらも、鞄を手に入れられたのはデカい。
ずっとポケットに入れておいたままのゴブリンの耳などの討伐部位を鞄に移す。
「はぁ、奮発したっぽいな。粗悪品っぽいが治癒瓶まであるじゃねーか!」
栓を抜き、中の液体を嗅ぎながら俺は笑みを浮かべた。
しかし、その分金は残っていないようで、どうやらこいつも昔の俺と同じようにこの迷宮に懸けていたらしい。
まぁ、正直懸け損な迷宮だが、弱い魔物と罠さえ超えりゃいい訳だから、ワンチャンス掴めるのか…?
服や靴は残念ながらサイズが合わなかったものの、それ以外は十分だ。
鞄に必要なものを詰め込んで立ち上がると、少し遠くに見覚えのある扉が見えた。
――それは、迷宮の完遂地点…つまり踏破達成の意味が込められた扉だった。
「…これ見て焦っちまったかぁ」
再び、既に息絶えた探索者の骸を見る。
悲しいもんだ。最後まで気を抜かなきゃ踏破者になれただろうに。こればっかりは実力と運って言うしかないな。
「先行くぜ、次はお前も来れると良いな」
もう一度、下に目をくれ、俺は扉に向かって歩き出した。
罠は見る限り三つほど確認できる。それぞれ足で床を叩き毒煙を暴発させ、靴を飛ばして罠槍を不発させた。最後の一つは音に反応する罠だったらしく、罠槍が壁にぶつかって地面に落ちる音で発動し、中空で幾つもの赤い爆発が発生した。
その後、何度か音を立ててみたが、爆発は発生しなくなっていた。
ふぅと息をつきながら、俺は罠がないかの確認をしながらその重苦しい扉に手を掛けた。
「おっもいなぁ…!」
ギギギ…と地面と擦れる嫌な音を立てながら扉が開かれる。
扉の先は簡素な空間だった。
先と変わらないような壁に床、ただ違うとすればその部屋の中心に台座がある。そして、
「――〈風切りの足輪〉…!」
あの日と同じように、その遺物は俺を待っていたかの如く台座の上で鎮座しているのだった。
【Tips】遺物の等級
遺物の等級は上から
幻想
伝説
英雄
芸術
逸品
普遍
となっている。上に行けば行くほど、強力又は複雑な性能をしている遺物が多い。
遺物の等級は”解析人形”という普遍遺物に依頼をすることで判明する。また、”解析人形”は遺物の中でも珍しく意思を持った遺物である。