回り廻る力
―――斬って、殴って、殴打する。
手当たり次第に暴れ散らかし、その場からの脱出を試みる。
「クソ、…植物がぁッ!」
楕円の様な形をした巨大な口を持つ植物。
俺は、それを知っている。知っているからこそ、ここにいる訳がないのだ。
植物に飲み込まれた俺は、真っ暗闇の中、ただただ外へ出ようと暴れ回る。
次第に、めきめきと外から光が差し、勢い良くそこにナイフを差し込んだ。その瞬間、俺の身体は外へと放り出され、ゴロゴロと地面を転がった。
「……やっぱり誘拐魔かよ…!」
役目を果たしたとばかりにその場で腐り落ちる様に地面と同化し始めた、俺を飲み込んだ残骸を見る。
――歪曲植物。
とある迷宮…固有迷宮”歪みの森林”にのみ自生する植物、の筈だ。
奴に食われたら、迷宮内のランダムな地点に飛ばされる。それこそ、ベリルさんが持っていた遺物〈彼方の蚯蚓〉と似た性質を持つ。しかし、それほど強力かつ異質な能力を持つ植物だからこそ、その生息はそのとある迷宮内部にのみ留まっていた筈だ。
「ここ、どこだ…」
ぐるりと周囲を見渡す。
変わらずそこは洞窟な様で、どうやら本当にランダムな地点に吹っ飛ばされたらしい。一緒にこちらに飛ばされてきたであろうランタンを腐り切った植物を千切って拾い上げる。
きりきりとランタンの中の魔鉱石を圧縮してみれば、ぽわと小さな炎がその中で生まれた。よし、壊れてねぇな。
火を消しながら、ナイフを鞘に仕舞い込む。
最悪な事態の一歩手前と言った感じだな。
ノノを置いてきてしまったのが懸念点だが、あいつがそう易々と死ぬとも思えない。だが、何にしろー―、
「さっさと踏破するか戻るかしねぇと」
ずっと先まで続く洞穴を、俺は只一人歩き始めた。
必死に探索者の男が探していたイゴロという人物は、きっと俺と同じ方法で飛ばされたのだろう。
ざくざくと幾つかあった穴の内の一つを進みながら、そう結論付けた。
彼は突然いなくなった、と言っていた。歪曲植物は一瞬で対象を捕食し、また地面に引っ込む。その際、その地面を掘り返しても、歪曲植物は既にその場から消失し、また別の場所で獲物を待つ。
しかし、それならば何故、歪みの森林でしか自生しない筈の歪曲植物が存在しているのか。
「元々固有植物じゃなかった…?」
奈落都市ヘルベルの地下迷宮――、確かに前の俺はこの迷宮に潜った事はほぼ無かった。数回、浅い層まで潜り、別の街に移動してしまったのだ。だから、確かに俺はこの迷宮の事を良く知らない。だが、
「ありえない」
この仮説は意味を為さない。
そうならば、もっと話題になるはずだ。それに、一か月以上も俺とノノはこの迷宮に潜っていたのに、歪曲植物は疎かその噂話すら聞かなかった。
そんな事を考えながら進んでいると、ゴーレムが三体姿を現す。
俺は一度思考を打ち切り、ナイフを鞘から抜き、姿勢を低く構えた。
「風よ」
〈風切りの足輪〉を発動し、勢い良く飛び出すと同時にそのままゴーレムの足の付け根を斬りつける。
続けて二度ほど〈風切りの足輪〉を使用し、相対していたゴーレム全ての足をバラバラにしてやる。
動けなくなったゴーレムたちが地面でうごうごと暴れ回る。
俺はそれに当たらない様に気を付けながら、それぞれのゴーレムの核を取り出して、稼働を停止させた。核は使えるし、ポケットにでもつっこんどくか。
まぁ、とりあえず下を目指すしかない。ここがどの辺かも分からないが、上の方で見た事がないという事は恐らく下層だ。それならば、話は早い。
「とにかく、下へ」
「――うんうん、下かぁ!いいね、下!」
「――ッ!?」
耳に息を吹きかける様に、何かが俺の背後で喜ぶようにそう言った。
俺はすぐさま〈風切りの足輪〉を発動し、その場から飛び退く。
「わぉ、良い反応!」
それは、俺よりも年上の少女だった。
薄く光る長い長い鼠色の髪をそのままにし、くるくると舞でも踊るように軽やかなステップを踏んでいる。
―――異常だ。
その少女は裸足だった。真っ白なワンピースを身に着け、満面の笑みでこちらに笑いかけている。――違う、こいつは、きっと違う。決定的に、根本的に何かが違う。生物としての、何かが足りていないのだ。
それほどまでに、その少女の存在は異質に映り――。
「お、前は誰だ…?」
「んー?私!?」
少女は俺の傍まで走り寄り、こてんと首を傾げた。
何も考えずに見れば、とても可愛らしいと感じるだろうが、この少女は異質だと本能が警鐘を鳴らし続ける限り、何か恐ろしいものの様にしか感じられない。
少女は俺の前に立ち、嬉しそうにこちらを見やると、
「――私は、死を司る神!創造神を除く、八つの神の一柱!」
…この少女は、何を言っているのだろうか。
その言葉を否定できぬまま、俺はその場に固まってしまう。確かに、この世界には宗教がある。フィアの住む教会が最もらしいそれだ。
一つの創造神と、八つの神。
世界は神々によって保たれていると信じる人もいる。だが、所詮そこまでだ。神が顕現したなんて与太話はもう何百年も前の書籍にしか記されていない。
「ライ、貴方は天秤に願った!――『もう一度、自分の心臓が元気に動くなら』と」
この少女は、何を言って――。
「だから私は叶える事にした!天秤を通じ、貴方にやり直しの機会と力を与えた。でも、ライはそれを分かってない!」
分かってない?何が。この少女は、本当に――。
「――正しい、力の使い方を!」
次の瞬間、強い衝撃が胸を襲った。
衝撃の勢いに押され、俺の身体は後ろに倒れ込み、尻餅をつく。
「――ぅ、ぁ」
一体何が、と衝撃を受けたであろう場所に視線を移す。
そこにあったのは、ぽっかりと穴が開いた自分自身の胸だった――。
…おい、こりゃ笑えねぇぞ…。
がくりと腕が力を無くし、仰向けで倒れ込む。どうにか声を出そうとしても、掠れた声すら一切出ない。
冗談じゃない…、折角やり直す機会を得たのに、こんな訳分からない死に方すんのかよ。それじゃあ何も変わらねぇじゃねぇか。
何も得られず、ただただ迷宮に何かを望み続けたあの頃と、何一つ変わらない。
ごぼり、と喉の奥から何かが零れる。霞み切った視界の中で少女が倒れ込んだ俺を覗き込み、何かを言っている。しかし、もう何も聞こえちゃいない。
そうして、ゆっくりと真っ黒な闇が視界を包み込んでいき――。
◇◆◇
――真っ暗な闇だ。
右手の感覚がある。左手の感覚も、両足もある。何より、胸にぽっかりと穴が開いていない。
「ゆ、め?」
「夢じゃないよ!」
ぽつりと呟いたその言葉に、予期せぬ返答が帰ってくる。
その声色は、間違いようもなく先程まで俺の前にいた少女だった。一体どこに、と真っ暗闇に手を伸ばす。すると、ぺたりと掌が何かに触れた。思えば、何かに包まれているように感じる。卵型のそれは、ナイフで突き刺せば反応を返し、何度も殴打し突き刺せば、めきめきと音を立てた。
……既視感だ。
そう、まるで、歪曲植物の中から脱出するときの様な、それと全く同じように感じ――、
めきめきと音を立て、周囲のそれが腐り落ちる。
そこには、先の声の正体である少女の姿があった。少女は、嬉しそうに俺を見つめていた。
――…あぁ、俺は囚われてしまったのかもしれない。
笑顔の少女を前に、ポケットをまさぐる。
…無い、無い、無い。要れたはずのゴーレムの核がない。地面に落ちている様子もなく、粉々に砕いてしまったというわけでも無い。
「―――」
…夢なんてちゃちなものじゃない。
どうしようもないくらいの既視感の正体は、それを”一度経験している”から。
俺は確かに一度身体に穴が開いたし、喉の奥から何かが零れる感覚も忘れていない。そう、つまり――。
「――時が戻った」
動かなくなった心臓が、強く鼓動を打ち鳴らす瞬間に、魂が舞い戻ったのだ。そして、その現象の原因は間違いなく――。
「どう!?使い方分かった?」
瞳を輝かせ、笑みを浮かべる少女。
俺は確かにやり直す機会を得た。だが、それと同時に決して心臓が止まる事を許されない呪いを受け取ったのだ。
死を司る神と名乗った少女を見る。
俺と同じ鼠色の髪をしている。薄く光るそれは、薄暗い洞窟の中ではより幻想的に見えた。彼女は、俺の願いを叶えたと言った。とするならば、彼女に悪意はないのだろう。
「…あぁ、マジかよ」
――この呪いは、俺が望んだものだ。
果たしてこの先、死ねる時が来るのかは分からないが、生涯付き合っていくことになる呪いだ。白いワンピースを揺らす少女を見ながら、俺は「はは」と笑みを浮かべた。
「よし!ライ!早速いってみよ!」
そう言った少女は、俺の手を掴んで引っ張り始めた。
とてとてと裸足で走る少女は、嬉しそうに笑みを零しながら俺の手を一層強くぎゅうと握り込んだ。俺は、その手を振り解けぬまま、なし崩し的に彼女に引っ張られて進んでいく。
少しすると、広い空間に出た。
その空間の奥には、迷宮踏破を示す扉が見えた。しかし、それ以上に――。
「…おいおいおいおい、どこまでありなんだよ!?」
「あはは!頑張って!ライ!」
ここまで俺を連れてきた少女が、突如として目の前で消失し始める。
四肢から順に、絡まった糸が解ける様に少女はこの世界から掻き消えた。しかし、それ以上に今は――。
「――…なんで、お前もここにいんだよ!?」
目の前で蠢くそれは、間違いなく”歪みの森林”で出会った樹巨人そのものだった――。
【Tip】歪曲植物
歪みの森林にのみ自生する植物。
意思はなく、偶発的に踏み抜いた対象を喰らい(踏み抜いても何も起きない場合もある)、別の歪曲植物内部に送る。
喰らった個体はその後別の場所にワープし、その場には不自然にならないよう魔力によって偽装が行われる。(例:地面から出てきた際の穴が埋まっている等)




