ずっとそばに
「雇い主、悪いが限界です。子供じゃあまりにも、このまま進むのは無理がある」
疲れた身体を動かし、竜車に乗る依頼の主であるベリルさんに俺はそう申し出た。
竜車後方でノノと共に魔物に対応したであろうガキ共も、へとへとになりながらも必死に竜車について行っている様子が見える。
前方を担当していたアレイ、ウィン、ソーニャの三人も今は無理だ。
特にソーニャ、完全に魔物に対する恐怖が芽生えた顔をしていた。一度、そういう体験をしたらなかなか抜け切るのに時間がかかる。それこそ、この依頼中は戦えはしないだろう。
「そうですか…分かりました。それでは、休憩するとしましょう」
ベリルさんはにこりと笑みを浮かべると、横を向いて遠くを見た。
俺はその視線を追う様にそちらに目をやる。そこには、泣きそうな顔で剣を地面につき、歩を進める子供の姿があった。
……胡散臭ぇ。
心の中でそう呟いて、俺は「他の連中に休む旨を伝えてきます」とその場からそそくさと離れた。
「ライ君、今日はきっと動けないよ」
「…分かってる」
疲れ込んだ様にへたり込む連中を横目に溜息をつく。
心が折れてしまえば、もうきっと立てなくなる。少なくともあれ程の経験をした後であればそれは猶更だ。俺やノノの様に深く深くと迷宮に潜る子供はそういない。前の世界でも”虹の子”や”腕”など、片手で数えるほどしか聞かなかった。
俺は座っていたアレイに手招きをし、こちらに呼び出す。そして、
「お前らのとこ動けそうか?」
「うーん…、俺はまぁ夕方までならいけると思う。でもウィンとソーニャは無理、すぐについていけなくなる」
「そうか」
「ってかそれよりもベリルさんが俺は怖いね。ライもノノちゃんも分かるだろ?」
アレイは多少こちら側だ。
同じ思考回路を持ってくれているし、他と比べれば体力も強さもある。
依頼主、ベリル・ラクロ。
波打つ長い髪に、真っ白な肌。そして、時折こちらをじっと見つめる粘着質な視線。敵意を含んだそれらとはまた違う何かだ。
「…まぁ、今日はこのまま一夜を明かすことになるだろうし、アレイも休んどけ」
「あぁ、そうだな。そうさせてもらうな」
だが、それらの違和感も所詮、違和感だ。
それだけを理由に、ベリルさんを突き詰めるわけにはいかないし、それで本当に白だった場合のデメリットが大きすぎる。迷宮協会に報告されれば恐らく依頼が回ってくることは二度と無いだろうし、下手な事は出来ない。
「…さっさとモグリになっちまうか…」
ノノを座らせ、鞄に入れていた干し肉を適当に咥えさせると、俺は一人で竜の世話をしているベリルさんへと近づいた。
近付いて来る俺に気付いたのか、彼女は波打つ髪を耳に掛け、こちらを振り向いた。
「どうしましたか?ライさん」
「…申し訳ないですが、ここにいる探索者たちの体力を考えると、もう今日ここから動くことは厳しいかと」
なんで俺がこういう役回りをする羽目になるんだ…。
一瞬、そう考えたが『こういう事をする必要がある』と、今だ子供である彼らは知らないからだ。必然的に、そういう知識がある俺が先んじてやってしまっている。
「なるほど…では、休憩ではなく今日はここで夜を越しましょう」
ベリルさんは、こちらの体力の無さに文句を言う訳でもなく、するりと俺の進言を聞き入れた。
ガキだけの行進の時点で、こうなることくらい予見していた?しかし、ガキだけに依頼した意図は?
「聞き入れて頂いて、有難うございます」
心にもない感謝の言葉と共に、頭を下げた。
目の前の女は、一体何を企んでいる?俺は笑顔を浮かべるベリルさんの視線を後頭部に感じながら、その場を後にした。
「―――…ん!是非うちに来て下さい!」
「―――」
とりあえず今日は腰を落ち着かせることができると決まった為、他の連中にもそれを伝えようとしたその時、ノノの近くで一人の少年が何か騒いでいるのが聞こえた。
「貴方の様な人があんな人と一緒に居ちゃいつか間違いが起きます!僕らは将来、必ず名を残します、だから是非ノノさんもうちに――」
…わぁ、すっげぇ自信!
あそこまで自信があるって事は相当な遺物か技術持ってんのか?それとも、ガキ特有の意地っ張りか英雄願望?どちらにしろ、ノノは現状お嬢のものだ。俺も誰のものかと言われれば今はお嬢だし、他に引き抜かれるのは流石に困る。
ノノの勧誘に割って入ろうとしたその時――。
……いや、別に俺とノノが一緒に迷宮潜る必要ってないよな?
確かに同じ屋根の下、お嬢に雇われちゃいるが、俺は恩義からだし、いつかはいなくなる。いつまでもノノも俺にまかせっきりも良くない。
「――ぁ」
うんうんと唸っていると、ノノは横目に俺の姿を捉えたのか、バッと立ち上がり、そそくさと俺の背中に隠れた。
「…ライ君、お願い」
それは暗に、奴を追い払ってくれと言っているようなものだった。
しかし、俺はそんなノノを成長させる為に、
「勧誘受けてもいいぞ」
「………ぇ?」
一度くらい、荒波に揉まれるのも大いにありだろう。
奴は将来の”戦乙女”だ。死ぬことは絶対にありえない。なにせ、俺よりもずっと、ずっと強くなるのだから――。
思えば色々と間違っていた気がする。
偶然にも出会ってしまい、先生紛いの事をしてはいたが、元々こいつは一人で戦っていける天才型だ。自分に必要なものは教えて貰わずとも勝手に習得していける。
ならば、何かと世話を焼かれることに慣れてしまったノノは、俺から離れるべきだ。同じ屋根の下で暮らせど、同じ仲間として迷宮に潜る必要はない。
「――…それ、本気でいってるの」
良いアイディアだ、と頷いていると、ノノが更に俺の背中にぎゅうとくっつきながら呟いた。
「?あぁ、中々良い案だろ?」
「そう、うん。ライ君はそう言う人だもん」
ぱっと俺から離れ、ノノは勧誘していた少年の方へと歩いていく。
これでお嬢も喜ぶだろ。俺たち二人で同じ場所を探すより、二手に分かれれば遺物が見つかる確率は上がる。しかも、ノノには新たな仲間が出来た。これで更に商人共に気付かれにくくなっただろうしな。
良い事尽くめだな!
うんうん、と頷いてノノが社交性を育むところを見守る。
ノノは、その少年の前に立ち、彼を見下ろした。性別の差なのか、ノノは少年の頭一個分以上は身長が高かった。
すぅ、とノノが息を吸う。
珍しく、いつも無表情なノノの顔に表情が表れているように見えた。
「…私は、―――ずっとライ君の傍にいる」
「は?」
「ぁ?」
ノノの前の少年と、俺の口から同時に声が漏れる。
どちらからしても、この言葉は予想外だった。少年は俺とノノの会話を聞いていただろうし、俺も驚きを隠せない。
「――ライ君がいないと朝起きられない。まだ教えて欲しいことあるし、頭撫でて欲しい。誕生日もおめでとうって言いたいし言われたい。ご飯一緒に食べたいし、シルとアルバと皆で一緒に居たい。秘密にしてる事も教えて欲しいし、おんぶもして欲しい。デリカシー教えてあげなきゃだし、寝てるときにまた布団に入りたい」
ノノは、少年にそっぽを向き、俺の方へと歩み寄る。
あぁ、これは、確実に因果だ。絡まった因果が、お嬢を呼び、”戦乙女”を引き寄せた。
これは、間違いなく手繰り寄せてしまったものだ。
「――だから、ライ君…私、離れないよ」
――前の世界で、死ぬ前に天秤を見た。あれが俺の願いを叶えたのならば、天秤よ。もう一度、やり直すチャンスをくれないか。
夕焼けが見える。
その橙色の光に当てられた桃色の髪が、風に吹かれた。仏頂面の彼女の瞳の中には、見た事がない程の光が宿っていた。
…さっさと遺物、お嬢に渡して逃げらんねぇかな。
そんな事を考えながら、瞳に光を宿したノノが俺の手を握るのを、俺は何もせずに見守るのだった。




