第9話 注意を引きつけ
挑発された事くらいは理解したのか、魔物の攻撃は一層激しさを増した。
振り下ろすばかりではなくなり、突きと薙ぎが合間合間に襲い掛かる。
しかしそのどれもが大振りのものばかり。地面の窪みが増える一方だった。
「どうした? そんなものか。だとしたら呆れたものだ。不意打ちを封じられた程度でここまで攻めの手が鈍るとはな」
そうだ、それでいい。俺に意識を向け続けろ。
二人が避難したのは確認済み。今のところ近くの他の気配もない。
「《火炎》」
棍棒の反撃を流し、一応こちらも距離を取りつつ炎を撃ち込む。
炎弾の効果はそれなり。最初の《魔斬》諸々を合わせてもやはり足りない。
(……攻撃が単調な事くらいか。分かりやすい欠点は)
だからまた一直線に突っ込んでくる。
今度は斬撃を挟む必要もなかった。少し力を込めて蹴り上げる。
それでも魔法の追撃は器用に躱していた。弾速が落ちている事を差し引いても侮れる筈がない。
ならばと、もう一度接近戦を仕掛けるべく草原を駆け抜ける。
すぐに巨体が目の前に迫る。魔法を放つ準備はできていた。
だがその時、そいつは笑っていた。しっかりと俺を見て笑っていた。
「――――」
うるさいだけの叫び声。
それを聞いて、緑の中に潜んでいた手下のゴブリン達が我先にと飛び出す。その狙いは当然、俺だ。
「その程度で不意を突いたつもりか……!」
隠れられる場所はごく一部。
当然、俺の背後にそんな場所はない。地面に擬態している個体もいない。
「――《薙炎》!」
おかげで奇襲にならない襲撃を捻じ伏せるのは実に簡単だった。
業火を纏い肥大化した魔力の剣を振るい、飛び掛かろうとしていたゴブリンを一斉に焼き尽くす。
姿勢を変えて逃れることすら出来なかったゴブリン達は一匹残らず魔結晶に姿を変えた。
「どこを見ている?」
手下の全滅に気取られ動きを止めた巨大ゴブリン。
俺の声に反応しようとした時にはもう身体が左右に分かれていた。
(……至近距離からの一撃で、やっとか)
しかもそれ以前に攻撃を加えた後。
これではあのゴブリンのことを何も言えない。
やはり想像以上に鈍ってしまっている。早く感覚を取り戻さないといつ足を引っ張る事になるか分かったものじゃない。
「今ので終わり……とは、いかないか」
なぜあの一体のみを先に向かわせたのかは分からない。
しかし、間違いなく茂みの向こうから巨大な影が三つほど近付きつつあった。
「キリハ……」
逃げる前、ちょっとだけ見えた。
あっという間に魔物に向かって行って、しかもそのまま思いっきり吹っ飛ばしてたところが。
どうやったらあんな事できるんだろう? 力が強いって思ってたけど全然それどころじゃなかった。
その前に魔法を使った時もそう。
剣を振って撃つ魔法なんて使いにくい筈なのに、簡単に当ててた。それもあんな遠く離れた距離から。
それでも不安だった。
あんなに大きなゴブリンなんて見た事ない。
キリハが凄く強くても、あの魔物がもっと強かったらどうしよう?
そんなことない。そう思ってるのに全然止まらない。
「大丈夫、だよね……?」
ちょっと、ちょっと見るだけ。
街の中から少し除くだけならきっと大丈夫。
もうキリハが倒してくれてるかもしれない。それにおじさんも――
「あ、あれ?」
門の方に人が集まってる?
あの魔物が出たから? でもそんなの危ないし……もう終わったとか?
あんなに囲まれてたらキリハも動けないし、迎えに行ってもいいよね? 仲間、なんだし。
「いってぇ……クソ、情けない」
「やっぱり年なんですよ、おやっさん」
「バカ。下らない冗談言ってる場合か」
「……ですね」
そう思ってたけど、そこにはおじさん達しかいなかった。
いつもの鎧は着てない。でも、酷い怪我。包帯を巻いてもらってるみたいだけど、全然足りてない。
おじさん達、動けないの……?
「ご、ごめんなさい、通ります! おじさん、大丈夫!?」
「おぉアイシャか……すまんな、情けないところを見せちまって」
「い、いいよ別に。それより怪我は? 平気?」
「そりゃ勿論、って言いたいんだが……悪い。ちょっと救護箱のスペア取って来てくれ。言えば伝わる」
「わ、分かった!」
やっぱりキリハはいない。倒した後ならすぐに私の事も見つけてくれる筈だから。
戦ってるんだ。さっき出た魔物と。多分、一人で。
行く前はああ言ってたけど、本当は分かってた。キリハならきっとそうするって。
キリハの魔法を耐えたんだから強い魔物に決まってる。でも、おじさん達も歯が立たないなんて……
なんであんな魔物が出たの?
いつもは平和なのに。やっぱりあの噂は本当だったの?
今日魔法練習をしなかったら、キリハが戦うことも……
「? 君、大丈夫? 顔色悪いけどこれ運べそう?」
「あっ……大丈夫です。ありがとうございます」
「こっちこそありがとう。ちょっと離れられないから、二人の事よろしくね」
駄目。今はおじさん達の手当てが先。
少し重いけど大丈夫。すぐに運ばなきゃ。
「――あなたは左腕の傷。それから――」
持って来た木箱を渡して、傷薬を縫って、包帯を巻いて――周りの人も手伝ってくれたけど、それでもすぐに終わらなかった。
おじさんは『そこまでしなくていい』って言ったけど、あんな怪我ほっとけない。
警備隊の人が念のために持ってきてくれた担架でおじさん達が運ばれても、まだキリハは戻って来なかった。
「ところであそこにいるのは誰? あんな強い子いたかしら?」
「最近来たのよきっと。良かったじゃない。変異種を倒せる人なんてこの辺りには多くないもの」
でも、そんな話声が聞こえると嬉しかった。
時々キリハは自分の事を悪く言ってるけど、絶対凄い。キリハならいつか特級冒険者にだってなれるかも。
(やっぱり、ちょっとだけ……)
見て終わり。キリハに迷惑がかかっちゃうかもしれないから。
それに今誰かが『倒した』って言ってた。丁度こっちに戻って来る頃かも。
もしそうなら迎えに行きたい。おかえりって、ありがとうって伝えたい。
まだ倒せてなくてもきっとすぐ終わる。そう思ってた。
「ぇ――」
ウソでしょ……?
倒したって、さっき誰かが言ってたのに。他に戦えそうな人もまだ来てないのに。
「どうして……」
どうして、魔物の数が増えてるの!?
「《薙炎》」
またも遅れて現れた手下のゴブリンを焼き払う。
能力が高いわけではない。辺りに散らばった魔結晶を誤って踏んでしまう方が危険に思える程度の脅威。
だが仕留め損じればその脚は当然ストラに向く。町の内部から迎撃できるかどうかなど関係ない。
「ちっ……」
とはいえ変異種はやはり硬い。そして《魔力剣》の切れ味は鈍い。
確かに変異種の身体能力はサイブルとは比べ物にならない。一体目とやり合った時点でそれは分かっていた。
勿論、明らかに何者かの手が加えられているという事も含めて。
そいつの姿はない。あの魔法を仕掛けた誰かなのか、はたまた無関係の人物か。考える程に謎は増える。
わざわざ挑発せずとも巨大ゴブリンは勝手に向かって来た。
それらを町から遠ざけ、魔法を撃ち込み、動きが鈍ったところを《魔斬》で断つ。
しかし数が増えれば戦術の幅も当然広がる。一匹倒されたのを見た途端に攻撃の感覚は狭まっていった。
挙句、仕留められそうになると手下をけしかけ自分は逃げる。
通常種は気配を察知する度に《火炎》と《水流》で処理しているのだが、それでもどこからともなく現れるのだ。
一体であればまだいい。しかし数が増えると巻き込む範囲の広い《薙焔》を優先せざるを得ない。
安易に《魔斬》を飛ばしたところで見切られるだろう。向こうもそのつもりなのか、懐に潜り込ませまいと必死だった。
(どこかに抜け道があるのは確定として、まずは……)
変異種を仕留める。
そこに変わりはない。こいつらを仕留めない限り状況はそのままだ。
警戒すべきは更なる増援。ないという保証はどこにもなかった。
思考を中断させる意図はないだろうが、攻撃の手が休むことはない。
このまま小さなダメージを蓄積させるという手もあるが、どちらにせよ時間を掛けるべきではないか。
「? 退いて――」
思考を見抜いたのだろうか。突如接近戦を棄て、飛び退く変異種。
その意図がすぐには分からなかった。
反応が間に合ったのは幸運以外の何物でもない。
「……舐めた真似をしてくれるじゃないか」
左手で受け止めた岩を砕いて捨てる。
変異種はただ岩を投げるために距離を取っただけだった。
手を伸ばしてやっと届いたくらいだ。俺を狙っていた筈がない。となれば当然、標的は俺の後ろ。
その程度で外壁を壊せるかどうかなど関係ない。
魔法で作り出したわけではなかった。さすがにそのくらいは感知出来る。
だがゴブリン共は腰の布切れ以外何も身に着けていない。あんなものを一体どこに隠し持っていたのか。
「《掻雷》――」
思考を巡らせながら魔物の右肩に《魔力剣》を押し付け、雷をまき散らす剣を力任せに振り切る。
肩から腰へ刻まれた大きな傷口。そこから溢れ出した粒子を押しのけ奥へ飛ぶ。
「――《魔撃》!」
その勢いを、全て魔物に叩きつけた。
腕を交差させ防ごうとした変異種を押し倒し、そのまま潰して消滅させる。
そり曲がった魔結晶を残す変異種は残り一体。が、また森の奥からこちらに向かう気配があった。
「言われなくても分かっている」
一度視線を逸らしたからだろうか。
自らの存在を誇示すべく雄叫びを上げ、そのまま飛び掛かった変異種を今度こそ《魔斬》で仕留める。
それを察知してか、地上からこちらに向かっていたゴブリン達はすぐさま踵を返した。
規模からして最低でも二〇。倍以上いてもおかしくはない。
「やはり発生源を叩くべき、か……?」
今の戦闘で、僅かながらも感覚も取り戻せた。
だがあくまでそこ止まり。《魔撃》も想定した威力には届いていたとは言えない。
しかも発生源は不明と来た。正直、深追いは悪手だろう。調査は詳しい人達に任せた方がいい。
勿論仕留められるのならそれに越したことはない。可能な範囲で逃げるゴブリン共を仕留めておく。
そうしてやっと魔物の気配が消えた。
何体仕留めたか分からない。魔結晶を数えるのも億劫だ。
だがこれでひとまず脅威は去った筈。
次があってもその時までにある程度は対策を整えられるだろう。間に合わないのならもう一度片付けるまでの事。
「これは一体、どういう……?」
この件、遅れてやって来た部隊を戸惑わせてしまったのが一番の反省点かもしれない。