第8話 突如現れた魔物は
小さくも大きな一歩を踏み出し早三日。その後も順調――
「よ、避けてキリハ――――!」
「了解」
――とは、いかなかった。
飛んできた火の玉の軌道から頭を逸らし、雑草を焼かないよう自身の影に隠して左手で受け止める。
注意は必要だが慣れてしまえばどうということはない。
とりあえず顔を青くしたアイシャが来る前に火消しを済ませておく。
「大丈夫!? ケガしてない!?」
「ああ勿論。ほら、どこも焼けてない」
「よ、よかった……」
既に何度も似たような事が起きているせいだろう。アイシャは目に見えて気落ちしていた。
怪我をしていないから問題ない、とはいかないのだろう。何度か伝えた後でもこの状態だ。
「う~……なんで上手くいかないんだろ。やっぱりキリハにやってもらわなきゃ駄目なのかな……」
「多少時間がかかるのは仕方がない。今の時点でこれならむしろ早いくらいだ」
「でもたまにすごく変な方向に飛んでるでしょ? さっきだってキリハが避けてくれたからよかったけど……ほんとに当たってないんだよね?」
「見ての通りだから安心してくれ。それより、俺の方も一区切りついたからそろそろ俺にも手伝わせてくれ」
「あれ、もういいの? ひょっとしてまた……」
「だったらよかったんだがな。精々依頼二、三件分だ」
「十分多いよ?」
何を今更。
どちらにせよ採取は今回本命ではない。さ、魔法練習魔法練習。
「……キリハにしてもらった時はちゃんと飛ぶんだよね……」
ほんの数日間であっても毎日繰り返せば徐々に慣れる。
俺が腕を掴んでもアイシャは全く動じなくなっていた。
的に当てられた事への喜びばかりでなくなったのは一概にいい傾向とは言えそうにないが。
「焦らなくていい。さっき言った通りよくなっているのは間違いないんだ。無理をしても逆効果にしかならない」
「確かにはそうだけど……依頼とか受けられないし」
「そこはお互い様だ。俺なんて昇級試験がいつになるかも分からない」
一応定期的に開催はされるらしいから深刻に捉えすぎる必要はないだろう。
が、それはあくまで会員証の『仮』の文字が消えた後。これがいつになるかが問題だ。
「大丈夫だよ。いつになってもキリハなら簡単に受かると思うし」
「そこまで言ってもらったからにはしっかり受からないとな。まあ確かに、今更体力テストで落ちるわけには――」
……さっきから誰だ?
軽く眺めるだけならとスルーしていたが、少し前から向けられていた視線は一向に逸れない。
茂みに隠れて俺達を見ている何者かがそこにいる。
「キリハ? どうしたの急に。森の方を睨んだりして……」
「静かに。前を向いたまま後ろに――そう。そのままゆっくり壁に向かってくれ。事情は後で説明する」
今更になってサイブルが仇討に来たのかと思ったがその考えはすぐに捨てた。
明らかにこの前戦った魔物の気配とは違っている。監視しているのはおそらく人間だ。
だが理由が分からない。監視する理由は勿論、
「《氷壁》」
俺とアイシャを魔法で攻撃する、その理由も。
作り上げたばかりの氷の壁を、炎弾が何度も打った。
野球ボール大、しかもさほど濃度の高くない炎魔法程度に破られるような軟弱な作りはしていない。
「ま、また魔物? 魔法が使えるって事は、えっと……」
「いや違う。犯人は――ち、逃げたか」
この辺りの地形に詳しいのか、あっという間に森の奥へ姿を消した。
魔法で気配を遮断した上に、あのスピードだ。今から追いかけるのはあまりいい選択とは言えない。
「ちょっとだけ探してみる?」
「止めておこう。下手に突いて妙な物を持ち出されたらどこに被害が及ぶか分からない」
「でもまた攻撃されたりとか……」
「そのつもりなら《氷壁》を壊すか迂回させてでも攻撃を続けた筈だ。それに……」
あの攻撃は本当に俺達を倒すためのものだったのか。そこが分からない。
現状、この世界における俺は冒険者見習い。わざわざ狙う価値はない。
強いていうならアイシャと一緒にいる事への嫉妬か。だがそれにしては退くのが早い。
アイシャを標的にしているという線も薄いだろう。俺が知り合う以前に機会は幾らでもあった筈だ。
「それに?」
「炎弾一発の威力が低かった。しかも露骨に視線を向けて……防いでくれと言っているようにしか思えない」
「そ、そう? さっきの魔法、サイブルくらいなら簡単に倒せそうだったけど……キリハが教えてくれるまで見られてる事も分からなかったし」
「故郷で鍛えてもらったおかげだ、そこは。焦らなくたってアイシャもきっと分かるようになる」
「が、頑張るね」
「無理だけはしないでくれよ」
いずれは必要になるだろう。このまま冒険者として活動を続けていくのであれば、確実に。
「でも最近は色々変なことが起きてるみたいだし、しっかりしなきゃ。キリハも気を付けてね」
「と言うと、この前のサイブルか?」
「あ、うん。それもなんだけど……なんかね、このところ魔物の数が増えてるんだって」
そういえばサイブルが仲間を引き連れて来た時にも言っていたな。
あの襲撃者が何かを企んでいるのではと、そんな考えが浮かぶのも当然だ。
「って、そういう状況なら無理に魔法の練習に出なくてもよかったんじゃないか?」
「……お母さんにも同じこと言われた」
「だろうな」
目に浮かぶようだった。
大方町から離れ過ぎない事を条件にしたんだろう。追われていた場所からストラへの距離はこの際触れないことにする。
もう何発か撃ってもらってから街に戻ろう。さすがにもう今日は大丈夫だと思――
「た、助けてくれ――――っ!」
しかしながら、事件はそこで終わらなかった。
「い、今何か聞こえなかった?」
「……ああ。聞こえた。はっきりと」
声が聞こえたのは丁度俺達が使った門の辺り。
少し目を凝らしてみるとそこには筋骨隆々な緑の化け物の姿。
背丈に倍の差があるからか、逃げる冒険者が随分小さく思えてしまう。
「アイシャ、離れて」
どちらにせよ罠やら何やらを仕掛けるより叩いた方がいい。この距離からでも十分狙える。
「万――……っ!?」
手にした《魔力剣》の刃に力を溜め、斬撃と共に解き放つ。
同じ手順を何度も繰り返した。最も使った攻撃魔法と言ってもいい。
だからこそ分かる。明らかに足りていない。
「ちっ、《魔斬》!」
――あの魔法すら使えなくなる程に退化したのか、俺の身体は!
代わりに放った斬撃の魔法には、そんな憤りも混じっていたと思う。あるべき姿に比べて明らかに荒々しかった。
体調は良くなった。それは間違いない。だが以前の様に動かない。
イメージに身体が追い付かない。本格的に組織の活動に加わって以降、こんなことは一度もなかった。
未完成の魔法のように過程が不完全だったのならまだ分かる。試行錯誤している時はいつもそうだった。
だが、今回は違う。このままでは話にならない。
「き、キリハ……?」
「……すまない、取り乱した」
それでも収まり切らなかった激情を抑える事ができたのはアイシャと目が合ったからだろう。
不安に揺れ動く青い瞳を見て、一気に頭が冷えた。
「ううん、いいよ。それよりあそこにいるのって……」
「アイシャの予想している通りだ。念のため別の門から街の中に逃げてくれ。この場所からなら遠くないと思う」
「……もしかして、また?」
「そのつもりだ。心配しなくてもすぐ戻る。それに今回は一人でやり合うわけじゃない。……あんなことを言っておいて勝手だという自覚はある。それでも――」
「分かってる」
見苦しい言い訳もたちまちアイシャによって封じられた。
そしておそらく、何も感じていないからではない。
「大丈夫、分かってるよ。……お願い、キリハ」
「任された」
駆け出したのはほぼ同時。向かう方法は真逆だ。
魔物はまだ倒れていない。《魔斬》で多少動きを止めることはできたが、それだけだ。
「――堅っ!? ちょっとちょっと冗談きついですよコレ!」
「しゃーねぇだろ。いいから手ぇ動かせ!」
「もうやってますって!」
近付くにつれ、魔物を抑えているガルムさん達の声が鮮明に聞こえてくる。
目で見てもやはり大したダメージは与えられていなかった。
それにもう二人の顔には疲労の色が浮かんでいる。ならば。
「――はぁっ!」
多少力任せになってもねじ伏せるしかない。
飛び蹴りをほぼ直に受けた魔物が転がっている内に両者の間へ割り込む。
「お前……!」
「すみません、割り込ませてもらいました。何ですか、あれは?」
雑草を潰しながら縦に横にと器用に転がった大型魔物。
緑色の肌に、尖った両耳。辛うじて衣類と呼べそうなのは腰のボロ布だけ。
サイズはさておき、所謂ゴブリン。起き上がっても猫背なままだったおかげでよりその印象は強まった。
「こっちが聞きたいくらいだ。変異種にしたってあんなサイズは見た事ねぇ」
変異種の更に亜種。字面だけでも異常と分かる。
蹴り飛ばされた事実を向こうがすぐに呑み込めていないからこうして話をする余裕もあるが、魔物が動き出せば当然それどころではない。
「逃げて来たヤツらが言うにはいきなり襲って来たそうだ。見ろ、あの木。あいつがへし折ったんだと。体当たりで」
「その割には平然としてますね。あの魔物」
「だから余計にマズいんだよね。全然攻撃効かないし。ねぇおやっさん」
「……まぁな」
苦虫を嚙み潰したような表情。
改めて二人を見ると、既に何カ所かで内出血を起こしている。
余り戦わせるべきではない。が、今無理にそれを通そうとしてもめては逆効果。
「でも横から魔法が飛んできたおかげで何とか冒険者の子には逃げてもらえたよ。ひょっとしてあれ、君の仕業だったりする?」
「そんなところです。少しでも足止めになればと思って」
「……普通の相手なら足止めどころじゃなかったんだろうけどね、あの魔法」
相手が普通でない以上、その話をしても仕方がない。
「そんなことはいいんです。やる気満々じゃないですか、あの魔物」
「そりゃそうだろ。いいからお前も下がれ。思ってる以上にヤバいぞ、アレ」
「分かってます。だから余計に放っておけないんです。俺にも手伝わせてください」
それに、失礼だがガルムさん達だけではおそらく厳しい。
怪我もそうだが鎧にも見覚えのない傷が幾つもある。
「駄目だ。協会に応援呼びに行かせたからお前は下がってろ。あいつのことはどうするんだよ」
「別の門から街の中に逃げてもらいました。向こうには魔物もいなかったので。それにガルムさん達が大怪我をしたなんて知ったら落ち込みますよ、アイシャは」
「……そうかもしれないけどよ」
じれったい。
もう少し状況がはっきりしていれば二人を置き去りにする勢いで魔物を攻め立てる事もできただろう。
しかし現状それも厳しい。
「ちょっ、おやっさん危ない!!」
「はっ……!?」
そんな状況は魔物にとって好機でしかなかったのだろう。
二〇メートルの距離を一瞬で詰めて、大人より一回り大きな棍棒を振りかぶっていた。
鎧を纏っていると言っても、あんなものを直に受けたらひとたまりもない。
「……すみません。さっきの発言、訂正します」
剣で受け止め押し返し、振り回される前に軽く胴を斬りつけもう一度蹴り飛ばす。
今度は向こうも予想していたのか、棍棒を突き立て勢いを殺して見せる。
その間、門番の二人に動きはなかった。やはり答えは一つしかない。
「こいつは俺に任せてください。お二人は勿論、外壁にも指一本触れさせません」
厳しいどころの話ではない。
見かけによらず速い。腕力もかなりのもの。
この二人に大怪我を負わせるくらいなら、無理やり身体を叩き起こすまで。できないとは言わせない。
「バッ、おま……! 何言ってんだ。無茶にも程があるだろ!」
「今の攻撃で確信しました。俺一人でも対処はできます」
「だからってお前なぁ……!」
「止めましょうよおやっさん。この子に任せるしかないですよあれ。俺達完全に反応できなかったじゃないですか。……悪いけど、任せていいかい」
「勿論です。さ、今の内に」
「……本当にごめん」
罪悪感を覚える必要なんて、欠片もないというのに。
「と、いうわけだ。今から俺が好きなだけ相手をしてやる。体力が完全に尽きるまでかかって来い」
通じてはいないだろう。それでも剣の切っ先を向けてやれば敵意くらいは伝わる筈。
しかし魔物は未だに二人を標的に定めていた。不吉な笑みすら浮かべている。
そう、まるで二人を倒してから相手をしてやると言わんばかりの表情だった。
「まあ待てよ」
さっきのお返しに懐へ潜り込み、片手剣から戦斧へと変えた得物を叩きつける。
向こうにしてみれば今にも飛び掛かろうとしていたタイミング。防御も間に合わない。
結果、魔物はその身を宙に踊らせた。周囲には黒い粒子が僅かに漂う。
精々二、三歩後退させるだけと思っていた。これなら火力不足は当面この方向で補った方が良さそうだ。
「何度も言わせるな。お前の相手は俺だ。これ以上勝手はさせない」
当然、増援を待つつもりも全くない。