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彼方世界とリヴァイバー  作者: 風降よさず
XVII 夕波の思い出
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第678話 急勾配

 上へと伸ばされた手は微かに震えていた。


 袖の中から姿を現した左腕をしかと掴む。

 少しばかり力を込め過ぎてしまったのか、肩をびくりと震わせた。


 腕の力を緩めるわけにはいかない。

 投げ出された格好の左手をゆっくりと俺の腕に近付けさせる。


「大丈夫。……そう、落ち着いて。焦らなくていい。絶対に離さないから」


 存在を確かめるようにアイシャの手が跳ねる。

 何度か掴み損じた後、遂に捕まった。


 ゆっくりと頷くアイシャの身体を引っ張り上げる。


 幹から無理矢理引き剥がしてしまわないよう、慎重に。

 一歩王で時間をかけ過ぎないよう、速やかに。


 美紀に添えられていたアイシャの右手が完全に離れたところで左腕を回して抱き寄せる。


 木に括りつけた魔力の縄が、ぴんと張った。


 こうなってしまえばこっちのもの。

 魔力の縄に縮めと命じてやれば自ずと身体が引き上げられる。


 エスカレーターには似ても似つかない不便な機構でも、斜面を上ってひと息つくだけなら十分だった。


「あとどのくらいあるのかな……?」

「さあ、どうだろう……。さすがに半分は越えたと思いたいが」

「まだまだなんだね……」


 さすがのアイシャもげんなりしていた。

 息を切らしていないのが不思議なくらい。


 ここに上る間でもかなりの労力を費すことになった。

 単純計算でほぼ同程度。それ以上ということも充分にあり得る。

 気が滅入るのも当然だ。


 定期的に上り下りを繰り返しているディロン老人の体力には驚くばかり。

 年齢的にも厳しいだろうに。


 なんて、人の心配ばかりしていられない。


「やっぱり、階段を作れるか試してみよう。ここまで来たんだ。多少楽をしたところで誰にも文句は言わせない」


 とっておきの解決策。

 しかしアイシャには渋い顔をされてしまった。


「……それ、キリハがたくさん魔力を使うんじゃないの?」

「まあ、相応の量を」

「だよね。それに、置く場所とか、向きとか長さとか、全部キリハにやってもらうことになるでしょ? 固定もしなきゃいけないし」


 いつの間にここまで理解を深めたのか。

 欠点まで正確に見透かされては反論のしようがない。


「だからいいの。キリハに全部押し付けて楽するなんて嫌だもん」


 勾配に頬を引きつらせていた時と変わらない答えには安心感さえ抱きそうになる。


「キリハの手を借りないと上れないのは変わらないけど……」

「まあまあまあ」


 その気持ちだけでも十分だった。


「そういう挑戦はまたにしよう。いくらでも付き合うから」


 対抗心のようなものを抱いているのはなんとなく感じていた。


 無論、俺に対してではない。

 この町でのあれこれに感じるものがあったという話。


 わざわざこちらに行くと言ったのもそれが理由だろう。


『(ほんと、気にするだけ損ですよねー。誰かさんはさっきからずーっと余裕ぶっこいてますし?)』

「(その言葉、今のお前にも当てはまるんじゃないか)」


 しかしそこへ、冷やかす声。

 おかげで込み上げていたものが一気に引っ込んだ。


『(そんなことないですよぅ。本当は今も疲れて疲れて、寄りかかりたいくらいなのに……っ)』

「(は、冗談)」


 好き勝手に言ってくれやがる。


 アイシャに聞こえていないのがせめてもの幸いと言うべきか。

 きっと傍にいるユッカ達はヘレンの振る舞いにきっとドン引きしているだろう。


『(なんです? 今のリアクション。もうちょっと真面目に取り合うべきだと思うんですけどー?)』

「(お前が本当に不調になった時にはなんでも訊こう。本当に、調子を崩した時には)」

『(事実上の拒否宣言です?)』

「(その自己評価の高さには恐れ入った)」


 呆れか、感心か。

 自分でもいまひとつ分からないため息をついて、作業を続ける。


 幹に括り付けた縄はそのまま次の狙いを探す。

 次は少し欲張って……いや、無理強いをするべきではないか。


 正直、ここまでの急勾配とは思わなかった。

 上手く抜けられそうな隙間があるなら空からそこに降り立ってしまいたい。


 リィルのおかげでちゃんとした命綱もあるとはいえ、どうしても疲労はかさんでしまう。

 後の戦闘を考えると消耗はできるだけ抑えておきたいところ。


「なんか、キリハ……いつもより元気じゃない? 気のせい?」


 考え事の最中、後ろからそんな声が聞こえた。


「それはもう。余ったエネルギーは今日中に使ってしまわないと」

「そうなんだけど、そうじゃなくてね?」


 どうやらまじめな話らしい。


「楽しそうっていうより……慣れてる? なんか、そんな感じがして」

「別に慣れては――」


 言いかけて言葉が引っ込んだ。

 頭に浮かんだ記憶によって、否定の言葉を否定されてしまった。


 斜面を滑り落りたり、山の上を走り回ったり。

 そんな記憶が次々浮かぶ。


 大きなきっかけとなったあの出来事に後悔を抱くことなど万に一つもあり得ないことだが。

 命の危機と言って差し支えのない思い出(きょうふ)に身震いした。


 ……そうか。思えば、アレのせいか。


 忘れたことなど一度もなかったというのに。

 アイシャに指摘されるまで気付かなかった。


「ありがとう」

「へ?」


 灯台下暗しもいいところ。

 おかげで空回りするところだった。


 アイシャはキョトンとした顔だったが、それでいい。

 俺が自覚しているかどうかの問題だ。


(少し、肩の力を抜かせてもらうとしようか……)


 油断するわけにはいかない。

 こちらにばかり集中しても、ロクなことにならないのが目に見えている。


 向こうにはヘレンがいる。

 とはいえ無視をしておけるわけでもない。


 万一ということもあり得る。

 その時の対処も、決め手はおいたが……


 いずれにせよ、今はあの人のところを目指すのが最優先。


 おそらくこちらも狙われる。

 最悪の展開を避けるためにも必要なことだ。


「ねえ、キリハ……」

「ああ、お察しの通りだ」


 アイシャの感知に内心舌を巻く。

 伝える前に気付いたらしい。


 やはり少しずつ感覚が研ぎ澄まされているということだろうか。


 しかし現状、足場は最悪。

 派手に暴れたその日にまた負担を強いるのはアイシャの体調的によろしくない。


「《刈翔刃》」


 先手必勝。

 茂みに潜む影目掛けて魔力の刃を一気に放った。



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