第660話 気付けば当日
開催日までは本当にあっという間だった。
1日を短いと感じたのはいつ振りだろう。
せめてと思って身体を動かしている内に当日になった。そんな感覚だ。
この数日間だけ1日の時間が半分になっていたような気さえしている。
気付いた時にはもう当日の朝を迎えていた。
何か手間を取られる事態に陥ったわけじゃない。
むしろ穏やかに過ごせていたと思う。
余計なことを言ったせいで皆に疑いの目を向けられただけ。参加を拒否されることもなかった。
しかしこの数日間で何か進展があったかというと、そんなことはなく。
内容が事前に公開されることはない。
その点に関しては事前に聞いていた通りだった。
おかげで大したことはできなかった。
やらないよりはマシ程度のものだ。
それでも真面目に取り組んでくれたアイシャ達には感謝しかない。
せめて、他の件で動きがあれば。
間違いなく本人の手に渡っている筈だが、今朝になっても返信はないままだ。
ディロン老人に至っては引きこもってしまったらしい。
開催までの数日間、あの人の姿を街で見かけることはなかった。
予想はしていた。
向こうの都合を考えれば、むしろこうなるのが当たり前。
それでもと抵抗した結果はこの通り。
良くも悪くも動きのない数日間だった。
しかし悲観してなどいられない。
今できることはひとつだけだ。
皆もその気になってくれている。
この期に及んで言い出しっぺが抵抗するなんてみっともない真似ができるものか。
コンディションも悪くない。
存分にやってもらう。それだけでいい。
自分自身に言い聞かせ、強く頷く。
「……キリハのやつ、なんかいつもより気合入ってないか? オレの気のせい?」
「まあ、そういうこともあるんじゃない? キリハ君もそういうお年頃なんだよ、きっと」
「そもそもあいつが言い出したことでしょーが。あいつがやる気出さなくてどーするってんです?」
「……それにしても、張り切ってないか? あいつ」
邪魔者の手出しもないだろう。
確かめられる範囲で確かめておいた。
無論、見落としがないとは言わないが。
そうなったらその時はその時だ。直接的な被害が出る前に叩くしかない。
「……どうしちゃったんですか、キリハさん」
「あいつなりにいろいろと考えてるんでしょ。いろいろ気にしてたみたいだし」
「昨日の夜もちゃんと休んでたから、大丈夫だよ。……それより、私達の方が……」
「なんとかなる、です。思いっきりやるのが一番、ですから」
海沿いの道は人で埋め尽くされていた。
住宅に挟まれた通りとの交差点。
三方にそれぞれ侵食しているせいでもはや道として機能していない。
集合場所の目印に指定された街灯も先端以外はほとんど隠れてしまっている。
以前見かけた漁師らしき青年や、無精髭の男達。
一度立ち寄った食堂の女将の周りにもかなりの人が集まっていた。
見覚えのない顔が大半。
先日のひと気のなさが嘘のようだった。
一体どこにこれだけの人が隠れていたというのか。
加えて俺達のお仲間と思しき集団もちらほら。
周りの様子を心配そうに見ているのは慣れていない証拠だろう。
しかし多いと言っても、先日よりはの話。
バスフェー時のストラの賑わいに比べるとさすがに見劣りしてしまう。
「…………」
ディロン老人の姿を見つけられたのだから、贅沢を言うべきではないが。
参加者の群れの一歩外――俺から見て左手側――にその姿はあった。
隙間から一目見えただけだが、間違いない。あの人だ。
その存在にはヘレンもすぐに気付いたようで。
「やっぱり来てたんですね? あのお爺ちゃん」
「町に長く住んでいるんだ。この手の行事に関わっていないわけがない」
「私達の様子を見に来たってわけじゃなさそうですもんねー」
アイシャ達はおそらくまだ気付いていない。
皆に聞こえないよう声を抑える。
ディロン老人もこちらの存在に気付いているだろう。
ほんの一瞬だったが、目が合った。
驚いていたようには見えない。
感心しているわけでもなさそうだったが。
こちらを一目見て、すぐに正面を向いてしまった。
(言うわけがないか)
引き締まった横顔から内心を読み取るのは諦めた方がいい。
そのまま開会の宣言を待とうとして、ヘレンに肩を掴まれた。
「……あのお爺ちゃん、本当にあんなこと考えてます?」
ディロン老人をもう一度見て、ヘレンは更に顔を近付けてくる。
どう見ても疑いの目だった。
――俺達を疎ましいものとみなしていない。
あの時感じたことをヘレンにもそのまま伝えていた。
可能性のひとつとしてヘレンも受け入れてくれた筈だが……
「理由はちゃんと説明したじゃないか」
「まあそうなんですけど。それにしても、なんだかなー……」
明らかに納得していない顔だった。
何か感じるものがあったんだろう。
あちらから声をかけてこないことくらいヘレンも予想していた筈だから、それ以外に。
「なんか、そういうこと考えてるようには見えないんですよねー。リーダーさんこそ変に期待しちゃってないです?」
「希望的観測だとも。そのくらい分かってる」
「それにしてもなんですけどね」
ヘレンの言うことももっともだった。
あの人の態度から予想しただけ。
根拠はあっても確証がない。
皆には言わなかったが、その先の問題もある。
俺の予想が正しければ、他に誰かいる筈なのだ。
件の島に対して並々ならぬ感情を抱く誰かが。
その人がどのような立場か、今の段階では推測することしかできない。
経緯も何もかもが不明のままだ。
はっきりしているのは、ディロン老人にとって放っておけない人物ということくらい。
一筋縄でいかないだろう。
「こっちのことは諦めて、あの子のことをつついてみません? 信頼するにはいろいろと無理が出てきちゃってるの、分かってますよね?」
そこに手間をかけるくらいならと、そういうことだろう。
……若干の敵意を感じるが。
相性の問題か。
ヘレンのサーシャさんに対するイメージは最悪のままらしい。
ヘレンが我慢ならないタイプの相手でもない筈だが。
比べるのも失礼な連中とは似ても似つかないのだし。
「甘ちゃんなのはいいんですけど、さすがに引っかかるんですよねー。リーダーさんが嫌ならこっちでやっちゃいますけど」
「そこまでしなくていい。お前だって説教されたいわけじゃないだろう」
「マスターもご立腹じゃないです?」
夜のやり取りはヘレンも把握している筈。
ヘレンの個人的な感情が一番の動機だろう。
それを間違っているとは言わない。
サーシャさんを疑う気持ちも分かる。
「それでもだ」
とはいえ、ただちに影響するわけでもない。
「今はこっちを優先しよう。考え事は祭りが終わってからでも遅くない」
「はーい……」
ヘレンには悪いが、もう少し待ってもらうことにする。




