第652話 島と大将
不安のひとつは杞憂に終わった。
これまでの道のりが嘘だったかのように、島の名前を出すとシャーオストに住む人々は何かしらの反応を見せた。
かの島は確かに存在していたのだ。
しかし何もかもが解決したわけではない。
それどころか悩みの種が増えたと言ってもいい。
島の存在は確かめられた。
その名を口にする度に、人々の表情が強張ったのだ。
「やめとけ」
何度目かも分からない答えに、そうですかと愛想笑いで返す。
訊ねた相手が同じような反応を繰り返せばこちらも慣れる。
この調子で総当たりしたところで同じやり取りを繰り返すだけだろうということも。
目の前の紳士がそうだ。
藍色のベレー帽をいっそう深く被って止めるよう促してきた。
上の世代ほど反応が顕著。
例えば目の前にいる髭の紳士のように孫が良そうな世代は、決まって短い忠告を残していった。
世代が下がるにつれて、詳しく知らないと答える人々が増える。
断定はできないが、他も似たような状況だろう。
別行動中のヘレンやレイスと合流して予定を立て直した方がいいかもしれない。
アイシャに視線を向けると、やはり同じ考えのようだった。
「待ちな」
最後にお礼を言って立ち去ろうとして、髭の紳士に呼び止められる。
「あんたら、随分と若く見えるが、どうしてあんな所のことを調べようとしてるんだ」
何をと訊ねる間もなく、威圧の視線が向けられた。
並の魔物のならそのまま追い返せてしまいそうな迫力。
思っていたよりも経験豊富だったらしい。
「知人に、あの島の奥で眠る不思議な存在のことを教えてもらったんです。なんでも意思の強さを確かめる、とか」
隠すことでもない。
そう思って素直に答えた筈が、悲しいくらいに逆効果だった。
紳士の表情は険しくなる一方だったのだ。
「なんだそりゃ。聞いたこともない」
嘘をついているようには見えない。
むしろ、いま疑われているのは俺達の方だろう。
「一度もですか」
「ああ、ないね。どこか他の場所と勘違いしているんじゃないのか」
きっぱりと紳士は言った。
そんなものがあるのならお目にかかってみたいもんだと付け加えて。
絶対にないと、力強く言い切った。
「お詳しいんですね」
「いいや、これっぽっちも。そもそもあそこは大将さんの縄張りだ。手なんか出せるわけがない」
頑なな態度の理由はすぐに分かった。
関わりたくもないといった様子。
その人物に対する苦手意識は相当のものらしい。
「大将さん、というのは?」
ちょっとした興味本位だった。
しかし紳士はしまったと顔を青ざめさせる。
「なし。今のはナシだ。すぐに忘れろ」
「そういうわけにもいかないでしょう」
大将と呼ばれる人物が詳しいことを知っているのは間違いない。
しかし紳士は青ざめた顔のまま繰り返す。
「そうじゃない。親切心で言ってやってるんだ。リーテンガリアの方から来たってことは、知らないんだろ」
「だからこうしてお聞きしているじゃありませんか」
「分からないなら変に探ろうなんて考えるな。素直に言うことを聞いておけ。遠くまで来て嫌な思いはしたかないだろ」
「い、嫌な思い?」
言い過ぎではというのが素直な感想だった。
アイシャも同様だろう。不思議そうな顔をしている。
まるで裏社会の親玉のような言われよう。
余所者の身で否定することなどできる筈もないが、少し引っかかる。
あまりに横柄であれば、隣の町で多少は噂になっていそうなものだが……
「悪いことは言わない。妙なことは考えるな。何もしなけりゃ大丈夫なんだ。いいな?」
「まるで守護者か番人みたいですね」
忍び込んだ不届き者を懲らしめる、そんなおとぎ話。
つい頭に浮かんだフレーズを漏らすと、紳士は震えあがった。
「そんなもんじゃないんだよ……」
ぼそりと呟いた、その直後。
「面白いことを言うな」
低い声が一瞬にして周囲の音を奪った。
姿を探すまでもない。
紳士の後ろを見て、すぐに分かった。
こちらに真っ直ぐ向かってくるひとつの影。
同じくそれを見た紳士は、先程までの態度から一変。大慌てで引き下がる。
「ど……どうも」
「よう、服屋の。元気そうで何よりだ」
「まあ……おかげさまで」
声の主は紳士よりも一回り年上の老人だった。
背丈は俺とそう変わらない。
しかしその雰囲気は引退した老人のそれではなかった。
伸びた背筋に口元から顔を覗かせるたくましい歯。
色素を失った髪もまだ活力を失ってはいない。
引き締まった肉体に、武装を解いた冒険者のように身軽な格好。
後姿を遠目に見ただけなら現役世代と見間違えるかもしれない。
しかし左の頬の古い傷がその可能性を否定していた。
「それで、なんだったか。番人? 守護者?」
こちらを射抜くように見る鋭い目。
紳士のそれすら生ぬるく思える眼光に、服の裾が引っ張られる。
「話を聞いて、ふと。お気を悪くしたのなら申し訳ありません」
「そうは言っとらん」
しかし老人はふっと口元を緩めた。
「まあ、随分いいように捉えたとは思うが」
「お会いしたこともありませんでしたから。……今も、悪い方に傾いてはいませんが」
「ほー……」
値踏みするように老人は俺を見た。
内心などとっくに見透かされているだろうが、知らんぷりを決め込む。
ここで取り乱し足ら向こうの思うつぼだ。
「若い冒険者さんが、どうしてまたティコクレスなんかに」
俺の反応が面白くなかったのか、老人はふんと鼻を鳴らした。
しかし表情は呆れたままだった。
「知人に言われたんですよ。そこに試練を課す者がいる、と」
「とんでもねえうそっぱちだな」
吐き捨てるように、老人は言った。
嫌がらせの出まかせというわけでもないだろう。
「そんなこと……!」
「待った」
今にも食って掛かりそうな勢いのアイシャを左腕で遮る。
言い分は分かるが、説き伏せる根拠など何もない。
「あそこのことは何度か喋らせたが、そんな大層なモノがあるなんて聞いたこともねえ。お友達が勘違いでもしたんだろうよ」
現地に住む人々の方がその土地のことはよく知っている。
大将と呼ばれているこの人もおそらくそれは同じだろう。
しかも島について何らかの権利を持っている人物だ。
その人がここまで言っているのだ。
そういうものと受け止めるのが自然だろう。
「正直、俺もそう思っていました」
何より情報が無さ過ぎる。
「キリハ!?」
アイシャには悪いが、サーシャさんからは情報源についてお話を聞かせてもらいたいところ。
「だったら――」
「ですが」
それはそれとして。
「その上で、お願いします。……上陸の許可を、いただけませんか?」
無茶を承知で頼んでみる。
思いがけない幸運とも捉えられる。
地獄耳ではあるが、俺たちにとっては間違いなく大きな進展。
「駄目だ。なんでどこの誰かも分からんやつを行かせてやらにゃならんのだ」
しかし、老人の答えは予想していた通りのもの。
「……ですよね?」
「分かってるなら聞くな」
しつこく頼んだところで、首を縦に振ってくれるとは思えなかった。




