第651話 海沿いの町
道を覆う程の深い緑に、小さな切れ込み。
緩やかな上り坂の頂上まであと少しというところで速度を上げる。
そうして駆け上がった先で、波打つ青をとうとう見つけた。
「わぁあ……!」
まるで浮かび上がるように姿を見せた光景に誰かが声を漏らす。
初めてだったのだろう。
アイシャもユッカもリィルもマユも、揺れ動く水面にすっかり心を奪われているらしかった。
丘から見下ろす海はひたすらに青かった。
果てなど見える筈がない。
ラ・フォルティグさえ易々と呑み込んでしまうだろう大海に俺も言葉を失った。
長い道のりだったが、来た甲斐はあった。
もっとも、観光を楽しんでいる場合ではなかったりもするのだが……
「噂には聞いていたけど、それ以上だねぇ。どうせなら町でゆっくり過ごしたかったなぁ」
まさに今思っていたことをレアムがもらす。
息を呑むほどに綺麗な海だった。
世が世ならリゾート施設が出来上がっていただろう。
「やりたきゃやるといいですよ。すぐに金が吹き飛ぶでしょーけど」
「だよねぇ」
海沿いの町、シャーオストはその地形を生かし、港町として栄えているらしかった。
積み下ろしが主と言ってもいいかもしれない。
今の時点でも比較的物価は高いと聞く。
特に肉や野菜。
海路で運ばれてくるのは基本的に他の町へ運ぶための商品。
この町に集まるのは証人と取引するための品々。
近隣の町とは微妙に離れ――最寄りの町から徒歩で最低10日の距離――しかも主に行き来する便は富裕層向けのものも少なくない。
わざわざこの町から遠くを目指す冒険者も多くなく、備品でさえ高くついてしまうそう。
「今じゃなくてもいいでしょ、そういうのは」
他に候補地がなかったのかと言いたい気持ちは少なからずあった。
無論法外な値段を請求されるわけではない。
そういう店が皆無とまでは言えないが、他の町とてそれは同じこと。
本格的に手遅れな場所であれば、このような形で訪れはしない。
「行こうぜっ、早く!」
嬉しそうな表情を見られただけでも十分だろう。
余計な考えは一旦捨てて、小走りにレイスを追う。
町へ近づいていく中、ひたすらに青かった中に小さな点を幾つも見つけた。
帆船だろう。
聳え立つ三本の塔と、それに垂直に交わるような白。
大海原の中でもはっきり存在感を放っているということは、見上げるほどの大船に違いない。
無論それだけではない。
目を凝らしてみると、海との境目にいくつも船が浮かんでいるのが見える。
下り坂になった道を進めば進むほど、船の姿が鮮明になっていく。
どうやら波に揺られているらしかった。
さざなみの音を聞きながらの生活、なんて考えは普段の生活で海に縁がないからこその発想だろうか。
先ほどとは別ベクトルの余計なことを考えながら坂道を下っていくと、やがて先の道が石畳に乗っ取られ始める。
それにつられて木造や石造りの建物がその密度を増していく。
道が平らになる頃にはすっかり町の中へと取り込まれてしまっていた。
外壁が見当たらないのは他に警戒すべき相手がいるからか。
隣の町からここへ向かうまでの間、陸で魔物に襲われたことは一度もなかった。
それどころか《小用鳥》を用いても巣のひとつさえ見つけられなかった。
魔物が存在しないというわけではないだろう。
水中での活動に適応した魔物が存在していることは確認済みだ。
この区域にも当然、それらは出没する筈。
専用のトレーニングでも行っているのだろうか?
当然のように拠点を構えている協会が一枚噛んでいてもおかしくない。
かの組織の政治力が強いのか、はたまた別の理由があるのか……
「サーシャさんもどうせならもっと詳しく教えてくれたらいいのにね? この町で改めて手掛かりを探せ、なんて言わずにさ」
「手掛かりを探す能力も含めて、ということだろう。情報が少なすぎるとは思うが」
協会でも知っている人は知っていると、サーシャさんは言っていた。
しかし現時点で、手掛かりらしい手掛かりは何もない。
立ち寄った町で聞いても全くと言っていいほど手掛かりを得られなかった。
シャーオストに近付いてもそれは同じ。
さすがに付近の町なら何かしらの情報は伝わっているだろうと踏んでいたが……
無論ストラを発つ前ルークさんやリットにも訊ねてみた。
しかしあの2人でさえ反応に困っていたのだ。
「……そこの手出しは、お咎めなしか」
「あの人のことだ。協調性を鍛えさせよう、なんて思っているんだろう」
「それは前からやってくれてると思う、ですけど」
「納得してないんじゃないですか? サーシャさん、そういうところあるじゃないですか」
「あ、あははは……どうなんだろうね?」
そういった経緯もあり、協会を真っ先に目指してはいたが、さほど期待もしていなかった。
宿を見つけられるのなら最悪それでも構わない。
1日2日で解決する保証もないのだ。
もしもの策を考えておく必要だってあるだろう。
どうしたものかと左を見て、リィルと目が合う。
「言っておくけど、アレはやめなさいよね」
「アレ? ……ああ、アレか」
……何故か検討すらしていなかった方法に禁止令が下された。
しかも満場一致。
皆もわざわざ頷かなくたっていいじゃないか。
「飛び方がめちゃくちゃだからでショ……」
嘆きを読みとったのか、胸の辺りからぼそりと一言。
腰からは心底愉快と全身を震わせる無礼者の笑いまで流れ込んでくる。
いつもなら利点を訴えるところだが。
「そんなことをしても意味がない」
今回に限っては見当違いもいいところ。
そもそも海上飛行というものを甘く見過ぎだ。
どこにあるかも分からないものを目指して飛ぶことになる
一時休止の足場も期待できないのにやるべきじゃない。
しかもここは港町。
当然、不審物への警戒は厳しいだろう。
追いかける手段も充分にある。
海上から集中砲火、なんてことになりかねない。
自ら火種を作るような真似などできるものか。
とはいえ。
(一体、どこにあるんだろうな……ティコクレス島は)
歯がゆい気持ちも、あるにはあった。
サーシャさんによってえらばれた試練のひとつ。
その舞台となる島は聞いたこともないような場所だった。
リーテンガリアの外にあるということも理由のひとつではあるだろう。
しかしそれを差し引いても記録に乏しい。
というか、皆無と言っていい。
レティセニア行き以来となる国外への旅は短くなかった。
幸い、その間に事件と呼べるような出来事はなく、また魔物の出現も平均的な範疇に収まってくれていたおかげで慌てることもなかったが。
結果的にはこの通り。
肝心の目的地の手掛かりさえろくに集められない。
「そういえば、随分前に……」
道中、店の老人から聞いた話がなければ、色々と考えるところだった。




