第636話 異界の挑戦-⑥
刃がまた空を切る。
少し低い位置を狙っても起用に躱してきた。
崩れ落ちるどころか、叩き潰されるような勢いで。
「《渦炎噴》」
呟き、逃げ出す布の蛇に炎を浴びせる。
自分自身を中心とした半径5メートルほどの小さな円。
灼熱によって地面に刻まれた円の内側は、たちまち渦のような炎によって焼かれた。
無論、俺自身も含めて。
渦い魔力の膜で覆ってなければきっと服は使い物にならなくなっていただろう。
めまいを覚えそうな暑さがその感覚を裏付ける。
自ら地に伏したローブを逃さないためとはいえ、褒められた方法ではない。
リィルが知ればお説教は確実だろう。
「《刈翔刃》」
雑念を捨て、空中のローブへ空飛ぶ剣をけしかける。
一見、炎の勢いに逆らえないようにも思える。
されるがままになっているように見えるのだ。傍目からは。
しかし全くと言っていいほどにダメージを受けていない。
傷というものがまるで見当たらないのだ。
(またなかなか上等な)
ローブそのものに仕掛けてあったらしい防御機能に思わず感心しそうになる。
外見に変化はない。
ただ、魔力同様、肉眼で見えない力によって明らかに守られている。
しかもだ。
「予備まであるとは、なかなか準備がいいじゃないか」
背後の炎を切り裂き飛び込んで来た剣を受け止める。
そこに在ったのは、宙で焙られているローブと同一のもの。
無駄な上品さまでそっくりそのまま。
違いがあるとすれば中身の有無、その一点。
炎によって舞い上げられた側には心臓を担うそいつがいない。
1着目に押し付け、器用に脱出したのだろう。
着替えた後で使うかもしれない力をあえて残してまで。
(多芸なことだ)
嘆息と共に剣を弾いて炎を収める。
今度は力負けした剣が宙を舞い、支えを失った2着のローブは緩やかな落下を始める。
「《解砲魔光》」
見守ることなく、正面に突き出した左手から光を放った。
崩れかかっていたローブが慌てて持ち直し、一気に力を高めて受け止める。
大きく押し出したが、仕留めるには至らない。
徐々に遠ざかっていくだけで、しっかり形を保っている。
腕を交差し、堪えようとしているようにも見えた。
肉眼で見える筈などないのだが。
なんににせよ、やはり本体はまだそこにいる。
強い風にあっけなく吹き飛ばされてしまいそうなローブに隠れながら光線を耐え、踏みとどまろうとしている。
そんな輩がこのまま大人しくやられてくれる筈もなく。
「《氷壁》」
一直線に突っ込んで来た剣を氷で作り出した鞘に仕舞い込む。
うっかり抜けてしまわないよう、厳重に。
ローブの端が触れた途端にそいつは飛び起きた。
本体が何かしたのだろう。
ローブの内側でも今も踏ん張っているそいつが。
(我慢比べを続けても損、か)
もうしばらくは耐えそうなそいつの様子を見て魔法を止める。
押し切れそうで押し切れない。そんな、微妙なライン。
こいつを相手にただ魔法を浴びせても効果があるとは思えない。
結果を出すより、周囲に余計な被害を出してしまうのが先だろう。
学習した能力を共有されないよう潰しておいたとはいえ、あえて危険な道を突き進む理由はない。
「……なにもしてきませんね」
木の陰から顔を覗かせ、ユッカがほっとした様子で言う。
巨大な剣を呼び出した黒衣はそれきり動きを止めていた。
様子を伺うべく冒険者たちがその姿をさらしても、一切攻撃を仕掛けようとしなかった。
黒い布地をはためかせ、静かに浮かんでいた。
その状態が先程からずっと続いている。
というのも、冒険者側が様子を探る以上の動きを取っていないからだ。
冒険者達は固唾を呑んでその様子を見守っている。
好機なのではないかと思いつつも、踏みとどまっていた。
巨大な斬撃を見てしまった以上、迂闊な攻撃はできない。
回避が間に合ったからこそ警戒していた。
先程の展開を繰り返すとは限らないのだ。
周囲への被害も小さかったとはいえ、広範囲を巻き込む攻撃であったことに変わりはない。
町まで届くのではと叫んだ者も居た程だ。
そちらについては杞憂に終わったものの、冒険者たちが手出しを止める理由としては十分だった。
先程のものを上回る威力となった時、止める術がないのだ。
(なんか、見張られてるみたい)
沈黙を保つソレの様子を見て、アイシャはふとそんな印象を抱く。
そのようなことがある筈もないのだが。
自分たちの動きを見られているような、そんな気がしてならなかった。
(そんなことする必要、あるのかな?)
しかしそうだとしても、その理由が浮かんでこない。
アイシャを含めた十数名の冒険者がこの場に集まったのは、町の外で奇妙な何かがいると知らされたから。
透明な魔法使いが現れなければきっと、ここまでの人数が集まることもなかったに違いない。
自らおびき出すような真似をしておいて、見張るだけなんてことがあるだろうか。
(聞いても、答えてくれないよね。きっと)
訊ねるようとして、結局やめた。
言葉を発していた記憶がアイシャにはない。
それどころか今に至るまで、反撃以外の行動を見せていない。
もし言葉が通じたとしても、訊き出せる自信がなかった。
そのような相手と対峙した経験がほとんどないのだ。
ユッカやマユもきっとそうだろう。
キリハのようにあの手この手で聞き出すなどとてもできない。
(キリハの方も、大変なことになってるみたいだし……)
未だに姿を見せない彼の方へ、つい意識が向いてしまう。
キリハが町の外にいることにアイシャは気付いていた。
今のアイシャがそうだと確信を持てるほどの力を行使していた。
近くはない。
むしろ逆方向と言っていい。
キリハも戦ってる。おそらくヘレンも。
噴き出た炎を見てアイシャの予感は確信に変わった。
一部の者は炎の勢いに驚いていたが、様子を察した者達が他にいたこともあってすぐに落ち着きを取り戻す。
その時、大した技量だと賞賛され自分のことのように嬉しかったが――生憎、今はその余韻に浸っている暇もない。
「何か気づいた、ですか?」
「へ?」
考え事の最中に背後から声をかけられ、思わず間の抜けた声を返してしまった。
しかしマユがその点について触れることはなく、そのまま落ち着いた様子で繰り返す。
「あの黒いの、何か気になってる、ですか?」
確信を持っている様子だった。
同時に、期待を寄せているようにも見える。
「気になってるってわけじゃ、ないんだけど」
そんな視線を向けられたからだろうか。
「どうして見張ってるんだろうなって」
気付けばアイシャは、その違和感を口にしていた。
「なんか、見てるとそんな気がして。私達のことを追い払おうともしないし……」
言葉にして、改めて奇妙と感じた。
(でも、どうやって――……え?)
ある可能性がアイシャの頭に浮かんだのは、幸運な偶然と言えよう。




