第632話 異界の挑戦-②
「……これを俺に?」
帰ってきたユッカ達に渡された便箋を見て、つい聞き返してしまった。
初対面の男が俺当てに残していったという一通の手紙。
黒い便箋に、ささやかな金の装飾。
それそのものは一見、どこかの富豪が寄こしたように思えなくもない。
「知り合いじゃない、ですか? 向こうはキリハさんのこと、知ってたみたい、ですけど」
「いや……どうだろうな」
問題は一切身に覚えのないものということだった。
知り合いであれば協会を通じて手紙をよこすだろうし、何よりユッカ達に渡すだけ渡して姿を消すというのが分からない。
宛名はなく、筆跡を頼りに差出人が知り合いか否かを判断することも不可能。
封に使われているのが蝋でないということくらい。
「誰か昔の知り合いを忘れでもしたんじゃねーです? ヘレンみたいにこっちに来たのに気づいてないとか」
「昔の……む……?」
イルエには悪いが、向かいの知り合いというパターンは基本的に考えなくていいだろう。
可能性があるとしたらイリアだが。
気まぐれにしてもこんな不可解な真似はしない筈。
「どうしたのよ。気になるなら開けちゃえば? 中身を見たりなんかしないから」
「別にそこまで気をつかってもらう必要は」
しかし中身を判別できないようにしているというのは引っかかる。
ただ便箋をやたらと厚くしているわけではない。
明らかに妙な力で阻害している。
透かして見ても、擦っても分からない。
中身が紙なのかどうかさえ、外から見分けることはできなかった。
(手の込んだことを)
何を思ってこんなことをしたというのか。
そもそも、どうやってここまでのものを作り上げたのか。
しかも中身が分からないことに違和感を持たせないよう意識を逸らすおまけつき。
「そういえば……キリハさんのファンって――」
「なるほど、悪意か」
そんな疑問は、ユッカがもらした一言のおかげでたちまち解消された。
「なんでそうなるんですかっ!?」
何やら驚いているが、どうしたのだろうか。
ヒントをくれたことに感謝しているというのに。
ユッカが思い出してくれてよかった。本当に。
「あんたねぇ……」
「そんなこと言わなくてもいいと思う、ですけど」
しかしいまひとつ納得できないのか、リィルもマユもやや咎めるような視線を向けてくる。
確かに、これがエルナレイさんなら話は変わるだろう。
ナターシャさんが受け取ったのであれば、俺もそんなことは考えない。
「ひとつ思い出してほしい」
しかし、しかしだ。
「前にあちこちを引っ掻き回した挙句、ラ・フォルティグまで呼び出したあの男はどうだった?」
俺に、天条桐葉に宛てたものだというなら話は変わる。
「どうって……」
「キリハさんはすごく怒ってた、ような」
一体あれのどこにそんなものを見いだせる要素があるだろうか。
当時最も近かった人達でさえ、頷きはしないだろう。断言してもいい。
もし俺のファンを自称して何かを寄こす輩がいるとしたら相当歪んだ認知を持っているか、俺自身への悪感情を抱えた上であえて名乗っているかの二択しかない。
「そういうことだ。あの男のような輩がまだいると思うと嫌にもなる」
「まだ分からないでしょ、それは」
しかしまだリィルには納得してもらえなかった。
言いたいことはもちろん分かる。
が、自分を相手に肯定的な評価はできない。
今回のそいつも、天条桐葉について知っているとみていいだろう。
忽然と消え失せたという事実と、便箋にかけられている認識疎外の効果。
これらはどちらも、いわゆる魔法によるものではない。
無論この世界のものでないと断定することまではできない。
が、しかし、この世界での出来事以外について一切知らないのであれば、俺の他にいくらでも興味を向けるべき相手はいるだろう。
わざわざ俺に宛てるということは、そういうことだ。
「とにかく読んでみなさいよ。それからでも遅くないでしょ」
「読んだところで変わるとは思えないが……」
「いいから」
とはいえこうして駄々をこねたところで、リィルが諦めてくれるわけもなく。
諦めて封を切ってしまうことにする。
果たしてどんな怪文書が飛び出すやら――……
「…………」
……まだ、怪文書の方がましだった。
開いたその瞬間に分かってしまった。
何かあるとは思ったが、そもそも手紙の見た目をしていないとは予想外。
(意思を伝えるという意味なら、これ以上ないくらいに適切かもしれないが)
こんなものを仕込んでおいて、ファンを名乗るとは。
悪感情の持ち主にしても、なかなかにいい性格をしている。
ざっと見た限り、持たされている機能はひとつ。
当然、文書や映像の記録・再生などではない。
ユッカ達に作用していないだけまだよかったと受け止めておくべきか。
「き、キリハさん?」
というのも。
「挑戦状だ」
「……はい?」
この手紙は、俺をどこかへ呼びつけたりするためのものではない。
「ある意味そうと言うべきか……少なくとも、好意的なものじゃない」
「……まあ、あんまり穏やかじゃないかもしれないけど」
ここへ来てリィルも少し揺らぐが、実際にはリィルが思っているような生易しいものではない。
「そんなに気に入らないならコテンパンにすりゃいいでしょーが」
「悪くないな」
俺が頷くと、言い出したイルエまでもが驚いていた。
その反応が正常だろう。
いくら金属の板とはいえ、まさかこんなものが仕込んであるなんて予測できる方がどうかしている。
「対象の情報を盗むとでも言えばいいのか。……ただ知りたいというだけなら、こんなやり方をする必要はないだろう」
言いながら、幾本もの細い線が刻まれた銀を握りつぶす。
対象へ負荷をかけるものだというのは間違いない。
そうでもなければ鉛を乗せられたような感覚に襲われたことに説明がつかない。
俺が跳ね返すことを想定していたにしても。
わざわざユッカ達に手渡した件については、徹底的に問い詰めてやる。




