第62話 遠く離れた地点から
「……なにもいませんね」
出口を繋ぎ合わせた一室を制圧してから四日。
未だに最深部へ辿り着けずにいた。
逆に、魔物との戦闘もあれ以来一度もない。
それでも地図になっていないエリアに到達している以上は慎重に進まざるを得なかった。
散開させた《小用鳥》達もめぼしい情報は手に入れられないまま。
「……っ、ぅ……」
最初の予定とは何もかもが変わってしまった環境でストレスを感じない筈がない。
それらは当然、疲労にも繋がってしまう。
「今日はそろそろ終わらせましょう。これ以上の探索は判断力を鈍らせかねません」
「あなたが言わなかったら私が言おうと思っていたところよ。次の部屋がよさそうね」
「引き返すよりは近いかと」
魔物がいないことは確認済み。
足を踏み入れてもいきなり背後に幻影が映し出される事はなく、ただ何もない空間がそこには広がっていた。
あの触手の塊がいた部屋に比べればかなり狭いが俺達全員が横になってもまだそれなりに余裕はある。
「リィル。よかったらこれを」
「ぁ……ありがと」
窮屈な思いをしないだけでもそれなりに気分は楽になるだろう。
少しでも疲労回復の助けになってくれることを願うばかり。
「……悪いわね。気を遣わせちゃって」
「お互い様だろう。それに、皆が平気そうにしていてもどのみち今日の探索はそろそろ切り上げるつもりだった。リィルが気に病むことじゃない」
もう少し何かあれば。
あらゆる消耗を全て打ち消す秘薬など存在しない。
精々水分を切らさないことくらい。
それでもこれだ。
多少気を休める魔法もあるにはあるが、現状気休めにしかなっていない。
アイシャもそう。
戦う機会こそないが、定期的に魔法を撃ってもらって魔力の流れを整えている。
休憩の回数を増やすか相談していなかったわけではなかった。
時間を延ばす形を採ったのもその結果だった。
いつまでもその方法でどうにかなるとは思っていない。
「ちょっと待って。さっきの水あんたの水筒から入れたんじゃないでしょうね? 自分の飲み水は?」
「それならそろそろ――ああ、噂をすれば」
俺が残りを全て渡したところでリィルが納得しない事くらい分かっている。
全体で見ても飲み水の残量は少し心許ない。どう転ぼうと必要なことだ。
「……何よこれ」
「近場の水源から少し。《駕籠》の魔法は知っているだろう? 言ってしまえばあの応用だ」
「器用ねほんと……」
丁度いい容器でもあればそれを使いたかったが、手元にあるのは精々な髪が中途半端に残っている水筒くらい。
それなら魔力で上手い具合に入れ物を用意した方がいい。
とりあえず手を洗ってから少しすくって――
「ちょっ、いきなり飲む気!?」
「飲めないようなら他の水場を探す必要があるだろう? 特に妙なものは混じっていないようだし、リィル達が飲めるかどうかの判断くらいは俺でもできる」
「そういう問題じゃないわよ!? 誰か止めて! こいつどこから取ってきたか分かんない水飲もうとしてる!」
「はい!?」
別に水源くらい把握して――いるのは俺だけか。
直接見たわけでもない。問題しかなかった。
とはいえ誰かが飲まない事には判断できない。
そんな役目を皆に押し付けられる筈もなく。
「大丈夫。念のため水の精に見てもらったわ。ちゃんと飲める水みたいよ?」
「なら、いいんですけど……」
精霊にもなると水質を見分けるくらい造作もないらしい。
水を浄化する能力があると言われても驚けそうにない。いざとなればそのくらいはできるだろう。
「確かにこの水なら大丈夫そう、です」
「……マユちゃんの水、まだ残ってなかったっけ……?」
「? まだある、です」
「なら急いで飲まなくてもいいでしょ」
……俺もマユに何か言える立場ではなくなったかもしれない。
得体の知れないキノコを食べようとしたのと傍から見れば大して変わらないだろう。
検証を急ぐ必要がある事を差し引いても。
とにかくこれで一番の問題は片付いた。
魔法の水は基本的に摂取するものではない。
体調を崩すどころでは済まないという話も何度か聞いた。
(あとは元凶の討伐……ではあるが)
未だに場所が分からない。
まさか《小用鳥》に気付いて姿を隠したわけではないだろう。
それらしい広間すら見つかっていない。
可能性があるとしたら今《小用鳥》を待機させている水源。
しかし他が全て生き止まりということにでもならなければ……
「? なに描いてるの? 地図?」
「ああ。今のうちに整理しておこうと思って。と言っても、大雑把に描いただけのものだが」
「真っ直ぐの道が多いんだね……?」
「そういうところも含めて『大雑把』な地図しか作っていない。行き止まりかどうか確認するだけならこれで十分だ」
正確な地図は[ラジア・ノスト]か、後日ここを訪れるであろう冒険者にでも任せておけばいい。
こんな事件があった後でそのまま解放されるかは分からないが、協会も永久放置はしない筈。
「本当に広いんだね。私達が歩いてない道がこんなに……」
「そういう場所の偵察も《小用鳥》の強みの一つだ。この中のどれかが上に繋がるようになっている筈なんだがそれもさっぱり――……っと……」
「これでしょ。一人で何枚も書き過ぎなのよ。まったく」
「ああ、ありがとう」
もし[ラジア・ノスト]が帰還しているようなら《小用鳥》を壊すようレイス達にも頼んである。
道中トラブルがなければそろそろレイス達は戻って来てもいい頃。
それでも連絡がなないということは、未だに状況は変わっていないのだろう。
合図に使うのは監視役とは別の個体。
色もオレンジに調整しておいた。見間違えることはないだろう。
「……ん?」
そもそも未だに一羽も潰されていない。
本来は視覚の完全共有も視野に入れていたらしいが、俺が手にした資料の中にその完成形らしきものは影も形もなかった。
「ねえ、ちょっと」
何か気になることがあったらしい。
こちらを見ているようで意識は手元の地図に向けられていた。
「今あたし達がいるのってどの辺り? どのくらい進んだかちょっと知りたくて」
「ここだ。ほら、この赤い点。直接歩いた道と休んだ場所は一応メモしておいたが……それがどうかしたのか?」
「別に。大したことじゃないわよ」
魔物の出現が途絶えた状態の記録がどの程度役に立つかは分からないが、休息の目安くらいにはなるだろう。
部屋を円で。道を線で。本当に簡素な地図だ。
「あ、そうそう。もう一つ聞いておきたいんだけど、さっき言ってた泉は?」
「っと……ああ、これだ。この楕円。正確な形状まではさすがに測定していない」
「そこまでしなかったからって誰も文句言わないわよ。……ところで、昨日休んだ場所は?」
気のせいだろうか。
どことなく不穏な空気が漂い始めているような。
特段恐ろしさを覚えるようなものではない。
ただ一瞬、ほんの一瞬だけ返答を躊躇いそうになる程度のもの。
それに近い感覚を俺はよく知っていた。
「全部描いてくれてるんでしょ? 分からないなら貸してよ。探すから」
「いや、そこまでしなくても――」
「多分この辺り、です」
一歩遅かった。
こっそり後ろで他のメモも捲っていたマユが指差したのはまさに昨日、宿泊地に決めた場所。
歩いた記憶から辿ったのだろうか。それにしてもこんな短時間で。
「……ふーん」
が、今はそれどころではない。
目が、リィルの目が彼女の内心をほぼ全て語っていた。
言い訳の余地などある筈がない。
「これ、もしかして今日歩いた距離より……」
「そういうこと。まったく、どうやってこんな距離運んだんだか」
「無茶苦茶、です」
その地点に《小用鳥》を待機させているからできたことだった。
目視できない程離れた地点で魔法を発動させようと思ったところで馬鹿正直にやれば形にもならないのは明らか。
非効率の極み。それなら《加速》で直接向かった方が確実。
「あんまり偉そうなこと言える立場じゃないけど程々にしなさいよ? さすがにやり過ぎ」
「……言われると思った」
こればかりは白旗を上げるしかなかった。
トーリャにも以前同じことは言われた。それを忘れたわけではない。
この程度で今更疲れたりはしない。
ただ、仮にそう言ったところで『そういう問題じゃない』と返されるのがオチだろう。
突然《小用鳥》の反応が途切れることもある。……丁度、今のように。
(潰された? 今更? しかもこんな近い位置で……)
まさか。
嫌な予感が全身を駆け巡る。それを裏付けるように衝撃が近付いていた。
「そ、それよりほら! 明日どっちに行くか決めようよ。キリハのおかげで行き止まりも――……キリハ?」
「静かに。何かが来る」
真っ直ぐこちらへ向かっているわけではない。
だからこそ余計にたちが悪い。下手に動けば逆に直撃しかねない。
「何か、ですか?」
「正体までは分からない。ただ、この音……」
「巨大な何かが戦っているみたい、かしら?」
ああ、その通り。それしか考えられない。
「では、エルナレイさんも」
「これだけ派手に暴れてくれているんだもの。分からない筈がないわ」
「……悪かったですね分からなくて」
「ユッカさん達の話ではなくてね?」
「その発言もどうかと」
なんて、言っている場合ではない。
「――伏せろ!」
激闘の余波はすぐそこまで迫りつつあった。




