第6話 おっちょこちょい
「気を付けてね~」
アイシャの母親――アイナさんに見送られる頃には柔らかい赤が空にかかりつつあった。
時間的にはおそらく本格的に込み合う前。
俺としてはありがたいが、だからこそ急かしてしまったのではないかとも思ってしまう。
「本当にもういいのか? そこまで休めていないようにも……」
「だ、大丈夫! 大丈夫だから!」
まあ、そこまで言うなら。
顔色は悪くない。予定通り登録してすぐ帰ればいいか。
「それより、えっと、さっきのって……」
「当然本気だ。アイシャが嫌でなければ」
「……いいの? 私本当に下手だよ?」
「その話は聞いた。勿論気持ちは変わっていない」
「キリハが思ってるより酷いと思うけど……」
……この自己評価の低さ、おそらく自身の能力を正確に把握しているからだけではない。
確かに俺が想像している以上なのだろう。悩み苦しんできた期間や、気持ちの大きさは。
「……それなら少し、昔の俺の事でも話そうか。例えば炎弾一つまともに作ることができなかった、とか」
肝心な部分を伏せたままかつての過ちを語り出したのは、そんなアイシャが何かほんの少しでも前向きに考えることができたらと思ったからだった。
今までだって努力を続けていた筈。正直、余生なお世話だと自分でも思う。
「…………へ?」
「どうしようもない程に魔力が少なかった。水滴のような量の魔力だ。当然、炎弾なんて作れるわけがない」
熟練者であればその限りではない。
だが、ドのつく素人だった当時の俺にそんな技能が備わっている筈もなかった。今でさえ変換効率がいいとは言えない。
「嘘だよね? え、嘘でしょ? いいよ、そんな私のために嘘なんてつかなくても……」
「励ますつもりで嘘をつくならもっと現実味のある話にするとも。とまあ、それでも今ではサイブルくらいならまとめて倒せるようになったわけだ」
そこまでの紆余曲折は話すと長い。ひとまず横に置いておく。
「だから、魔法が使えないという気持ちも少しは分かるつもりだ。……俺に、手伝いをさせてほしい」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……キリハさっき魔法なんて使ってたっけ? 全部剣で斬ってなかった?」
「あの剣が俺の魔法だ。いつでも作り出せると言った理由もそこにある」
「いつでも? なんか、すごい魔法だね……?」
「同感だ。勿論、あの魔法だけで戦っていたわけじゃない。他の魔法もそれなりに扱えるから安心してくれ」
あの状況、炎弾を放り投げるべきだったか。
まあ過ぎたことは仕方がない。今日は無理でも直接見てもらった方が早い。
「待って。それって結局魔力が足りなかっただけ、だよね。私とは全然……」
「確かに問題の部分はかなり違う。それでも可能性としては悪くないだろう? まともに魔法が使えない状態からそれなりの力を得た実例が目の前にいる。……まあ、あまりいい例とは言えないが」
「ど、どうして? そんなこと言わなくても……さっきだってあんな簡単にサイブルを倒してたのに」
「悪い、誤解させた。剣を握って敵陣に突っ込む魔法使いなんてとんだ物好きだろう? アイシャの目指している形とも離れてくる。あまりあれは参考にしない方がいい」
「あ、そっち? それはそうかも。私はあんなことできないと思うし」
それともう一つ。かつての俺と同じようなやり方では将来確実に身体を壊す。
間違ってもアイシャにそんな経験をさせるわけにはいかない。これは俺の意地だ。
「でもキリハも変なこと言うね? 自分でやってることなのに。ふふっ」
「ただでさえこの町では変わり種だ。今更おかしなところが増えても問題ない」
自分で言ってもさほど悲しくはならない。ああ、決してそんなことはない。
「そうだ! 折角だから後で見せてほしいな。キリハの得意な魔法。さっきの剣以外だよ?」
「勿論、と言いたいところだが……いくらなんでも今日は駄目だろう。アイナさんが言っていた事、まさか忘れたわけじゃないだろう?」
「……聞いてないから覚えてない」
「その言い訳はさすがに無理がある」
既に日は傾きつつある。登録にどのくらいかかるか分からないが、今から門の外へ出るのはあまりに危険だ。
衛兵所を出た時と比べると、町の中を歩く顔ぶれもかなり変わってきている。
さっきまでは私服姿が多かったが、今では鎧やローブを纏った少人数のグループがほとんど。ああいう人達を冒険者と言うのだろう。
それでも全体の人数が減っているのは時間帯の問題か。もう少し経てば冒険者の集団が増えるに違いない。
「……ちょっと急ごっか」
「だな。混む前に済ませた方が良さそうだ」
「もう少し後の時間は帰ってきた人達でいっぱいになるからね」
余り遅くならないようにとアイナさんからも言われている。
あと、無いとは思うが余計な口を出されたくない。
「――あそこが修繕屋さん。前に行ったらこのローブも丁寧に直してくれたんだよ。あと、あっちは――」
道中、アイシャの案内を聞きながらストラの町を眺める。
できる限り反応しているが、アイシャの話すペースが早い。とにかく早い。
そうこうしている間にも中心部に近付いていったが、建物の外装の質に大きな変化は見られない。
他に見たものといえば噴水のある広場くらいか。待ち合わせの場に最適なのか、それなりに人もいた。
やはり第一印象と変わらず居心地のよさそうな町だと思う。
殺伐とした雰囲気は、やはりない。そんな中を歩く。
「――それで、ここが冒険者協会の建物だよ。どう? 大きいでしょ?」
そうして連れてこられたのは圧倒的な存在感を放つ白塗りの建物だった。
剣と盾が交叉するように描かれた藍染の旗が掲げられていた。縁取る金色が日の光を受け微かに煌く。
それに周囲の建物と比べて規模がまるで違うのは明らかだった。予想していたよりも一回りは大きい。
周囲の店舗配置からして町の中核を担っているのは間違いない。位置的にもほぼ町の中心だ。
やはり冒険者協会という組織はそれだけ強い力を持っているらしい。会員証が身分証明に使えるのも納得がいく。
「あ、ああ。……というかちょっと大き過ぎるくらいじゃないか、これ?」
「そんなことないよ? 大きな事件があったらここに逃げ込むことになってるの。だから建物も頑丈に作ってあるんだって」
「なるほど、道理で……」
「なんて、全部おじさんの受け売りなんだけどね」
他の国でも同じような扱いを受けているのであれば、余計に気をつけなければならない。
ここまでとなると最早どちらが上なのかも分からなくなってくる。
「キリハ? 手続きしに行かないの?」
「いや、行く。……あまりの大きさについ圧倒されそうになった」
「そんなに? さっきはあんなこと言ったけど、協会はどこもこんな感じだよ。アーコだともっと大きいし」
「単純に街の規模が大きいから、というわけではなく?」
「それもあるけど……この辺りだと特に大きいから、色々必要なんだって」
なるほど納得。……さすがにそろそろ中に入ろう。
奥の酒場からは大きな笑い声が聞こえてくる事はなかった。
受付カウンターに数人と、紙が貼られた木板の前に四人。おそらく同じチームだろう。
他にはテーブルに腰かけたジョッキを片手にした男がいるだけだった。おかげで中は随分と静かに感じる。
さすがにもう少しは集まっているものだと思っていたが、そうでもないらしい。
「ほら、こっちこっち。――すみませーん!」
アイシャに促されるままカウンターへ。さっきより押しが強いのは気のせいではないと思う。
「……ようこそ」
対応してくれたのは協会の制服と思われる――胸部に外にあった旗と同じデザインの刺繍が入っている――衣装を身に着けた青年だった。
眼鏡の奥の瞳は半開きで、どことなくボーっとしているような印象を受ける。争い事などとても起こしそうには見えない。
だが宿した魔力は桁外れだった。
他の受付担当の人達どころか外の冒険者達すら明らかに上回っている。魔力の乱れもない。
「……どういったご用件でしょうか?」
「登録です。それと、衛兵所でこれを持って行くようにと」
「……少々お待ちください」
書類に一通り目を通すと受付の青年はそれを手に奥へ姿を消した。ふらついたまま。
魔力より健康の方が心配になる。いや、余計なお世話か。少なくとも酒の匂いはしなかった。
「……こちらに触れてください」
間もなく戻ってきた彼はどこか怪しげな水晶玉を抱えていた。
カウンターに置かれたそれは独自に魔力を放っていた。薄紫の表面に映るのは俺。
(……やはり若いな)
少なくとも二〇代後半には到底見えなかった。
おそらく高校生の頃が一番近い。ガルムさんの見立ては正しかったわけだ。
「どうかされましたか?」
「いえ、何も。すみません。すぐに済ませます」
手を触れたその瞬間、全身を何かが駆け抜けた。見れば水晶玉が淡い光を帯びている。
青年が掌大の木の板を近付けると細い光線が放たれ、木片を削りながらあっという間に文字を刻んでいった。
一分にも満たない間の出来事。その技術には舌を巻くばかりだった。
「……どうぞ、こちらを」
感謝の言葉と共に受け取った会員証。
ただの木の板のように見えたそれはすっかり姿を変えていた。
俺の名前と、八の文字。そして右下には九一三五二と記され、その隣には『仮』とある。
しかもただ文字を書き記したわけではなかった。
他者に読み解かせるつもりがないのかと思う程に複雑な術式が施されているのだ。
それ程のものを、たったあれだけの間に。
プレートの方にあらかじめ手が加えられているとしても凄まじい事に変わりはない。
「大切な物ですから、絶対に失くさないでください」
その言葉には頷くしかなかった。
これだけの代物だ。仮に再発行ができたとして、手数料はどれ程の額になるのか。あまり考えたくない。
それから説明されたのは以下の通り。
・指定された条件を満たすことで会員は昇格することができる。
・一年間依頼の達成が確認できなかった場合、除名される(病気や怪我の場合を除く)。
・除名後に再登録する場合、所属員証紛失時と同様の手続きを受ける必要がある。
・六級より討伐依頼が解禁。その前に簡単な試験を受ける必要がある。
・五級以上への昇格は一定以上の協会ポイントの取得及び指定された魔物の討伐が条件となる。
・協会ポイントは討伐した魔物や各種納品物、依頼に対応して与えられる。上限なし。
現在最低ランクの俺が出来るのは薬花の納品のみ。一〇本を一束として、それを一〇束。
薬花自体は街の周囲で簡単に集められるらしい。
必要数が多いと感じたのは俺がこの世界に馴染めていないというだけではないと思う。
「大丈夫だよ。四日くらいで終わるから」
「四日か……」
「?」
励ますために言ってくれたんだろう。それは分かる。
それでも時間短縮の手段を探さずにはいられなかった。正直、さすがに長い。
まあその辺りは今夜中にどうにかしてしまえばいい。ひとまず支部から退散させてもらう。
「大丈夫だよ。キリハなら。それより、今日の宿って決まってたりする?」
だが、一つ大事なことを忘れていた。頭の隅に追いやったままにしていた。
「宿……? ……あっ!?」
そう、今日の寝床だ。
自分の間抜けぶりに思わず声を上げてしまった。馬鹿か。本当、馬鹿か。
登録こそさせてもらえたものの、無一文であることに変わりはない。
六級であれば魔物狩りで多少強引にでも集められただろう。手段を選んではいる場合ではない。
だが今の俺にそれすらできなかった。集めたところで買い取ってもらえない。
こうなった以上、取れる手段は一つ。
「よかった。そのことなんだけど――」
「やはり野宿か……」
「!?」
雨風を凌ぐだけなら洞窟を見つけられなくてもどうにかなる。
どの程度の魔物が出るか知らないが、対処は可能な筈。念のために簡単な罠を仕掛けておくとして、それから――
「待って待って、違うの! そうじゃなくて、家に泊まっていかない? お母さんも多分許してくれると思うから」
「別にそんな気を遣ってくれなくても……ん? 今、なんて?」
聞き間違いだろうか。聞き間違いだろう。
確かに、魔法の練習のために明日も会うつもりでいた。俺自身、短く無い付き合いになればいいと思っている。
それでも、それでもだ。さすがにそこまでしないだろう。普通。
「今はお金もないんだよね? だったら泊っていった方がいいよ、絶対。ね?」
「いや、さすがにそこまでしてもらうわけには……それにいきなり泊まると言われてもアイナさんだって困るだろう」
「さっき今日は一人分多く作るって言ってたよ?」
「いつの間に……」
アイシャが仕度している間は外で待っていたが、もしやあの時か。
なんだか逆に申し訳なくなってくる。ありがたく感じるからこそ、余計に。
「でも、ちょっと意外。忘れちゃってたなんて。ふふっ。キリハもおっちょこちょいだね」
「……否定できない」
この件に関しては馬鹿と言われても仕方ない。
本当にどうして頭の隅に追いやったまま放置したんだろうか。ゴミ箱でもないのに。いや、ゴミなら後で処分するからまだその方がマシだ。
「それで、どう? 泊まらない?」
「……お願いします」
「やったっ」
だが、実のところ、そんな風に言ってもらえることに嬉しさを感じている自分も確かにいた。