第596話 修正案
茂みと草原の境界線。
ストラの外壁がよく見えるその場所は、持ち込まれた魔道具によって隠されていた。
ストラ側から経っても、肉眼で捉えることはできない。
なんとも不可思議な話だが、そういうものなら受け入れてしまえば済む話。
絶対に見つけられないわけでもない。
少し力を入れ過ぎのような気はするものの。
サーシャさんはこれが適切と判断したのだろう。
問題は、そこではなくて。
「……どういうつもりですか。この期に及んでご機嫌取りですか? そんなことをしても判定が覆ることはありませんよ」
「そんなひねくれた捉え方をしなくてもいいでしょう」
手提げかごの中身を見せても、サーシャさんの警戒が緩むことはなかった。
やはりというか、先ほどのあれこれについてまだご立腹らしい。
おそらく昨晩のやりとりについても。
(……ユッカ達もいないから当然か)
当事者だけとなった今、そこに気を遣う必要もない。
それにしても、ご機嫌取りだなんて。
まさかそんなことを言い出すとは思わなかった。
器用な真似ができる性分でないことくらい、サーシャさんも分かっているだろうに。
一体いつ、なんの判定をされたのか気になるところではあるが。
今のサーシャさんに向かってそんなことを訊ける筈もなく。
「サーシャさんがおなかを空かせているかもしれないと思っただけですよ。……実際、その通りだったわけですし」
結局、半ばごり押すように手提げかごをサーシャさんの傍に置いた。
中身は当然、サーシャさんの朝食。
どうにかこうにか、外へ持ち出せそうな形にしたのがそれだった。
(強情というか、なんというか)
アイシャ達がこの場所を見つけるまで、何も食べないつもりだったのだろうか。
何か軽食だけでも調達しておけばよかったものを。
それらしい痕跡もなにひとつとして見当たらない。
「あなたが余計なことをしなければよかっただけの話ですよ??」
「今度は別の不都合が生じるだけかと」
さすがに身を削りすぎだろう。
確かに、俺のあれやこれやがなければもう少し早くアイシャ達も動いたかもしれない。
しかし見つけるまでに時間がかかれば、結局サーシャさんはひもじい思いをすることになるわけで。
腹の虫の音で見つけさせるつもりにしても、身体を張るどころではない。
そもそも。
「どうしても、無理矢理感が否めませんし。俺やヘレンがグルだと断定されるのがオチですよ」
サーシャさんが唐突に姿を消したという時点で、何かがおかしいと思われるのは避けられない。
その違和感は当然、サーシャさんが期待したそれとは別物。
なんなら『どこかに寄っているだけ』なんて思われてもおかしくはない。
所詮は向かう道すがらに纏めた結論。
しかし最低限、筋は通って――
「減点5」
「別に自己弁護じゃありません」
……いた筈だが、サーシャさんは全く別のところを評価なさったらしかった。
いくら俺でも言わない。
先程までのあれこれが正解だったなんて、口が裂けても言えない。
一体、人のことをなんだと思っているのか。
そんな精一杯の不満を視線に込めても、サーシャさんにはため息をつかれてしまう。
「……だとしても、あなたがここへ来た時点で『共犯』だと思われることに変わりはないでしょう」
ただその理由は、当然と言えば当然のもので。
「ああ、言われてみれば」
「わざとやっているんですか??」
思わずうなずいてしまった結果、またしてもサーシャさんに詰め寄られてしまった。
「冗談ですよ。ちゃんと考えてあります」
実際には、その辺りも考えた。
さすがに考えてはいた。
その話をするためにも、ひとまず腰を下ろしてしまうことにする。
「……自分の食事を持ち込むことも、その一環だと?」
「時間がかかるでしょうから」
ついでに置いたもう一つの小さなかごを、やはりサーシャさんは見逃さなかった。
そこに特別な理由なんてない。
自分だけ先に食事を済ませようという気にはなれなかっただけのこと。
その時になってやっと、サーシャさんもかごの中身に手を付け始めた。
「サーシャさんのところへ向かった筈の俺が戻らなかったら、さすがに皆も何事かと思うでしょう?」
「なるほど……」
サーシャさんの計画を破綻させないようにしようと思ったら、どうしても手は限られる。
純粋な善意で送り出してくれたアイシャやリィルに対する罪悪感はあるものの。
ここまで来て、くだらない内容で揉めるわけにもいかない。
「確かに、あなたが道に迷ったと心配される可能性はありますね」
……まさかサーシャさんの方から余計な火種を注いでくるとは思わなかったが。
「どこからそんな話を聞きつけたんですか」
「アイシャからですが?」
しかも、情報源はアイシャと来た。
本人に悪意がないことくらい分かる。
分かるからこそ、なんとも言えない感情を飲み込むしかなかった。
「…………とにかく皆、何かしらの形で動く筈です。少しばかり、サーシャさんの想定していた形とは違うものになってしまうでしょうけど」
自分に返ってきたと思えば軽い方だと、納得するしかないだろう。
これ以上、引っ搔き回すわけにはいかない。
「ヘレンには『力を制限された』と答えてくれと頼みましたから。今回はそれで手を打ってもらえませんか」
このアイデアも、イリアと面識があればすぐに茶番と分かってしまうわけだが。
もし仮に、俺がそんな状況に陥ったとして。
あのイリアが知らんぷりをするわけがない。
ヘレンもその一点については全力で首を縦に振るだろう。
以前、谷底にダイブした時でさえわざわざ出向いていたようだから。
とはいえその辺りを考慮する必要は現状ない。
「彼女が裏切る可能性は?」
「そこまで疑わなくても」
勿論、ヘレンが秘密を暴露するかもしれないという懸念も。
「真面目なところもあるんですよ。普段はあんな、わざとらしい振る舞いをしていますけど」
そこを譲るつもりはない。
「…………」
どれだけ厳しい目を向けられようと、絶対に。
「……大した信頼ですね」
「またまた、そんな」
今更感も、あるとはいえ。
思わず、サーシャさんの言葉を皮肉と受け取るところだった。
以前の、自分自身の振る舞いを思い出して。
「……ただ」
――そんな、誰も喜ばない者はしまい込んでしまうに限る。
「できる限り、そういう風にありたいと思ってはいますよ」
今ここにあるのは、それだけではないから。
すぐに、どうにかできるものでなくても。
投げ捨てる気は、さらさらない。
「…………」
それを聞いたサーシャさんが何を思おうと――
「では、彼女が口を滑らせていた場合は連帯責任で」
「ええ、ええ、どうぞ。罰則のアイデアでもなんでも、好きなように考えてくださって結構ですよ。実現することはないでしょうけど」
……失礼な。
人は大真面目に考えていたというのに、何たる言い草。
おかげで反射的に言い返してしまった。
サーシャさんも、その程度で引き下がることはなく。
「謝るのなら今の内ですよ?」
俺もサーシャさんも、表情だけはにこやかだったが。
「いえいえいえ、ご心配なく」
場の雰囲気は、和やかさとは縁遠いものだった。




