第59話 恐怖の対象
「っ、ふ――――――」
吸った息を大きく吐き出す。
手に馴染んだ形のまま、重量を増したもの。
他にも用意しておきたいものはあったがあまり派手にやるとまた誰かを起こしてしまう。
「……またこんな時間に」
これだけ注意していても気付かれてしまうのだから。
「《小用鳥》に見張りをさせられるからってちょっと軽率なんじゃない? しかもこんな隠れるようにして……」
「それはお互い様だ。この場所の危険性くらい知っていただろう」
あの鎧を目の当たりにしていたリィルは特に。
そもそもおおよその性能は説明しておいた筈。アイシャもユッカも倒すのが難しい事は分かっていた筈だ。
エルナレイさんも一体何のためにこんな事を。マユに同行するよう頼んだルークさんも大概だが。
「わ、分かってるわよ。……悪かったわね。あんたなりに色々考えてくれてたのに、台無しにしちゃって……」
そんな風に思うくらいなら……いや。
「な、何よ。急に黙っちゃって。あたしそんなに変なこと言った?」
「……そこまで言われると俺の方が馬鹿みたいだな」
いや、馬鹿なのは事実だが今はそういう問題じゃない。
こうなってしまった以上、その前提で進めるだけの話だろう。
「よかったらそこにかけてくれ。話をするのに飲み物の一つもないのは味気ない。まあ、大したものは出せないが」
「そんなの誰も同じでしょ。まったくもう」
呆れる一方で安堵したような溜め息。
圧をかけていたつもりはなかったが、所詮は体感。相手の印象はまた別だろう。
何か風味のあるものでも用意できればよかったが、生憎低級の冒険者がおいそれと用意できるようなものではない。
缶コーヒーも思っていたほど悪いものではなかったらしい。
水筒を何種類も持ち歩くのも現実的な案ではない。
「それで結局どうするつもり? あんた今日いつになく口数が少なかったけど」
「このまま続行以外ない。絶対に怪我なんてさせないからそこだけは安心してくれ」
「じゃあさっきのあれもそのためだからって?」
「と、今後も安定して力を扱えるようにするためだ」
適度に敵が襲ってきてくれるわけでもない。
しばらくは少しずつ当時の感覚に寄せていくしかないだろう。
そのためにも、ある程度は集中状態を保っておく必要がある。
「今のままでもその辺の魔物になんて絶対負けないでしょ。あんたなら」
「この先も『その辺の魔物』しか相手にしないのなら最悪それでよかったかもしれないがな」
先日の鎧。叩き壊した結界。
どちらも魔物とは呼べないが、三級程度の力ではどうにもならない事態が頻発している。
どれだけ備えても過剰ということはない。
「……んっ」
リィルはそれを否定も肯定もしない。
熱の残るカップの中身を飲み干し、呟いた。
「……ねえ。あんた、怖いって思ったことある? その……魔物と戦う時とか」
「あるに決まっているだろう?」
驚かれる理由が分からなかった。
厳密に言えばあれは魔物ではない。魔物より醜悪で下劣な存在。
しかし今回に限って言えばさほど意味を持たない違いだった。
「自分より強い相手を前に恐怖を覚えるのは当たり前だ。何も感じない方がおかしい。もっと言えば、強くなっても忘れちゃいけない」
「……それ、昔の経験談だったりする?」
「まあそんなところだ」
抵抗する術もなく組み伏せられ、翌朝もはっきりと残っていた爪痕。
人が襲われそうになる瞬間を目の当たりにして何も感じない筈がない。
最終的に別の感情が上回るとしても。
「味方にいるなら『頼もしい』とでも思ってさっさと割り切った方がいい。任せきり、なんて考え込まずにな。拒否されたなら話は別だが」
「ふーん……だから自分のことも頼れってわけ?」
「勿論、リィルが必要と思った時はいつでも。俺も教えてもらっている立場だ」
「あんなの大したことじゃないわよ。気にしちゃって」
「俺にとっての戦闘がまさにそれだ」
さすがに操り人形にまでなり下がるつもりはないが、有事の際の対処なら今のところはこちらに分がある。
特に魔物。
放っておけば町に被害が出る点はあれらと共通しているが、ただ奪うために作られた兵器共とはわけが違う。
「で、そう言うあんたは誰を頼ってるのよ。ルークさん?」
「ないこともないが……今言ったのは昔の話だ。多少口は悪くても相談には乗ってくれたし、頼りになるどころの話じゃなかった」
「じゃなくて今よ。今。あんたの師匠さんがめちゃくちゃ強かったのはもう聞いたわよ。信じられないけど」
そんなことを言われても。
頼りにしていたのは決して師匠だけではなかった。
連絡がつかないことも間々あったから、その時組織にいた大人にはいろいろ相談を持ち掛ける事もあった。
その中で一番多く話す相手が他でもない『あの日』、大した説明もなく意識を刈り取ってくれた人になるとは当時考えもしなかったが。
「あんたが言う通りならあんたより強い敵だっているわけでしょ。危険指定種とか。その人もこっちにいるわけ?」
「いない。いても頼るつもりはない」
「…………は?」
たとえあの人達がこの世界に渡ることがあったとしてもだ。
「師匠だけじゃない。あの人達はもう十分に戦った。そんな人達をどうしてまた引きずり出せる?」
何かあればその時はきっと解決のために動き出すだろう。
だからこそ余計にそう思う。やっと色々なことが落ち着きつつあるというのに。
それに、個々人の気持ちの整理はまた別の話。
あの戦いで命を落とした人も少なくない。俺が生まれる以前まで遡ればもう数えきれない。
根は優しいあの人達のことだ。
俺のことも『自業自得の愚か者』なんて流しはしていないのだろう。
「……あんた、ほんとにただの自警団だったわけ?」
「言った筈だ。相手も相応の兵力を持っていたと。そうでもなければ魔物も知らない田舎者が馬鹿みたいな量の魔力を手にできる筈がないだろう?」
「――――っ」
さすがに嘘もそろそろ厳しいかもしれない。
見上げる程に巨大な怪物。
教祖から渡されたという権能の執行者。
和平を訴えながらも数世代先の技術を手に暴虐の限りを尽くした鋼の破壊者。
それらさえ凌駕してしまった悪魔の使い。
あんな争いが一つの町で起きていたらとっくの昔に滅亡していた。
可能な限り抑えようとしても被害は小さなもので済まなかったというのに。
結果残ったのがこの力だ。
「だったらあんたも戦わなくたっていいじゃない……! 前より弱くなったかなんだか知らないけど、無理して力を取り戻そうとしなくたっていいでしょ!?」
しかしリィルは、そんな俺の態度が納得いかないようだった。
「無理なんてしていない。今回に限らず、何か起きた時への備えにもなる」
「だからそうやって――!」
「それと、一つ誤解があるようだから訂正しておく。あの人達が俺と同じ立場に立てば、きっと同じことを言う筈だ」
「……は?」
俺があの人達を関わらせまいと思うように、きっと。
個人で対処できる案件となれば猶更。
「じゃ、じゃあ……あんた、自分より強い敵が出てきたらどうするのよ。まさか一人でやる気?」
「戦うとも。他に対抗できそうな人物が誰もいなければ当然一人で。街の近くに現れたのなら、その街を守りながら。少なくとも必要以上に誰かを巻き込むつもりはない」
多少強いからと言ってそれが何だと言うのか。
当時の自身から見て強い相手などこれまで何度も会ってきた。
何も協力をする気がないわけじゃない。協力したからこそ撃退できたことだって何度もあった。
だが俺もその人も組めばなんとか押し返せると判断したからそうした。それ以外に選択肢がなかったからそうした。
他のメンバーまで巻き込むと無意味に重傷を負わせてしまうから、と。
何より当時とは状況も何もかもが変わってしまっている。
その時はそういう対応にもなるだろう。
「逃げるって選択肢は」
「それならそれで誰かが引き付けておく必要がある。最低限、時間を稼げる誰かが」
全員で逃げたところで後ろから撃たれ放題。はっきり言って逆効果だ。
「誰かに甘えていい期間には限りがある。俺はもうそれを終えた。ただそれだけのことだ」
「……なんでそんなこと平然と言えるわけ?」
「それが俺の、俺達にとっての常識だったから。……もういいだろう。こんな話をしてもお互い得しない」
何がリィルを踏み込ませたのかは分からない。
どうにも態度がおかしかった。
「…………えぇ、ないわよ。あんたの言う通りだわ」
「だったら話はこれ「でも!」
「でも、そんな馬鹿みたいなこと考えてるあんたも放っておけない」
「……馬鹿みたいな、とは言ってくれるな。別にリィルに心配されるようなことは何もない」
「そう思ってるから余計危ないんじゃないの。……いいわ。もうそんなこと言えないようにしてあげる」
……大きく出たな。
「もう一回だけ聞かせて。あんた怖くないの?」
「それ以上に怖いものがある。それを思えば屁でもない」
「…………そ」
正直、戸惑いの方が大きかった。
心配される理由が全くと言っていいほど分からない。
リィルはリィルで、何やら随分間を置いてから大きく息を吐き出した。
「……ほんと、分からないことばっかりね。あんたの過去って」
「全部話そうと思えば長くなる。それこそ、一つの長い物語ができてしまうくらいには」
「いいじゃない。少しずつでいいから作ってよ。あたしそういうの嫌いじゃないし」
「ふ、一応考えておく」
いずれ全てを話すべき時は訪れるだろう。逃げてばかりではいられない。
だが、リィルが思っているようなものではないのも事実だった。
魔戦において、天条桐葉の名は恐怖の対象でもあった。
その程度の自覚はある。
教団の連中にはむしろそう思わせるくらいが丁度よかった。




