第566話 キリハは厳しい?
「おかしくないですか!?」
らしくもなく、ユッカはテーブルを力いっぱい叩いた。
「そ、そう……だね…………?」
その勢いに押され、頷きはしたものの。
(ど、どういうこと……?)
アイシャの頭の中は疑問で埋め尽くされていた。
朝、助けてくれと駆け込んできた時以上に分からなかった。
話を聞いた今でも、むしろ聞いた今だからこそ、困惑せずにはいられらなかったのだ。
キリハといたところ、父親に見つかったのは分かる。
そのままもう一度自宅へ向かわなければならなかったという話も。
その時の両親とのやりとりも、聞いた限りではそこまで問題のあるものではなかった――……のだが。
「……なんでキリハさんとケンカしてる、ですか?」
「知りませんよっ!」
首をかしげるマユの言葉に、アイシャも心の内では頷いていた。
自分達が泊まっている宿を運営している夫婦の息子と知り合いだということに、驚きはしたものの。
その少年が、ユッカと仲のいいキリハに何かを言ったというわけでなければ、逆でもなく。
よりにもよってキリハとユッカがそうなったという話には、首を傾げるばかりだった。
「……えっと、キリハの昔の仲間のことじゃないんだよ……ね?」
それでもと、話の流れをたどりながら確かめていく。
その『昔の仲間』にヘレンが含まれているのはなんとなく想像がついていた。
ヘレンがますたーと呼ぶ人物も、おそらく。
ユッカの話では他にもいたそうだが、それ自体は意外と言う程のものでもなかった。
冷静とも、自虐的とも言える自己評価に言いたいことがないわけではない。
ただ、引っ掛かる部分があるとしたらそのくらい。
「な、なんですか。アイシャは気にならないんですか?」
「気にならないわけじゃないけど……」
興味がないわけではないものの、それをキリハに聞くことへのためらいはあった。
具体的なことを訊いたわけではないものの。
以前、キリハとヘレンが戦ったことに引っ掛かりを覚えていた。
おいそれと聞けるようなものではないことを、なんとなく感じていた。
それから、もうひとつ。
「ユッカちゃん、結局どこに怒ってるの……?」
ユッカが腹を立てている部分が、いまひとつ伝わってこなかった。
キリハに何も問題がなかったとまでは思わない。
ただ、ユッカの反応もやや過剰なもののように思えていた。
特に朝練の話は、ユッカが自ら否定的な言葉を次々口にしていたようにも思え。
「それは…………。……ぜ、全部ですよ。全部」
「今詰まってた、です」
「言わなくてもいいじゃないですかぁっ!」
どうしてそんなところに行き着いてしまうのか、話を聞いたアイシャにはやはり分からなかった。
不満を全身から放出させていた筈のユッカも、すっかり言葉に詰まらせている。
そんな今のユッカの姿は、先日まで帰省を拒み続けていた時のそれに似ているようにも感じられた。
自覚をしながらも、結局、自分では認めきれないところも含めて。
「で、でも、アイシャもマユも思いませんか? キリハさん、わたしに厳しいって!」
「そ、そう……?」
アイシャもまさか、ユッカがそんなことを言い出すとは思ってもみなかったが。
厳しいと言われても、首を傾げずにはいられない。
ヘレンを相手にしている時の方が余程――とさえ、思っていた。
そう感じていたのは、アイシャだけではなく。
「それはないと思う、ですけど。朝のだって、マユもやる、ですし」
マユもやはり、いまひとつ腑に落ちないらしかった。
朝のそれはマユもそうだが、レイスもトーリャも加わることがほとんど。
1対1でやることもあるとは聞いていたものの、厳しいと評されるほどに追い詰めようとするキリハの姿は、どうしても思い浮かべることができず。
「それはそうですけど、そこじゃなくて! もっと他もあるじゃないですか、他も!」
「ほ、他って……」
「そっちもそこまでじゃない、ような」
どうにか自分たちを納得させようとしているのは分かったものの、やはり首を縦に振ることはできそうになかった。
ユッカの言う『厳しい』が、どういうものなのかもいまひとつはっきりしない。
普段のキリハの態度は、確かに甘やかしているとまでは言えない
が、アイシャにはそれが絶対的に悪いことだとは感じられなかった。
不満そうにまくし立てるユッカ自身も、別に甘やかしてほしいと思っているようには見えなかった。
(こういう時って……ど、どうしたらいいんだろう……?)
だからこそ、アイシャは困り果てていた。
レアムもイルエもレイスもトーリャも、席を外している最中。
誰よりもユッカと付き合いの長いリィルは、今も実家。
もう1人の当事者であるキリハも、おそらく彼と一緒にいるであろうヘレンも戻ってくる様子はない。
アイシャにとって現状は、お手上げと言うほかないものだった。
「ユッカさんが言ってるのってどういうところ、ですか? ちょっと、分からなくて」
しかしマユは、そうではなかったようだった。
詰め寄ると言うわけではなく、ただ、ユッカへと問いかける。
「ど、どうって……」
それが結果的には、ユッカに最も効果的のようだった。
言葉を詰まらせ、目を泳がせる。
これなら納得してくれる――そんな予感をアイシャが抱いた、その時。
「そ、そうです。ありました。ありましたよ」
ユッカが、反論の材料になるような何かを思い出した。思い出してしまった。
他にもあったことに、驚かずにはいられない。
一対なにがあったのかと、アイシャは耳を傾ける。
「帰る途中、キリハさんにあの権利を使って逃げてくださいって言ったんですよ」
「……え?」
――確かにそれは、驚くべき内容だった。
「それができないのは……まあ、いいですけど。わざわざ言わなくてもいいと思いませんか? 思いますよね?」
「…………」
同時に、アイシャの中に、それとはまるで異なる感情が膨らむ。
「ユッカちゃん」
「な、なんですか。他にも聞きたいって言うなら――」
「ううん。いいの。それは」
それは、怒りと呼ぶようなものではなく。
「さっきの話、もうちょっと聞かせてくれない? いいよね?」
「…………えっ」
しかし何故か、もう少し詳しく聞きたいと言うと、ユッカの表情が強張り。
「そんなことがあったなんて知らなくて。……いいよね?」
「え、えっと、その……あの」
「ね?」
「あ……ぅ…………」
それどころか、次第に青ざめ、後ずさり始める。
「な……」
「な?」
その分だけ、アイシャが近づくと。
「なんでもないです――――っ!!?」
「ユッカちゃん!?」
限界と言わんばかりに、ユッカは逃げ出した。
追いかけようにも、いつも以上に俊敏なユッカは瞬く間に人ごみの中へと消えてしまい。
「……こんな感じの、ストラでも見た気がする、です」
マユが呟いた時にはもう、どこにいるのかさえアイシャには分からなくなっていた。




