第544話 少し目を離した隙に
「……そういうことだから、あんたの探し物なんてないわよ。絶対に」
やたらと力を込めて、リィルは言った。
リィルがここまで言う以上、本当にないのだろう。
一刻も早くこの話題を終わらせてしまいたいという思いも、少なからず感じられるが。
「決めつけるのは早い。これでも、変わった書物を取り扱っている自信はある」
「ただ変わってるってだけじゃないの。……それとも、あるわけ? こんな文字が書いてある本」
言いながら、リィルは写しを改めて親父さんの方に差し出した。
なんとも辛辣なお言葉だが、親父さんの謎な自信を考えれば、いい具合にバランスが取れているのかもしれない。
さっきのような話も、多分、一度や二度ではないのだろう。
リィルから渡された写しを丁寧に読んでいるその姿を見るに、リィルの指摘もあまりダメージになっていないらしい。
そのまま、しばらく無言で眺める親父さんを見守って。
「…………?」
「ほらやっぱり」
とうとう首をかしげた親父さんを見て、リィルは小さくため息をついた。
別に、親父さんが悪いわけじゃない。
こんな胡散臭い代物を大真面目に調べてもらって、むしろ申し訳ないとすら思ってしまう。
「いや……いや違う。随分と変わった品のようだから、よくよく注視せねばと」
「それ、心当たりがないってことでしょ。見栄とか張らなくていいから」
あくまでも諦めない親父さんに、リィルはきっぱりと言った。
それでも親父さんは諦めず――結局、リィルが半ば強引に写しを奪い取る形で幕を閉じた。
「あんたもどうしてうちにこんなもの持って来るのよ……。ああもう……今日こそ変な本を買うのを止めたかったたのに……」
そうして、やはりというか、矛先は俺に向けられる。
「変とはなんだ。変とは。読む人が読めば、どれも価値のある……」
「ほとんど胡散臭いものばっかりじゃないの!」
――が、たったの一瞬で再び親父さんへの不満がリィルの口から飛び出した。
言われた親父さんは、どことなく不服そうな表情。
きっと、親父さんなりのこだわりがあるのだろう。他者の理解を得られないだけで。
慣れっこなのか、あまり強く反論もしていなかった。
「しかし……ルーレイアにそんな場所があったとは……」
それより、原本の所在の方に意識が向いていらっしゃるらしかった。
別に、胸を張って言えるような話でもない。
見つけたのは全くの偶然だった。
「言っておくけど、そこにあった記録ならもうナターシャさん達が回収したわよ。全部」
「そうじゃあない。……いや……許されるのなら、一度は目を通してみたいのだが……」
――偶然だったからこそ、俺自身、かえって引っ掛かりを覚えているわけだが。
「著者については特に記載名がなかったので、なんとも。目を通した限り、当時の世界の様子までは書かれていませんでした」
「それはそうだ。その場所についての記録なら、書く必要がない」
その話をすると一転して、親父さんは表情を引き締めた。
「些細な癖、表現……端から端まで何度も読んでようやく見つかるかどうかの物だ」
きっと、そういう書物に目を通した回数は俺より圧倒的に多いだろう。
「誰かに命じられていたのなら、記録をその場に残すなんてありえない。……不思議な話だ……」
是非とも話を聞きたい――のだが、案の定リィルが止めに来た。
「だから、そういうことはナターシャさん達が調べてるのよ。……もう、あんたもどうしてそんな熱心に……」
「幾らあの人達でも全てを見て回ることはできないだろう? だから俺の方でも、と」
「それにしたってってねぇ……」
ロマンだのなんだのではなく、純粋に引っかかる。
……なんて、リィルにここまで言われた後で強引に調べようとは思わないが。
「…………」
そんな俺達の様子を、親父さんは一歩引いて見つめていた。
「な、なに? じっと見て。別に全然、こんなのいつものことよ!? それに――」
急に黙り込んだ父親に向かってリィルがまくし立てようとした、その時。
「リィル、さん。お母さんがちょっと来てほしいって呼んでる、です」
見計らったように、マユが、リィルを呼んだ。
実際にはマユも、そうするように頼まれただけとは思うが。
何にせよ、リィルの意識を逸らすのに十分だったことだけは確か。
「はぁっ!? なに、まさかまた怪しいものを売りに来た人がいるんじゃ……!」
「そういうわけじゃなさそう、ですけど。とにかくお願いします、です」
「はいはいはい……!」
今まさに言おうとしていたことも後回しに、リィルは店の方へと小走りで向かっていく。
「……いつものこと、か」
そんなリィルの後姿を見送っていた親父さんが、ふと、呟いた。
「少し見ないうちに、立派になって……」
その言葉を大袈裟だなんて言う資格は、俺達にはない。
仲間の視点から見てきた俺達が言えることがあるとすれば。
「初めて会った時から、リィルさんはとてもしっかりされていましたよ。それに、ちょっとしたことでも、すごく気にかけてくれて。俺は勿論、ここにいる彼らも――リィルさんのこと」
「……そうか」
俺と、後ろで頷いているレイス達とを見て、親父さんは声を漏らす。
「いや――よかった。本当によかった」
心からほっとした様子で、何度も何度もうなずいていた。
「ユッカちゃんを探しに行くと言い出した時は、気が気でなかった」
そんな親父さんが口にしたのは、俺達は勿論、リィルでさえ知らないであろう話。
「町で知り合った子が、ユッカちゃんとも知り合いだったと教えてくれた、少し後のことだったな。なんとも楽しそうな内容の手紙が届いたのは」
あえて表には出さなかった、当時の心境。
「それからはずっとだ。まあ時々、冗談みたいな話も混じってはいたが……」
こうして俺達に話してくれているのもきっと、断片的なものなのだろう。
「手紙を見ても、あの子が、充実した日々を過ごしているのはよく分かった」
それ以上のことを、無理に知りたいとも思わなかった。
「だから、本当にありがとう。――特に、キリハ君。君には直接会って、お礼を言っておきたかった」
親父さんの今の表情を見れば、それだけで十分だった。
「これからもどうぞ、娘と仲良くしてやってください」
「そんな、こちらからお願いしたいくらいです」
深く、深く頭を下げる。
大袈裟だなんてことはない。
言葉など必要ない空気の中、ふと、声が響く。
「……ねぇ…………」
ひどく、震えた声。
それは、どこか小動物のようで。
「「…………?」」
声がした方へと、目を向けると。
「人がちょっと離れてる間に、一体なんの話をしてるわけ…………っ!?」
いつの間にか戻ってきたリィルが耳まで真っ赤にして、俺達をきっと睨みつけていた。




