第543話 そんな具合に
「――と、まあ、そんな具合に」
「どんな具合よ!」
目じりに涙を浮かべながら、リィルが叫んだ。
過不足なく伝えても、リィルを納得させるには至らなかったらしい。
……問い詰められても、本当にそのままの流れでこうなったとしか答えられない。
リィルの気持ちだってわかる。
改めて考えてみても、出来過ぎた偶然には俺だって驚かずにはいられない。
ただ、店先で大きな声を出せば当然、家の方には見つかってしまうわけで。
「いや、それより……申し訳ない。偶然とはいえ……こんなことになってしまって」
「いいわよ、もう……」
どこからどう見ても、リィルの様子は全てを諦めた人のそれとしか思えなかった。
いつにもまして、深いため息。
いつもの面々が繰り広げるやり取りに呆れた時よりも哀愁が漂っているのは多分、気のせいではないだろう。
そんな様子を見せられているせいか、胸が痛い。
罪悪感という名の針をあちこちに刺されている気分だった。
「ほー……その人が、お前の」
興味津々と言った様子で視線を向けてくる親父さんがいるから、余計に。
「だから、違うって言ってるじゃないの! いい加減に止めてってば、それ!」
「同じ屋根の下で暮らしてるのに?」
「言い方! 部屋はちゃんと別って言ったでしょ!?」
やはり、リィルの実家からの手紙はあのとき想像してしまったようなものだったのだろう。
勘違いならよかったのに。
「部屋が別だとして、それがなんだ。一緒に住んでるのは本当だろう」
「それ、は……ッ……そう、だけど…………」
消え入りそうなリィルの声。
価値観の差だとか、そんなものはどうだっていい。
ただただリィルが気の毒で仕方がない。
アイシャの時もなかなかだったが、これは新手の公開処刑だろうか。
おまけに、ダメージを受けているのは本人だけはなく。
「なあ、キリハ……オレ、さっきから居心地が悪くて仕方がないんだけど」
「……さっきみたいに、上手く、切り抜けられないのか」
「無茶を言うな。状況が違い過ぎる」
聞かされる方も、それはそれでなかなか。
言われなくても居心地が悪いことくらい知っている。
俺も今、全く同じものを感じているからよく分かる。
店の手伝いに逃げたマユが正直、ほんの少し羨ましい。
「それより、どうしてあの人はあんな調子なんだ。普通、もっとこう……あるだろう。色々と」
「それをオレらに聞くなよ」
「お前の、ことだろ」
「……言われると思ったよ」
3人寄ればというが、この状況には全くの無力。
親子の問題というには微妙なこのやり取り。
正直、見せ続けられるだけでもいたたまれない。
「あの……差し出がましいようですが、少しよろしいでしょうか?」
ほとんど無策で、間に割り込ませてもらって。
「おお、なんでも聞いてくれ。答えられることならなんでも答えてあげよう」
「……その無防備さはどこから?」
「「ちょっ!?」」
――思わず、本音がこぼれた。
「……無防備? なんの話だ?」
「全部ですよ。全部。さっきから、どうにも警戒心がないように思えてしまって」
俺だって、出来ることならこんなことは言いたくない。
今の言葉も、ただ大袈裟に言ったというわけでもなさそうだった。
「お、おい……キリハ……?」
「お前、正気か……?」
とうとう血迷ったのかと、それはもうすさまじい視線を向けられるが気にしない。
「よしっ……」
……何故か1人分、その調子だと言いたげな視線も向けられたがそちらもスルー。
何にせよ少しばかり――
「どうして警戒なんてしなきゃらならない。娘の大切な友人だというなら、それだけで十分だ」
――そんな言葉は、親父さんの穏やかな表情で引っ込んで。
「……あんた、騙されるんじゃないわよ。いつもこんな調子だから」
「……それはむしろ、騙される側になってしまいそうな気が」
「そういうことよ」
ささやかな感動は一瞬のうちに砕け散った。
自棄でも起こしたのか、とうとうリィルは隠そうともせず言いきった。
「何を言う。騙されたことなんて一度もない」
「あたしや! おばさんが! 取り返しがつかなくなる前に止めるからでしょうが!!」
(ああ、それで……)
「……あんた、今なにか失礼なこと考えなかった?」
「いやいや、まさか」
やはり血は争えないものなのか、なんてこれっぽっちも。
「そうは言ってもだな、この前の写本だって、母さんも賛成して……」
「2人揃って騙されだけじゃないの! あたしだってこんなこと言いたくなんかないわよ!!」
とはいえどうやら、どちらかと言えばご両親の方がある意味で深刻だったらしく。
「大体ね、本物だったらわざわざこの町まで持って来るわけないでしょ!? しかも偽物だったじゃないの、結局!」
「いや、本人も騙されたと……」
「それから3日後にその人が捕まって、警備隊の人に話を聞かれたんでしょうが!」
力いっぱい叫ぶリィルの話を聞けば聞くほど、自身の顔が引きつっていくのを感じた。
要は、古い手記の偽物を掴まされそうになったという話。
――今でも完全に途絶えずひっそりと残っている、いわば伝説のようなもの。
ある時は海の底に眠る神殿を。
またある時は、霧に覆われた深い谷を。
更には灼熱地獄とも称された猛獣達の巣を。
その他、さまざまな秘境を渡り歩いた一行の旅の記録。
本人達が書き記した何冊もの の中には、歴史から消えた楽園への道が記されている――とかなんとか。
人から人へと伝わる中で、少しずつ内容が盛られていったのだろう。
今となっては旅をした一行の実在すら疑われている有様らしい。
リィルのご両親の元に持ち込まれたのは、そのうちの1冊――であるかのように仕立て上げられた創作文。
読み物としての面白さはあったのかもしれないが、偽物であることに代わりはない。
少なくとも本物と言って売りさばこうとしたのは大問題。
リィルのご両親は、それを思わず買い取ろうとしたそうで。
済んでのところで、ユッカの母親に気付いて止められたそう。
……一目で偽物と見抜いたという話には、驚くばかりだが。
(なんというか、これは……)
何にせよ、この一家が怪しい壺の類を買わされたりしないか心配で仕方がない。
……さすがにまだ、買わされていないと思いたい。




