第541話 少年に呼ばれて
話題も長くは続かず――アイシャが気を遣って切り上げてくれたとも言う――外壁に沿うように歩いていた時のことだった。
「兄ちゃんたち、宿、探してるの?」
後ろから聞こえてきた、子供の声。
おそらく、まだ、声変りを迎える前。
少し下の方から聞こえてきたという予感は正しく、そこにいたのは、マユよりも更に年下の男の子だった。
「そうなんだよ。今、仲間と二手に分かれて探しているところで――」
小さな手では持て余してしまいそうなバスケットの中にはパンやら、野菜やらが無造作に詰め込まれてある。
まさにお遣い――いや、買い物帰りと言った装い。
そんな彼の視線は、俺の左腰へ向けられ、すぐにまた逸らされる。
ただ、そのことに関してはあえて何も触れずに。
「ひょっとして、どこかいい宿に案内してもらえたり?」
前かがみになって、少年へ訊ねることにした。
「兄ちゃん達がいいなら、いいよ。今いるお客さんが出るまで、待ってもらうことになるけど」
「それまでは時間をつぶしておくよ。町の様子を見て回ろうと思っていたから丁度いい」
「初めてなんだ。この辺り」
「そういうこと」
なんという偶然。
そこに感謝するべきか、俺達を見てすかさず声をかけてきた商売魂に驚くべきか。
決して早くはない時間の筈だが、その辺りは双方に都合があるのだろう。
少年に言った通り、むしろこちらとしては好都合。
何にせよ、今日の宿が確保できるのならそれが一番。
「そういうわけだから、場所を教えてもらってもいい? 仲間を呼んでから、予約に行くから」
少なくとも数日は滞在することになるだろう。
ユッカは口では文句を言うだろうが、ここまで来て即ストラへ引き返すのはさすがに勘弁。
……場合によってはユッカだけの用事では終わらないかもしれないが、それはそれ。
「ねえ、ヘレンちゃん……。なんかキリハ、喋り方とか……いつもとちょっと違わない?」
「どこで覚えたんだか、子供相手だとあんな感じになっちゃうんですよー。いいんですかね? あんな猫被って」
「あははは……悪いわけじゃないと思うけど、どうなんだろうね……?」
せっかく今日の宿が確保できたというのに、どういうわけか後ろからは不信感にも似た何かが込められた声が聞こえてくる。
聞こえていることくらい分かっているだろうに、ひそひそと。
アイシャはまだ分からなくもないが、ヘレンときたら。
猫を被っているとまで言われる筋合いはない。断じてない。
これ以上余計なことを言われるくらいなら、もう少し、少年から話を聞きたい。
「ところで、その荷物……」
「いい。お客さんに持たせたら母ちゃんに叱られる」
「そっか。案内してもらう代わりに、なんて思ったんだけど」
両手で支えてはいたものの、重そうにしているわけではなさそうだった。
強引に受け取るのもそれはそれで気が引ける。
親御さんに見つからないようにするから、なんて言って渡してくれる雰囲気でもなかった。
「いいよ、別に。それより、兄ちゃん達みたいに大勢いるお客さんにはまた来てもらった方がいいし」
「少人数でも、何回も来てくれるならいいと思うけど」
「多くないよ。そんな人」
おそらく、倍はいると見越しての発言だろう。
少年を除けば、ここにいるのは3人。
二手に分かれるのに、わざわざ片方を1人にする理由もない。
ただ、少年の施行の追従よりも、気になったことがひとつ。
「この町に用事がある人の方が珍しいし。いても、どこかの商人とか……こっちに来ることのない人ばっかりだしさ」
その続きを、訊ねるまでもなく少年は答えてくれた。
多少、そういうところがあるのはユッカの話した通りなのかもしれない。
正直、一部の都市を除けばどこも似たり寄ったりな気はしなくもないが。
祭りのような、何か特別なことでもない限り。
「最近じゃ、ストラの近くに出たとかいう迷宮のせいでみんなあっちに行っちゃうし。……兄ちゃん達も、それ目当て?」
「そのストラから来たんだよ、俺達は。この町に用事がある、珍しいお客さんです」
「へー……」
少年の言葉をなぞるように言うと、やはりというか、意外そうな顔をして見せた。
ここのところ、ストラへやってくる人物が増えたことは知っている。
その中に、時間停止の一件の痕跡を探りに来た者がいることも。
何にせよ、今このタイミングでストラを離れるというのは、奇妙に思われても仕方がない。
「兄ちゃん強そうだし、そっち目当てかと思った。せっかく近いんだし、行けばいいのに」
「それが思ったより気軽に行ける距離でもなくて」
行ったことがある――とは、言わないでおいた。
つい先日の迷宮の攻防については、吹聴しないよう言われている。
ルークさんからは勿論、サーシャさんからも。
……あの奥底での一件を考えたら、仕方のないことではあるが。
詳しい対策は、不可視の攻撃すら認識できる魔道具を持ったサーシャさんにお願いするほかない。
自らの感覚頼りに対処する以外の方法を、俺には提示できそうにないから。
「……ストラからここまで来る方が大変じゃない?」
「そこはさっき言った通り。ちょっと、ここに用事があったから」
その辺りについては、ひとまず後回しでいいだろう。
「何より今は、他に気になっていることがあって。当面はそっちを優先しないと」
「ふーん……」
たとえば、若干疑いの目を向けているこの少年に。
「断崖絶壁の下に広がっていた森で見つけた、古い本のこととか」
ちょっとした話題を提供してみたり、とか。
「……なにそれ?」
「分からない。だから、その手掛かりも探しているところ。……この町、本を扱うお店とかってある?」
「ま、まあ……あるけど……」
ただ、全くの出まかせというわけでもなくて。
「あれ? 確かあの本、もう回収されちゃったんじゃ……」
「物が物だから、然るべき場所で保管してもらった方がいいだろう? そのためにこの写しがある」
「なんて、実際にはこっそりあれしたやつですけどねー」
個人的な興味もあって、少し、意識を向けていたのも本当のこと。
……それがアイシャにまで驚かれるなんて。
「(というか、探してたんですね? 今までそんなそぶり全然見せなかったのに)」
「(手掛かりになりそうなものもなくて、探すに探せなかったんだ。誰かさんの言う通り、ドタバタしていたのもあるが)」
「(短期間で2回も変な連中に手を出されたりしちゃいましたもんねー?)」
なんて、ストラで手詰まりを迎えたのはもうずいぶん前の事だったりもするのだが。
イリアからあの手この手で逃げていたヘレンが認識できないのも致し方なし。
それが面白くないのか、ヘレンは露骨に、視線を一転に向けていた。
「(あれと言えば、いいんです? それのことは言わなくて。せっかくのワクワク話なのに)」
「(分かっているくせに)」
あの奇妙な物体と、回収された資料。
謎が多いことに代わりはないが、危険度の差は明白。
「古代の本……すっご……」
何より、今の話で満足しているのだから、更にあれこれ語っても鬱陶しい自慢にしかならない。




