第536話 口を挿めないことだって
「……よくそんな話をしようって気になったな」
威嚇というよりは、呆れだろう。
この世界の大地を初めて踏みしめたその日の出来事。
今となっては懐かしさすらあるその日からの日々を一通り明かすと、それはもう盛大なため息が返ってきた。
勿論その原因は当時受けていた依頼の内容などではない。
住まいの確保をしていないどころか、協会の存在すら知らない辺境の土地からやってきたという事実。
更には、その日知り合ったばかりの相手の家にしばらく居候させてもらっていたという事実。
我ながら叩きだされても文句を言えない内容だったと、つくづく思う。
「疑われるのは覚悟の上です。俺が同じ立場に立っていたら、間違いなく疑いますから。あれもこれも」
とはいえ、話さないという選択肢がある筈もなく。
ナターシャさんに問い詰められた時とは話が違う。
なんて、あの人への返答を雑に済ませたつもりもないが。
不謹慎だろうが、あの馬鹿げた額の報酬はいいきっかけでもあった。
いくらいいと言われていても、いつまでもお世話になり続けるわけにもいかない。
とはいえ、冒険者の買い物にしては額が大きすぎるという認識は俺にもある。
肥やした私腹を見せびらかすような連中でもないのに、どうしてなのか、と言われるのも納得。
「キリハが住むようになったのは、私が言ったからなんです。いろいろ助けてくれたし、お礼にって。……あのままだと、本当に魔物を倒しに行っちゃいそうだったし……」
住居を得なければならないとまで言うと行き過ぎているかもしれないが、以前シャトさんに話したことは全て本心。
あの規模を選んだのも、別に誰かにそうしてくれと頼まれたわけじゃない。
ただ、自分自身が住むことだけを考えたような物件を選ぼうという気が、全く湧かなかったというだけの話だ。
もっとも、この場でそんな話をするつもりは――
「キリハ、お前さ……本当にずっとそんな調子だったのか……?」
「……確かに、勝てると思う。お前なら。だが、さすがにそれは……」
「普通は行き倒れてしまいそうだったから、とか言われるところなんだけどねぇ」
「外にあるモン食って飲んでしのぐでしょーよ。こいつは」
……なかったが、ここまで言われるならそちら方面に振り切ってしまった方がよかったのかもしれない。
揃いも揃って俺のことをなんだと思っているのだろうか。
最初のレイスのコメントはまだいいとして、特にイルエ。
「ぷっ……ふふふ……っ」
それから、後ろで笑いをこらえている約一名。
人が森で暮らしている姿を想像して何が楽しいのか是非ともじっくり聞かせてもらいたい。
さすがにそこまで野生に目覚めてはいない。
食料になりそうな木の実を教わった後ならまだともかく。
「ま、まあまあ……。えっと、それで、お母さんも私もいいって言ってたんですけど、やっぱり、キリハは気にしていたみたいで。マユちゃんのこともあったし……」
アイシャに言われて、意識が現実に引き戻される。
やはりあらかじめ説明を頼んでおいたよかった。本当によかった。
言葉の節々にそれ以外の何かも感じたのは多分、気のせいではないだろう。
あの状況が受け入れられない、というわけではなく。
「だってアイシャさんもアイナさんも、ずっと住んでいいって言いそう、でしたし。マユ達の生活費も受け取ろうとしないのはさすがにやりすぎ、です」
「それに、いつまでもお世話になりっぱなしというわけにもいかないだろう。今後の付き合いを考えるのなら猶更だ」
「それはそうだけど~……」
感謝してもし足りない。
が、だからこそお世話になりっぱなしというわけにはいかなかった。
おおよその事情を察したらしいお二方が頷いていると、ふと、マユが何かを思い出したらしく手を叩く。
「そういえば、マユのこと、もうちょっと話した方がいい、ですか?」
「いえいえ、大丈夫ですよ。何か事情があるのは分かりますもの」
が、マユの提案はやんわりと止められた。
そこまでする必要はない、と。
「えぇ、えぇ、お二方……いえ、お三方については、分かりました」
全てを知っているわけではない筈なのだが、俺とマユ、それから少し遅れてヘレンにも視線を送り、得心が言ったように頷いていた。
「それで? あなたは?」
――しかし、一転。
何故か、扇子を閉じる音が聞こえた気がした。
ここにいる誰も、それらしいものは持っていないというのに。
ただ、幻にしてはやけに鮮明だった。
「…………」
視線を向けられた張本人が感じているものはきっと、それどころではないだろう。
青白い顔を見れば、さすがに分かる。
「……その、わたしにもちょっと事情が」
「言い訳は止めなさいな。みっともない」
「い、言い訳なんかじゃないですからっ。……ないですから」
抵抗もむなしく、徐々に徐々に追い詰められていく。
「差し出がましいようですが、一旦、その話は待っていただけませんか」
こんな姿を見せられては、さすがに、不干渉を決め込むことはできなかった。
「ここまでかかってしまった責任はこちらにもありますし――何より、友人の前で叱られては、本人にとっても、話を聞くどころではなくなってしまうと思うんです」
「キリハさん……」
少なくとも、このまま続けるというなら止めないわけにはいかない。
気のしれた相手とはいえ、限度がある。
幼い頃から知っているリィルはともかく、俺達はこの町を出てからのユッカのことしか知らない。
当然、ご両親についても。
だから。
「しかし……リィルちゃんの話だと、娘に帰ってはどうかと話をされていたそうですが?」
「それとこれとは別の問題ですので。……手紙を出そうとしなかった点に関しては、こちらも同じ認識です」
「キリハさん!!?」
俺達には口を挿むことができないことだってある。
今にも裏切り者と叫んできそうなユッカには悪いが、ご両親が心配するのは当たり前。
お願いの権利を遣われようと無理なものは無理だ。
「だ、出しましたから! ちゃんと! キリハさんどっちの味方なんですか!?」
「1回だけだっただろう。それもリィルに言われて。……そこだけは俺もどうかと思う」
「そんなぁあああ~……」
どっちの味方、なんて問い詰められても。
「そもそもリィルさんが追い駆けてきたくらい、ですし。町を出たのもこっそりだった、って」
「マユまで!? ち、違うんですよ! なんでそんなこと言うんですかぁっ!」
マユの指摘が事実であることを考えれば。
「……どこがどう違うってんだ」
ため息交じりの親父さんの言葉が全てだろう。




