第521話 してやられた
(……してやられたな)
目を開いて、真っ先に思ったのがそれだった。
沈められたにもかかわらず、浮かび上がるようにこの場所へ辿り着いた。
それなりの力を用いてここへ運んだのはまず間違いない。
「どうしてこんなところに連れてきたんだか……」
代わりに、どうしてここまでしたのかという疑問が湧いた。
(胃袋の中、なんてことはないか。さすがに)
周囲の景色は、ほとんど別物。
広さは勿論、岩肌の色合いも明らかに違っている。
何より、淡い光を放つ物体なんて、さっきの空間にはひとつもなかった。
何かも分からないソレは地面から生えたような岩には勿論、天井に近い部分にも大量に張り付いていた。
デタラメに引き裂いたような、歪な形。
あるいは強い力で叩きつけられたことで、中身が派手にぶちまけられてしまったのかもしれない。
配置に法則性などはなく、ただ、色とりどりの光が広いこの部屋を明るく包み込んでいた。
「ん、ぅう……」
それでも、アイシャ達に意識を手放させるようなことをする必要があったとは思えない。
引きずり込まれていく中で、気を失ってしまったんだろう。
ユッカもマユも、怪我はないが、目を覚ます様子はない。
「まさかとは思うが、お前を癒すために……。……だろうな。どうしても連れ込みたいなら、俺1人をそうしてしまえばいい……」
さっきのやり取りを聞いて気を遣った、なんてこともないだろう。
沈められそうになった時にも、剣は言っていた。
迷宮の意思によるものではない、と。
となれば、既に子の迷宮の中には管理者の手が行き届かないエリアが――
「……起きたばかりの頭に、頭の痛いやり取りを流し込むのは止めてもらえますか、キリハさん……」
いたって真面目な考察をしていた筈だが、サーシャさんには大不評だった。
とはいえ、明らかに原因はそれだけではない。
ぐったりしてしまっているのは、俺と剣のやり取りだけではない。
「そのまま横になっていた方がいいですよ。無理に起きても身体が痛むだけです」
「今の話を聞くだけで、眩暈がしそうですよ……」
誰がどう見ても、サーシャさんは体調を崩していた。
目立った怪我はない。
ただ、こめかみのところを押さえているのを見るに、あまりよくない状態なのは確か。
「納得、いきませんね……。何故、あなただけ、平然としていられるんですか……」
「慣れている分、少し復帰が早いだけです。サーシャさんも、ゆっくり休んだ方がいいですよ。今は」
「こんなものに慣れがあることがおかしいと、言っているんです。異常だと、理解したら、どうですか……?」
これだけ文句を言えるなら――なんて言葉も、口にする気にはならなかった。
息は上がっているし、いつも以上に顔が白い。
むしろ、どうしてそんな状態なのに無理をするのかという感想しか出てこない。
間違いなく、ここへ運ばれた影響だろう。
あの感覚は、決して心地のいいものではない。
無理に意識を保つべきでは、と思ったんだろう。
本格的に足を踏み入れる前に宣言した通り、アイシャ達に危害が及ばないようにするために。
少なくとも誰かが目を覚ますまでは、見張りをするつもりでいたのだろう。
「分かりました。分かりましたから。それについては認めますから、とにかく今は休んでください。……いくら守っていても、辛いのは同じ筈です」
今回は俺が起きているのだから、無理をする必要はない。
意識を保とうとして、結果的により多くの負荷がかかってしまったんだろう。
そのことをとやかく言うつもりは、さらさらない。
「こんなところで、あなたに借りを作ることになるとは、思いませんでしたよ……」
「そういうことはせめて落ち着いてから言ってください。……ほら、その上なら痛くもありませんから」
「ぅ、うぅ……」
それぞれの下に滑り込ませた魔力を膨らませるように、前に作ったクッションを作り出す。
凹凸の激しい地面で眠るよりはマシだろう。
まだ意地を張ろうとするサーシャさんも、少しは力が抜ける筈。
「……ん…………」
それでもしばらく抵抗していたが、さすがのサーシャさんも、程なく眠りについた。
「お疲れ様です。サーシャさん。……後は、俺が見ておきますから」
「んむ、むむ……」
眠ってもなお唸っていたのは、まだ納得しきれていないからだろう。
なんというか、強情な人だ。
そういうところは姉妹というか、なんというか。
(……責任も感じているんだろうな。きっと)
想定外の事態とはいえ、こんな状況になってしまった。
そのことへの負い目も、少なからずあるんだろう。
「……あなたも大概、世話焼きですね」
いつものごとく無音で現れたイリアに呆れられようと、さすがに、このままにはしておけなかった。
「この状況を見かねて出てきたお前には負ける。……いいのか? こんなところに」
「桐葉がいるというだけで十分ですよ。他の理由なんて必要ありません」
「いくらなんでも言い過ぎだ」
別にイリアも、疑って言わけではないだろう。
いくら迷いやすいとはいえ、ここなら《小用鳥》を飛ばすことだってできる。
念のため、あくまで念のため、様子を見に来てくれたに過ぎない。
「ただ、まあ……助かったのは、間違いないな。これが異次元の狭間だったらどうしようかと」
「その程度で私があなたを見失うとでも?」
「楽ではないだろう。楽では」
ついつい、俺も肩の力を抜いてしまった。
緊張感も何もあったものではない――とまでは、言わないが。
「……確かに、ここはあなたが警戒しているような場所ではありませんよ。私が楽に来られる場所ですから」
「何も拗ねなくても」
「そう思うのなら、言葉を選んでくれてもいいでしょう?」
そんな俺の内心を見透かして、イリアは責めるように言った。
「あなたのことです。そこの彼女達のことも心配でしょう。……自分の目では正確に確認できないから、と」
「そこまで分かっているなら心の内に留めておいてほしかったな」
「あら、私が一度でも抑えたことがありましたか?」
「そんなことを誇ってどうする」
それなのに、チャンスがあっても、これ幸いと反撃をするわけでもなく。
大体、何が一度でも抑えたことが、だ。
……あれもこれも蓋をしてしまおうとしたことだってあるくせに。




