第520話 はるか下に
「帰る方法に関しては、半分くらい当たっていた」
迷宮からのメッセンジャーが話してくれたことは、一通り整理できた。
カンニングをしているようでいい気はしないが、背に腹は代えられない。
向こうも必要最低限の情報しか教えてくれなかった。
「半分? 他にも何かあるわけ?」
「この前のじゃ、なくて、もっと奥とか、ですか?」
さすがに、これで失敗するようなことはないだろう。
元の持ち主かつ生み出した張本人が言いきったのだから、間違いない。
辺りに倒れていた魔物の姿はもうどこにもない。
敵も味方も、悪食な迷宮によって全て養分に変えてしまった。
「いや、場所は間違っていないらしい。……向こうのルートを辿る何倍も遠回りをすることにはなるようだが」
なんて、俺もあまり偉そうなことは言えない。
迷宮が吸収してくれたおかげで、こうして腰を下ろして打ち合わせができるようになったわけだから。
「どこかで分かれ道があって、より深いところへ向かうこともできるという話だと思いますよ。……どれほど長いのか、知りませんが」
「その通りです。……問題は、例の地底湖に着けばそれで解決というわけでもないことですよ」
確かに、迷宮は剣の状態を改善できる方法を教えてくれた。それは間違いない。
そのことには感謝してもし足りない。
ただ、それはそれとして、別の経路を用意しておいてほしかったというのもまた本心。
「まだ何かあるんだ……」
「残念ながら、大ありだ。渡れば済むという考えは甘かったらしい」
「へ?」
聞けばきっと、アイシャ達も納得だろう。
「そのさらに下なんだ。今回の目的地が」
簡単に辿り着けないようにするにせよ――何もそこまでする必要はなかったのではないか、と。
「下って……」
「……まさか潜る、ですか?」
「そのまさかだ。困ったことに」
タチの悪い冗談なら、どれだけよかったことか。
他の方法の一つや二つ、用意しておいてくれてもよかっただろうに。
「一度退いて、様子を見るべきではありませんか? 外に出てしまえば、少しくらいは……」
サーシャさんがそう言うのも当たり前。
是が非でも避けなければならない選択肢。
「どれだけかかるか分からないんです。それを、そのまま放置しておくというわけには」
――ただ、他の選択肢がなさ過ぎた。
「妖精がいたあの森に行けば解決すると思いますよ。あの場所もまた、かなりの力を宿していますから。……ただ」
「と、遠くない? あそこ……。前も、レティセニアに着くまですごく時間がかかったし……」
後はもう、フルスピードでリーテンガリア上空を突き抜けるくらいしかない。
「飛ぶか、ここでどうにかするか。選べるとしたら、その2つです。……そして、その2択なら、俺はここを選びますよ」
外へ運び出しても、正直、剣の調子がよくなるとは、思えなかった。
「待ちなさい。あなた、分かっているんですか? 備えもなしに長時間潜り続けるなんて、無謀にも程があります」
――何より。
「その点はご心配なく。水中での活動を想定した魔法がありますので」
水中での活動も、経験がないわけではない。
「……空の次は水中ですか」
「何度か、水の中でやり合わなければならなかったので」
それを使えば、到達できるという自信はあった。
「じゃあ何? あんた、前に戦ったあの白いのとそうやって戦うこともできたってわけ? なんでもありも大概にしなさいよ……」
「言うほど便利でもないんだ。何より、使う側の体力がないと」
極力、戦闘を避ける必要はあるが。
「……あの時のあんたも十分だったと思うけど」
「いいや、足りていなかった。中に潜るだけなら、あの時も出来たとは思うが」
今でさえそうなのだから、前回の探索中に使っても、自分の動きを鈍くする以上の効果はきっとなかった。
「今回はあの時と違って、わざわざやり合う必要がない」
――いずれは、戦うために飛び込まなければならないこともあるだろう
が、しかし、それ以外の選択肢がある中で相手の特異な舞台にわざわざ飛び込むこともない。
向こうが水中を自由自在に動き回るのなら、こちらは空から迎え撃つまで。
今回のような状況でなければ。
「ただ……複数人での使用までは想定していない。《駕籠》を用意してしまえばいいというものでもない」
不慣れどころではないアイシャ達に来てもらうことなど、出来る筈がない。
「……だから1人で行く、と?」
「それが一番確実ですよ。さすがのサーシャさんも、そんなものまでお持ちではないでしょう?」
最初からそういう場所だと分かっていたのなら、また話は違っていただろう。
これまで聞いた[ラジア・ノスト]の実績からして、水中での活動を可能にする何かがあるのはほぼ確実。
しかしそれも、そのためのトレーニングを続けた人物でなければ難しいものの筈だ。
間違ってもぶっつけ本番で用いるようなものではない。
「キリハ……」
今回ばかりは、俺も譲れない。
「……ちょっと。何、してるの? アイシャ……」
――そんな中で発せられたリィルの声は、明らかにおかしかった。
「へ? 何って……なに?」
「そこ、そこよ。あんた、気付いてないの……?」
何かに怯え、震えるような声。
(んなっ……!?)
その原因は、一目瞭然。
「そういうリィルさん、こそ……。それ、どうやってる、ですか……?」
「あ、あたし? ……嘘っ!? こっちも埋まってる!?」
しかし、そのリィル自身も、アイシャと全く同じ状況に置かれていた。
何もしていないにもかかわらず、その身が地面の中へと埋まりつつあったのだ。
(もしや、迷宮の……いや、それはないだろうな……!)
――くだらない真似をしてくれる。
(この程度、早々に押し破って――)
力を巡らせ抜け出そうとして、止めた。
「な、何これ!? どうなってるの!? さっきから、どんどん埋まって……!」
「お、落ち着きなさい! 埋まりかけてるなら、その……そう! 地面を壊しちゃえばいいのよ!?」
「リィルさんこそ落ち着く、です……!」
とっくに、そんな段階ではなくなっていた。
「……止むを得ません。ここは受けましょう」
「分かっています。……自分だけ助かるつもりなんてありませんよ。最初から」
(このまま全員、一気に抜け出すのは……さすがに無理か)
こうなてしまった以上、できることは限られる。
「ひゃっ!? き、キリハ!?」
驚かれるのを承知で、アイシャの手を掴んだ。
「落ち着いて。……そう。強く握って。そのまま左手で、リィルの手を」
間違っても、分断されてしまうことのないように。
「リィルは、マユを。マユはサーシャさんとつないだままでいい。……そのまま、絶対に離すなよ」
話し合っていた時の位置のまま、輪を為すように、手をつなぐ。
(ち……っ!)
――そうしてたちまち、視界が黒に染め上げられた。




