第50話 なんのために?
右も左も分からない森の中。
走った距離も時間も分からない。
対して広くない筈なのに、今だけは樹海にでも迷い込んだ気さえする。
軽かった身体もさすがに疲れを訴え始めた。
さっきのトレーニングの疲れもまだ抜けてない。でもそれがなかったらここまで逃げることだってできなかった。
この場所は明らかにおかしい。
子供の頃の曖昧な記憶しか残っていなくてもさすがに分かる。
出口は全く見つからなくて、とりあえず木の陰に隠れるしかなかった。
異様な空気。
野太く荒々しい獣の叫び声。
この場所にそんな猛獣が出るなんて話、聞いたことがない。
それに、この森にはあいつらがいる。
人を平気で襲わせる悪魔ども。
真っ白なローブがいつ赤く染まってもおかしくないゲスの集まり。
(さっき俺が見つかったせいで……っ!)
師匠にも繋がらない。メールもいつ見てくれるか分からない。
ほんのついさっきまで一緒だったのに。はっきり言って、タイミング的には最悪。
警察に通報しても無駄。あの人からも再三言われたし、殴ってどうにかならないのは俺も身を以って味わった。
鍛えてもらってはいるけど、他に連絡できるあてもない。
日が沈みかけているせいで視界も悪い。先に見つかったら確実にやられる。
「っ……」
狙いは多分、この子。
ついさっきまで茂みに隠れていて、今も全然喋ろうとしない女の子。
あのままじゃまずいと思って逃げて来たけど、なんであいつらが追いかけてるかも分からない。
名前も知らない。今だってあいつらから逃げているから信用してくれてるようなもの。
見るからに疲れてる。俺なんかよりずっと。服を引っ張る力もびっくりするくらい弱かった。
何の躊躇いもなく俺達に魔法を撃ってきたから、掴まったらどうなるかなんて目に見えてる。
でも一体、なんのためにあそこまでして追いかけて……?
「……思ったよりも普通なんですね?」
乾燥パンと出来立てのスープが人数分。
即席のテーブルの中央には日持ちのいい野菜のサラダ。
木製の器の形は不揃いだが使いづらさはない。
ユッカはあんなことを言ったがよくここまで揃えられたものだ。
運搬等のコストを考えると決して楽な商売ではない筈。やや値段を上げているのは知っていたがそれでも採算が取れるのだろうか?
「場所が場所だもの。用意できる種類が限られてしまうのも仕方のないことだわ。あなた達にも馴染みがあるものでしょう?」
「ですね。まあ最後の一言が余け――んむっ!?」
「やめなさいよ。そうやってなんでも言葉にするの」
「リィル、それ以上は息が詰まる」
どうかせめて鼻だけでも。
まあ、他にもう少し言い方はなかったのかと思わないこともないが。
そういう意味なら先に『なんでも言葉に』したのはエルナレイさんの側だろう。
とはいえそんな話ばかり続けても仕方がない。わざわざ言い返す程の事でもない。
「でも、良かったんですか? 僕までお邪魔してしまって」
「マユも、です」
「業務もひとまず落ち着いたんでしょう? 私以外は全員顔見知りのようだし、遠慮しないで」
それが分かっていながら何故ここに交じろうという気になったのだろう。
マユにも声をかけられたらという話はリィルとしていた。
しかしさすがにこの状況は想定外。未だに目的が分からない。
「それで結局、どうしてこいつに? 会う機会なんてエルナレイさんなら幾らでも……」
「ないわね。年中大忙しよ。救援要請があれば駆けつけて、迷宮が見つかったら、探索――……」
場合によってはストラの魔物もこの前の誘拐犯もこのエルナレイという人物が解決していたのだろう。
それにしても、何故今になってまた俺達の地図を見ているのだろうか。この精霊騎士様は。
「そういえばあなた達の地図、あまり大きく進んでいるわけではないのね? キリハ、あなた生物型の探索魔法を使えた筈でしょう?」
「一応、簡単なものではありますが」
「あれを簡単とか言うのはあんただけよ……」
そんな事まで調べていたのか。
地底湖を見つけるまではこの迷宮で使っていない。それ以前は顔を合わせたこともない。何故そんな人物が。
知る機会が全くなかったとは思わないが、積極的に探らなければ難しいだろう。
こちらで使った魔法は全て知られていると思った方がいい。《万断》も《一穿》も含め、全部。
「……どこの誰……? 喋ったりしたの……」
「たまたま見てた人がいたんじゃないですか? あと怖いです。怖いですよアイシャ」
アイシャも仲間を疑っているわけではないだろう。
大体、あんな魔法の情報だけ手に入れてもさほど意味はない。
使っていない理由も簡単。
「彼女の助言もあって当面は封印をしようということになりまして。魔物に間違われるかもしれない、と」
「目を凝らせばすぐに分かることなのに」
「こんな場所でみかけたら勘違いするのも仕方の無い事ですよ」
妙な魔物の噂は実際一部で流れていた。
以前、誘拐犯の根城を見つけようとした時の大量放出が原因だろう。
特定した後は最低限の警戒に留めていた。見つかった可能性も完全には否定できない。
「……ユッカ、あれやめさせらんねーんですか?」
「困りますよわたしにそんなこと言われても。イルエさんが言いに行けばいいじゃないですか」
「しょーがないですねこのヘタレ。……レイス、やってこいです」
「いきなりなんの話だよ!?」
「誰がヘタレですか自分はレイスさんに頼んでおいて!」
……丸聞こえだと気付いていないのだろうか。
一体何が気に入らないのか。あまり慣れていない自覚はあるがそこまで拒否反応を返さなくてもいいだろう。
まさか普段のような態度で接しろとでも? 周囲の反応が目に見えているのに?
「……すみません。ウチの、バカが」
「右に同じです」
緊張感が薄れたと考えれば悪い事ばかりではない。本来は。
こんな、口調の不満を言われるためにそれを望んだつもりは全くない。
「バカはないだろバカは! オレ巻き込まれただけだぞ!?」
「だったら、騒ぐな」
「イルエちゃんも。彼の口調がらしくないなら自分でそう言えばいいのに」
いきなり話を振られたかと思えばこれだ。
レイスにしてみればたまったものではないだろう。ついでに、俺にとっても。
「ルークさんと話す時とそこまで変えた覚えはないんだが……? そうですよね、ルークさん?」
「だと思うよ。喧嘩腰じゃない分、普段は話しやすいくらいだね」
どうしてここまで反応が違うのか。
それにしても、喧嘩腰?
ストラにそこまでの荒くれ物はいなかったが他はそうでもないのだろうか。
「ねぇユッカちゃん、イルエちゃん。二人ともさっきまですごく緊張してなかったっけ……? そういう意味ならみんな同じじゃ……」
「「そんなの関係ないですよ!」」
「大ありでしょ」
まあ確かに方向性は違うだろう。
気を紛らわせようとしきりに腕を撫でたり。さすがにそんなことで仕返しをするつもりはない。
「あとユッカ、あんた……誤魔化そうとしたってそうはいかないわよ? さっきの全部聞こえてるんだからね?」
「わたし一方的にヘタレとか言われたんですけど?」
「気になるなら言えばいいじゃない」
「じゃあリィル、お願いしますね?」
「あたしは別に気にしてないし」
……いま舌打ちをした理由、あとでリィルに問い詰められるんじゃないだろうか。
もう全面的にスルーした方がいいかもしれない。考えるだけ損だ。
「……裏切者」
「なんでそうなるのよ!?」
それより今は目の前に陣取ったまま、余裕たっぷりな態度を崩さない最上位の冒険者を遠ざけた方がいい。考える暇もない。
「……随分と賑やかね?」
「同感です。すっかり人目も集めてしまいましたし、それぞれ自腹にして話はまた後日にでも――」
「その必要はないわ。安心して。支払いは既に済ませているから。……逃げようなんて考えない事ね?」
今更こんな手ではどうにもならないか。
世が世なら国家が狂う原因にもなり得そうな微笑みだが、こんな状況では警戒心が強まるばかり。
「まったく、信じられないわ。『”精霊騎士”からの誘いなら即決で受ける』なんて言う人もいるのに」
「そう言った反応を期待していらっしゃるのでしたらどうぞあちらに。狂喜乱舞してくれると思いますよ」
「そんなことをしても意味なんてないわ。あなただって分かっているでしょう?」
立場上忙しい事を理由に――いや、既に何か回答は用意してあるだろう。
こういう相手はどうにも苦手だ。せめて目的だけでも明かしてくれたら話もしやすくなるというのに。
「(キリハどうしちゃったの? いつもならもっとこう……仲良くしようとしてるよね? どうしてあの人にだけそんな……)」
だがさすがに今回はアイシャの目にも奇妙に映ったらしかった。
「(ちょっと不思議なところはあるけど、別に悪い人じゃないと思うよ? 私でも聞いた事あるくらいだし……)」
「(ああ、それはなんとなくわかる。ただ……あまり関わるべきではないと本能が)」
「(ほ、本能?)」
どうにも上手い説明が思いつかない。
空の上でほくそ笑んでいる誰かの手のひらで踊らされてしまいそうな予感。
だがあいつがそんな手間のかかる事をするだろうか。
口では『きまぐれ』なんて言いながら、決まって別の理由がある。
個人的な動機も珍しくはない。
絶対にあり得ない、とまでは言えないが……だとしたら、なんのために?




