第5話 変わってる
「あら、あら、あらあらあら~?」
最初に見た大通りを奥へ向かってしばらく進んだ先。
所々で不規則に捻れた石畳の小道の両脇に立ち並んでいる民家の中の一軒。
「珍しく早く帰って来たと思ったら、びっくりだわ~。アイシャがお友達の、しかも男の子を連れてくるだなんて~」
「友達っていうか、えっと、キリハは……」
「そう、キリハ君っていうのね~。うちの子が迷惑かけなかった~?」
「もう! お母さん!」
アイシャに案内されたその家で、彼女の母親に出迎えられた。
一目見ただけでも親子と分かる。母親の方がややたれ目のようだが、声と身長以外の違いとなるとそのくらいしか分からない。
「いえ、そんな。むしろ道に迷っていたところを助けてもらったくらいです。ただその前に魔物に追われていたので、しっかり休養を取った方がいいと思いまして」
「……魔物に~?」
案の定、もの言いたげな視線がアイシャに向けられた。
自身では対応できない相手がいる区画に一人で向かうなど、本来あってはならないことだろう。
「あ、えっと……ちょっと失敗しちゃって、サイブルに……」
「あまり遠くへ行かないようにっていつも言ってるでしょ~? 次守れないなら本当に辞めさせるわよ~?」
「そ、それは……ごめんなさい」
「アイシャが怪我したら私達だって悲しいんだからね~?」
「うっ……」
何か言うべきか、否か。
一瞬迷ったが答えはすぐに決まった。悩む余地など本来なかった。
「……でも、ちゃんと帰って来てくれたから、許してあげる」
「……うん」
一歩下がる以外の選択肢などない。が、アイシャの母親の視線がこちらに向けられる。
「キリハ君もありがとうね~。君みたいな子が通りかかってくれて助かったわ~。見ない顔だけど、冒険者かしら~?」
「これから登録に行くところです。どうやら故郷は色々特殊だったようで……協会がないんですよ。なので先程、この書類を」
「珍しい事もあるものね~?」
「町に入る前にも同じことを言われました」
実際、この世界では滅多にないレアケースなのは間違いない。
もう記憶喪失だと主張した方が良かったような気さえしてくる。
「疑っているわけじゃないのよ~? でも、そういうことなら早く行った方がいいんじゃないかしら~」
「い、いいの! 後で私が一緒に行くから!」
「案内? アイシャがやるの~?」
「俺から頼んだんです。今日来たばかりでこの町のことも何も知りませんから」
「本当に~? この子が寂しそうな顔をしたからそう言ったんじゃなくて~?」
「し、してないもん! キリハも何か……なんで目を逸らすの!?」
「ほら~」
「道が分からないのは本当です。申し訳ないことに」
それ以外に関してはノーコメントで。どう言い繕っても見抜かれるだけだ。
「別にそんなことないわよ~。でも、アイシャ? あんまり困らせちゃ駄目よ~?」
「だ、だから違うんだってばー!」
「じゃあキリハ君だけで行ってもらいましょうか~? 道を教えるくらい口頭でも済むんだから~」
「うぅ……それは……」
中々に容赦がない。
さすがにこれはと思って話に割り込もうと思ったところでアイシャの母親から『静かに』のジェスチャー。
事情は把握した。そういうことならここは向こうに任せておくべきだろう。
「じゃあ、話の続きは中でしましょうか~。キリハ君もゆっくりしていいからね~?」
「えっ?」
「いいんですか。ではお言葉に甘えて、お邪魔します」
「はい、どうぞ~」
「え? え??」
さっきまでの流れを無視したようなやりとり。
とりあえず乗ってみたが少し悪いことをした気がしなくもない。
「そんなところでなにしてるの~? ちゃんと休まないと後で困るわよ~?」
「後って……?」
「キリハ君を案内してあげるんでしょ~? あんまり遅くなるとキリハ君が登録できなくなっちゃうわよ~」
さすがに協会も夜通し開かれているわけではないらしい。
とはいえ空を見る限りまだ時間的な余裕はかなりある。無理に急ぐ必要はない。
「い、いいの?」
「最初から反対なんてしてないわ~。ちゃんと『一緒に行きたいから』って言ってくれればよかったのにアイシャったらなかなか言わないんだもの~」
「そんなこと――……ある、かも」
「もう、興奮し過ぎよ~。自分の言ってることも分からなかったなんてね~」
まさかさっきの勢いがまだ残っていたのか。あれが。
さっきは後回しにしてしまったが、今の内に聞いておくのも手か。
短い廊下の先には居間。中心にテーブルが置かれ、右手側の壁には台所。
正面には扉が二つ。左側の扉――おそらく寝室へ繋がっている――に手をかけつつも、アイシャは何処か不安そうにこちらを見ていた。
「いいから今は休んでらっしゃい。後でちゃんと起こしてあげるから~」
「絶対、絶対だよ? あと、キリハに変なこと言わないでね?」
「分かってるわよ~」
「絶対だからね?」
何度も何度も繰り返し、そしてやっと扉が閉まる。
そんなに心配しなくてもいいだろうに。ある程度予想はついている。
「……何故、あんなことに?」
「やっぱり話してなかったのね~」
具体的な内容に触れずとも、アイシャの母親には伝わったようだった。深いため息までついている。
「その様子だと、あの子の魔法も見てないのよね~?」
「ありません。俺が割り込んだ時にはもう魔力をほとんど使い切っていましたから」
「そう……本当にキリハ君にはなんてお礼したらいいか分からないわね~」
「いえ、そんな。……続きをお願いします」
偶然の結果でしかない。あまり遠くへ行くべきではないという言い分は全面的に同意だ。
「あの子の杖、古いものだと思わなかった~?」
「少しだけ。以前誰かが使っていたものなんですよね?」
「そうよ~。あの人の――アーコで働いている夫の祖母が使っていたものなんだけど、たまたま見つけたみたいでね~? その頃から『魔法使いになりたい』って言うようになってのよ~」
決して最近の事ではないだろう。
きっと毎日のように続けていた筈だ。その想いは計り知れない。
「その気になったのはよかったんだけど、問題はその後だったわ~。あの子、魔法をちゃんと使えなかったの~……」
「……それは例えば、見当違いの方向に撃ち出してしまうといったような?」
「鋭いわね~」
曰く、基本的な魔法でさえ大きくブレる。
曰く、威力は低い方ではない。
後者は本来長所と言えるものだが、この場合はむしろそのせいで悪化してしまっている。
威力が低ければまだ軽傷で済んだかもしれない。しかしどうやらアイシャの場合、小型の魔物なら一撃で仕留める程度の火力はあるらしい。
アイシャはサイブルを倒せないと言っていたが、当てる事さえできればその限りではないのかもしれない。
「どこかに弟子入りできたらよかったんだけど、そんな伝手もなくてね~? 上級の人には断られるし、同じくらいの子と組んだらその子達を危ない目に遭わせるだけでしょう~?」
「……その結果、他の冒険者との交流も減っていったわけですか」
「危ないから受けるのは魔物と戦わない依頼だけって約束させたんだけど、やっぱり練習は続けてるのね~……」
おそらく、他の選択肢がないわけではない。
この場で言う必要がなかっただけで、他にも様々な手を打とうとしたのは想像に難くなかった。
ここへ来るまでの間に見かけた店で働くとか、お金を得る方法はあるだろう。
それを承知の上で、冒険者を続けるという選択肢をアイシャは選んだ。
「少し、時間をもらえませんか」
「分かってるわ~。その時は私が言い聞かせるから~」
「そうではなくて。アイシャの魔法の件です」
「……さっきの話、聞いていたのよね~?」
「はい、勿論」
魔法を思うように扱う事ができず、最悪味方に直撃してしまう。それも下級の魔物を簡単に倒せてしまうような一撃が。
俺の身、そして何よりアイシャが更に自責の念に駆られたり、孤独感を味わってしまうのではないか案じているのだろう。
もしそんなことが起きるとしたら原因はどちらもアイシャの魔法のコントロール。
極端な話、俺が喰らわなければいい。勿論、方法は慎重に選ぶ必要がある。
「達人などとは口が裂けても言えませんが、それなりの経験はあると自負しています。何かの役に立てるのではないかと」
「多分、キリハ君が想像しているより大変よ~?」
「万一の時には自力で避けます。魔物の対処も。サイブル十二匹を単独で仕留められる程度の能力は保証します」
傍目からはアイシャと同世代に見えるらしい。だがそれはこの世界へ飛ばされる際に何かしらの処置を施された結果だ。
戦いの中で得た知識や経験を基にすれば何かのヒントは得られるかもしれない。
組織に所属していた人達が集めたものだ。当然、個人の範疇を大きく超えている。
その辺りも含めて俺の状況をもう少し具体的に伝えることができたら。
現状こちらで伝わる他の指標がない。逆に俺はサイブルがこの世界でどの程度の脅威とされているか分からない。
「そこまでできるなら色々なところから声がかかる筈よ~? 嬉しい提案だけど、どうしてそこまでしようと思ってくれるのかしら~?」
「恩返しですよ」
少し行き過ぎてしまっている自覚はある。
その結果として不信感を抱かせてしまうのであれば、それは仕方のないことだろう。
喋り方こそ変わっていないが、向こうの雰囲気はほぼ別物と言っていい。
「恩返し?」
「そうです。さっきお話した通り俺はこの辺りに来たばかりで、それこそ協会の存在すら知らない有様でした。アイシャに教えてもらっていなかったら路頭に迷うことになったかもしれません。ですから、そのせめてもの恩返しです」
アイシャに言ってもおそらくストラへの道中でも言われたように『私だって助けてもらった』と返されるだろう。
そして『何もしてない』と。こればかりはお互いの認識次第なので完全に平行線だ。実際ストラに着くまでにも決着はつかなかった。
「キリハ君、誰かに変わってるって言われたことある~?」
「はい? まあ多少はありますけど、それが何か?」
「やっぱり~。普通はそこまでしないんじゃないかしら~?」
「協会もないような土地で育った時点である意味『普通』とは言えませんから、今更ですね」
当然、向こうの世界から見ても。あんな戦いに身を置き続けたのだから当然だ。
「……本当に良かったわ~。通りかかったのが君みたいな子で~」
「まだ早いですよ。大雑把な方向性すら決まっていないんですから」
「それでもよ~」
そういう機会がなかっただけで、おそらく俺以上の適任はごまんといる。
アイシャの今後にも大きく関わる問題だ。慎重に進めなければならない。
登録するまでの間にも色々考えておくとしよう。どのくらいの時間があるのかは分からないが――
「アイシャも、よかったわね~?」
ああ、やっぱり。
隣の部屋で寝た様子がないと思っていたら案の定。声を掛けられ扉の向こうで動く気配が。
多少距離はある筈だが、そこはさすが親と言うべきか。
「……寝てるから何も聞こえない」
「さっきからバレバレよ~?」
「……聞こえてないもん」
「心配しなくてもさっきから聞かれて困るような話なんて全く——」
「聞こえてない! 全然、聞こえてないからぁ!!」
少しくぐもった声。妙な音が聞こえたから、布団をかぶりでもしたんだろう。
別に誤魔化す必要はないと思うが、アイシャに休息が必要だという事は変わらない。
もっとも、あの状態ではあまり落ち着いて休めそうにない気もしたのだが。